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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2003年8月1日設置。沖縄都市モノレール(湖城英知社長)


2018年8月現在
 ゆいレール那覇空港駅改札口に「万国津梁の民」と題するステンドグラスがある。儀間さんの版画を拡大したものだ。向かって左から琉舞とソテツ、進貢船、フェニックス(?)、右端にエイサーの太鼓を打ち鳴らす若者の姿も見える。儀間は沖縄市で盛んなエイサーがあるのは、モノレールがずっと沖縄市まで延びてほしいからだという。その沖縄市(コザ)に対して儀間さんは「エイサーは、歌も踊りも各地域それぞれ特色をもっているが、圧巻はなんといっても毎年旧盆にコザ市で催される『全島エイサーコンクール』だろう(1966年『版画風土記・沖縄』)。「コザには沖縄の政治、経済、文化が集約されている。なかでも、まわりが巨大な基地群をもち、その米軍へのサービス産業で栄えている町なのに島の人たちにしか用のない土着の文化が目立ちすぎるほど、根づいているのには一驚させられる」(1974年『沖縄』講談社)。そのエイサーのまち沖縄市の「第63回全島エイサーまつり」は、8月31日~9月2日に県内の青年会が一堂に集結し、代々受け継いできたエイサーを個性豊かに繰り広げる。むろん那覇でも8月に「那覇一万人のエイサー踊り隊」がある。


2005年1月 西銘圭蔵『国家を超えた思想 伊波普猷』(装幀・儀間比呂志/題字・増川白陽)ウィンかもがわ

 儀間比呂志の「万国津梁の民」というのは、世界のウチナーンチュのイメージにも通じる。儀間版画の「ゆがふう」(世果報)は先の普猷の「甘世」にも通じるが、ミルクユガフー(弥勒世果報)とも言う弥勒信仰の一つで、理想的な世の出現を希うものだ。ウチナーの現実に即して言うならば「核も米軍基地もない平和で豊かなウチナー」、これに尽きる。

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Posted by: ryubun02
儀間比呂志追悼シンポジウム  時間:14:00-17:00(開場13:30)
  登壇者:新川明氏(ジャーナリスト)、川満信一氏(詩人)、三木健氏(ジャーナリスト)、佐喜眞道夫氏(佐喜眞美術館館長)
  進 行:豊見山愛(展覧会担当学芸員)

写真左から川満信一氏、新川明氏、佐喜眞道夫氏、三木健氏/池原盛浩氏、田名真之館長


新川明氏

川満信一氏

三木健氏

佐喜眞道夫・佐喜眞美術館館長

儀間比呂志「沖縄人はみなスパイだ!」1979年



新城栄徳、高良勉氏/知念ウシさん

儀間比呂志「瀬長亀次郎像」/1970年9月 瀬長亀次郎『沖縄人民党ー闘いの二十五年』新日本出版社(装幀・儀間比呂志)→「不屈館」所蔵



沖縄県立博物館・美術館隣りの新都心公園では雨降りの中、玉城デニー応援集会があった。


2018年 岩波書店『世界』10月号 松元剛「魂の政治家が遺したものー翁長雄志知事と沖縄の尊厳ー」「翁長氏が石原裕次郎のカラオケを楽しんだことがある栄町のカフェバーで、宮里さんはしみじみ語った。『翁長雄志は住民本位の新しい政治を築こうとした庶民政治家だった。保守に軸足を置きながら、原点である栄町で市民の暮らしぶりを肌で感じ、イデオロギーを超える新しい沖縄の政治家像を思い描き、自らが何をなすべきかを考える礎にしていたように思う』。」/写真・高野孟氏と対談する宮里千里氏/左が玉城朋彦氏、宮里千里氏

2018年 岩波書店『世界』10月号 松元剛「魂の政治家が遺したものー翁長雄志知事と沖縄の尊厳ー」「ー上京した翁長氏は、親しいいとこで、法政大学の三期先輩の国吉真太郎さん(71)の下宿に入り浸った。読書家だった国吉さんの本棚をなめ回すように見ては、『これ借りる』と言ってかなりの冊数を借りていったー」/写真右端ー国吉真太郎氏(翁長雄志後援会会長)

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Posted by: ryubun02

2018年9月12日~ 10月28日 沖縄県立博物館・美術館」「宮城健盛展」

 宮城健盛(みやぎ・けんせい1915-2001)はユーモア溢れる親しみやすい人物である一方、指導者としての功績は基より沖縄画壇に尽力した人物でした。独自の創作活動に対しては柔軟で真摯に挑み続け、型にはまらず、画風が変化し続けた稀な画家です。この宮城独特の作風はどこから来たのか。宮城の変遷をたどりながら、その全貌と絵画活動を紹介。


宮城健盛/表紙絵 1966年6月『今日の琉球』104号「ハーリー」



2004年9月 『新生美術』13号<特集・比嘉景常・島田寛平・南風原朝光・名渡山愛順・大城皓也・宮城健盛・安谷屋正義・新川唯盛・仲嶺康輝・山之端一博>


宮城健盛画伯、新城栄徳


2018年9月15日ーひより親子で「宮城健盛展」

 2016年5月17日梅雨入り2日目、小雨のなか久方ぶりに琉球新報に遊びに行く。新報の隣に現在病院が建っているが、以前はその敷地に琉球東急ホテルがあった。私はそのホテルの中華部に17歳のとき働いていたので懐かしい場所である。帰途、那覇市民ギャラリーで「小谷武彦写真展 PART5」「桑江良健絵画展」「新生美術展」をみる。

小谷武彦氏ー後ろの写真には彫刻家の金城実さんが写っている。

石垣博孝氏 作品「まち」

当山進氏 作品「深緑を抜けて」

谷口正人氏 作品「識名園」


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大濱 聡 2019年9月28日
■NPO法人那覇市街角ガイド第10期生養成講座で国際通りの歴史について話をさせていただきました。今期生は老若男女25名、全25回のカリキュラムは結構ハードなようです。講座を前に、新しい情報を仕入れるべく国際通りとその周辺を歩いてみました。
■①今月14日、安里にサンリオのキャラクターズホテルがオープン。正面の壁にキティちゃんなどがド派手に描かれた異色の外装です。
②去年12月、沖縄三越~HAPINAHA跡に開業の「琉球王国市場」が今月7日までに閉店。「国際通りのれん街」として生まれ変わるようですが、通りの中心地で最も目立つ建物だけに今度こそ成功して欲しいものです。
③国映館跡に建設中のホテルがいよいよ今年冬に開業予定です。地上13階、地下1階、260客室、台湾資本の国際通り最大のホテルです。
■④今月、国際通りの小路の居酒屋に突如姿を現した巨大エビ。7月に閉店した伊勢エビの店(若狭)の看板娘?が譲渡されて引っ越してきたものです。
■街角ガイド10期生の皆さんのご活躍ご健闘を祈念しています。那覇を旅する皆さん、ガイドが必要な場合は「NPO法人那覇市街角ガイド」に連絡して下さい(17コースあり)。

2016年10月23日 国際通り「空手の日 記念演武祭」














2016年10月23日 国際通り「空手の日 記念演武祭」


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Posted by: ryubun02

2018年9月『広報あぐに』「粟国村教育委員会通信22号ーヤガンウユミ(ヤガン折目)を知ろう」
= 由来 =
その昔、島の北側の野厳原(ヤガンバル)で毎年6月(旧暦)になるとそこに居る荒ぶれたヤガンの神様に畑の作業にきた人々が目をえぐられたり、鼻をそがれたり、妊婦は流産させられたりしたそうです。
 困った島の人々は、沖縄本島北部の今帰仁城の王様に何とか治めて下さいとお願いに行きました。王は家来の平敷大主(へしきうふしゅ)にこの荒ぶれた神を治めるように命じました。
平敷大主はバーイ(千魚)、粟や酒(ミチ:ソテツの実を発酵させたお酒)を準備させ島のノロ(神人)達といっしょにその荒ぶれた神を野厳原から拝所のイビガナシーまで誘い出し、用意したバーイやお酒でもてなしました。 その後、ヤガンの神はイビガナシーに鎮まった。その後この荒ぶれた神様も島の人々に悪さをしなくなったそうです。 荒ぶれるヤガンの神様を鎮めた平敷大主を村の人々はイビガナシー隣のエーヌ殿の中に今帰仁神として祀った。
 それで、毎年旧暦の6月24日、25日、26日は、神を鎮める祭り「ヤガンウユミ」が行われてきました。 もともと「ヤガンウユミ」は、神を鎮める祭りでしたが、現代は、島の繁栄と人々の健康祈願が主のようです。


1971年10月 沖縄の雑誌『青い海』新城栄徳「ふるさと粟国を思う」
『青い海』1971年11月号で「もう一つの沖縄・離島」の特集をやることになって、津野編集長が筆不精の私に粟国島のことを書けと注文。断るとメモ書きでも良い、こっちで文章にするからということなので書いたのが「ふるさと粟国を思う」である。初めにヤガンウユミ、グーシー、河村只雄の『南芳文化の探究』、『沖縄の犯科帳』、『球陽』などを引用している。これらは沖縄関係資料室蔵書から得たものである。これが『青い海』に書いた唯一のモノである。


ベースギター(並里祐一) ボーカル、ギター(濱川政敏) ドラムス(新垣雄二)

居酒屋・くちがふう ☎098-868-5711




2018年5月 上間篤『中世の今帰仁とその勢力の風貌ー元朝に仕えたアラン人と攀安知ー』ボーダーインク
中世今帰仁の後期勢力を率いた武将攀安知〈ハン・アンチ〉とその勢力ゆかりの出土物や伝世史料といったものに、騎馬文化及びアラン人〈元史には主に阿速の名で登場〉ゆかりの性格を帯びた種々の文物が確認されるのはまことに興味深い限りである。本著の狙いとする所は、上に言及した文物史料を拠り所にして関連情報の洗い出しを図り、それに基づいて攀安知及び彼が率いた勢力の風貌を描くことにあるが、さらにかかる試みは中世今帰仁の歴史の謎に迫る誘い水にもなると考えられる。
 アラン人(アラン族、Alans)は、紀元後に北カフカスから黒海北岸地方を支配した遊牧騎馬民族。イラン系遊牧民族であるサルマタイを構成する部族のひとつ、ないしいくつかの総称。アラニ(Alani),アラウニ(Alauni),ハラニ(Halani)ともいう。 紀元後1世紀後半、文献記録においてアオルシ(アオルソイ)の名が消え、それに代わってアランという名の遊牧民が登場するようになる。このアランをサルマタイの一部と考える研究者が多く、中国史書の『後漢書』西域伝「奄蔡国、改名して阿蘭聊国」や、『魏略』西戎伝「奄蔡国、一名を阿蘭という」といった記述から、「奄蔡」をアオルシに、「阿蘭」をアランに比定することがある。考古学的には、黒海北岸における2世紀から4世紀の「後期サルマタイ文化」を、アランの文化と見なす見方もある。→ウィキ

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