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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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2023年3月 伊波月城研究会『伊波月城集』沖縄タイムス社◇「民衆教化の機関として市立劇場を建設せよ(4)」で皇道大本の出口王仁三郎にふれている。


1975年1月『青い海』40号 上田正昭「先島の神々」
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上田正昭さんが沖縄に来られたとき写真に収まってもらった。ご本人の著書は1971年末からの付き合いである。

 京都丸太町の古書店で『立替え立直し』(1971年5月)を買う、梅棹忠夫・上田正昭の対談「出口王仁三郎における変革の思想」が載っていた。上田正昭は何かと大本には縁がある。当時、京都で発行されていた『日本のなかの朝鮮文化』の執筆常連でもあった。沖縄との関わりも深い。私も朝鮮文化社にはよく遊びに行き、編集室奥の部屋で鄭詔文さんのコレクション、李朝の白磁などの陶器を見せてもらったりした。このコレクションが後の高麗美術館とつながる。
 前出の『立替え立直し』の発行は亀岡の大本本部天恩郷で、ちょうどそこには沖縄から金城ひろこさんが奉仕活動に来ていることを京大付属病院保健課の大城敬人さん(現・名護市会議員)の話で知り訪ねた。都沖青の一環で亀岡の渡文や大本亀岡本部はよく訪ねた。本部から離れたところに王仁三郎の生地瑞泉郷がある。大本本部の大本資料室で王仁三郎の沖縄訪問時の資料、王仁三郎扮する七福神や神々の写真パネルを見た。王仁三郎手製の楽焼の茶碗も見た。本部では茶道、八雲琴の演奏なども聴いた。
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『日本のなかの朝鮮文化』朝鮮文化社(鄭 詔文)

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1973年3月ー『琉球の文化』第3号□広告に朝鮮文化社がある。


1974年1月『東アジアの古代文化』創刊号 大和書房 江上波夫+鈴木武樹「辰王朝に倭国王の出自を探る」/国分直一「南島古代文化の系譜」/佐々木高明「南島根栽農耕文化の流れ」〇歴史雑誌。鈴木武樹が創刊を提案し初代編集長をつとめたが、多忙のため4号で降板した。鈴木武樹は1934-1978 昭和時代後期のドイツ文学者,社会運動家。昭和9年8月11日生まれ。38年明大講師,50年教授。小田実(まこと)らと交遊。ベ平連などの平和運動,プロ野球選手のための生活相談所開設,東アジアの古代文化を考える会などの市民運動にかかわる。昭和53年3月27日死去。43歳。静岡県出身。東大卒。訳書に「ジャン=パウル文学全集」(1,2,6巻)など。→コトバンク /1974年、近鉄沿線の駅で鈴木武樹さん、鄭貴文さんと会う。

 備仲臣道 2023年9月18日 (前略)北原白秋の「五十音」という童謡のような詩があって、こんなものなら俺にも書けると思い、ベッドの上で4Bの鉛筆を使って3日かかって書いたのが以下のもの。私のほうが白秋のものよりも確かな韻を踏んでいると思う。
    五十音 
 秋空青いぞ アイウエオ
   明るい藍色 秋の朝
 柿の実固いね カキクケコ
   堅く肩組む核家族
 幸い求めて サシスセソ
   幸(さち)住む里のさわやかさ
 宝くじ買い タチツテト
   狸はたちまち立ち去った
 なぜに嘆くか ナニヌネノ
   流れる涙がなんになる
 鳩ははばたく ハヒフヘホ
   早く はるばる 運ぶ鳥
 窓はまん丸 マミムメモ
   まり投げ まり蹴り 孫娘
 山に住むのは ヤイユエヨ
   やさしく 役立つ 山の神
 羅列 呂律は ラリルレロ
   ラララランドのラブソング
 私はワイルド ワイウエオ
   わけも判らず ワル気取る


備仲臣道『蘇る朝鮮文化ー高麗美術館と鄭詔文の人生』明石書店〇著者はあとがきの末尾に「1941年、日本の植民地朝鮮の大田に侵略者・日本人の息子として生まれてしまった私の、本来なさねばならぬ仕事のほんの一部がいま出来たという思いのほかになにもない。」と記している。/1966年3月 鄭貴文『民族の歌』東方社/1987年3月 『日本の中の朝鮮民芸美』朝鮮文化社〇1963年3月、東京で鄭貴文主宰で『朝陽』が創刊された。その第二号には霜多正次が「学生時代の金史良」を執筆。この雑誌は総連の圧力で廃刊となった。


2006年2月 備仲臣道『美は乱調にあり、生は無頼にあり 幻の画家・竹中英太郎の生涯』批評社
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 備仲 臣道 2020-8-19 次女の所の孫が、大学の課題でライフヒストリーとやらを書くということで、私が俎板に乗せられ、インタビューを受けています。まだ一年生で文化史学科の由ですが、専門課程に進んだら文化人類学をやりたいと言っています。



1975年2月『話の特集』上原直彦「あなた大和人」/竹中労「続・メモオキナワ④」


1972年7月ー竹中労(装幀・挿絵 竹中英太郎)『琉球共和国ー汝、花を武器とせよ!』三一書房
1975年8月ー竹中労(装幀・挿絵 竹中英太郎)『琉歌幻視行ー島うたの世界』田畑書店

1986年5月 『別冊太陽』「探偵・怪奇のモダニズム/竹中英太郎・松野一夫」平凡社


 私は1992年12月 『新沖縄文学』94号 「来訪者略年表 1969年10月 竹中労(ルポライター)来沖」と書いているから沖縄では何かと話題の人物である。
〇2012年3月 『沖縄芸術の科学』高橋美樹「琉球放送・上原直彦インタビューにみる沖縄音楽界への影響」


1995年9月 上原直彦『島うたの小ぶしの中で』編集人・和宇慶文夫、備瀬善勝/表紙絵・與那覇朝大 装幀・和宇慶文夫/発行・丹躑躅山房
〇「追悼 島うたを理解した人ー(略)『多くのヤマトゥンチュが、沖縄を通っていったが、竹中労は、死に際まで沖縄にかかわったことだけは、直サン忘れないでくれ』」と上原氏は遺言として書き留めている。写真説明に1969年10月 第一回沖縄渡航、上原直彦、備瀬善勝、普久原恒勇、與那覇朝大を知る。


2006年2月 知名定男『うたまーい 昭和沖縄歌謡を語る』岩波書店

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Posted by: ryubun02

中山良哲氏の個展。昭和40年代(1965~1974年)の今帰仁古宇利島や国頭村比地、大宜味村塩屋で撮影した祭祀「ウンジャミ」の記録写真50点を展示する。






翁長達夫さん、作品「白川郷」/末吉はじめ「裏通りの景」


辺士名朝吉さん、作品「サングァチャー」「想いをアロハで」/豊里友行さん、作品「旧廿日正月」
2019年7月23日~28日 那覇市民ギャラリー「ニッコールクラブ沖縄支部 第55回 写真展」


2019年5月28日~6月2日 那覇市民ギャラリー「山田實 写真展 きよら生まり島ーおきなわ」
トークイベント 6月1日14:00~17:00 [場所]〒900-0013 沖縄県那覇市牧志1-3-18 エトワール牧志1F(パラダイス通り沿い) INTERFACE-Shomei Tomatsu Lab.[参加費]1,500円※1ドリンク、懇親会費
第1部 14:00-15:00 金子隆一(写真史家)「山田實の写真表現」
第1部 15:15-17:00 末吉發、中山良哲、大城ひとみ、金子隆一、仲嶺絵里奈「山田實を語る―沖縄ニッコールクラブとその周辺」 

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2021-8 小椋力『蓮 マンダラ 生命の継続と永続』日本写真企画 〇蓮に魅せられた作者。撮影を続ける中で「生命の神秘を感ずると同時に、蓮に対する畏敬の念さえ抱くようになった」。決して見た目の華やかさだけではない、さまざまな蓮の表情をとらえた作品の数々を収録。仏教や他の生物との共生などをテーマに「蓮のごとく美しく清からな人生を求め続けたい」という思いがそこには込められている。 小椋 力:大阪市で生まれる(1937 年)。鳥取大学大学院医学研究科修了(医学博士)。鳥取大学医学部助教授、琉球大学医学部教授、琉球大学付属病院院長などを歴任。現在、医療法人正清会 久田病院顧問医師を務めている。琉球大学名誉教授。

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Posted by: ryubun02

南風原町組踊保存会 第3回定期公演 10月13日 9:00~22:00「南風の舞美らさ~伝統芸能の融和~」「最古の三線実演」(南風原中央公民館 黄金ホール等) 問い合わせ 南風原町組踊保存会(090-2718-0527) 協賛:なるみ堂ほか


2019年7月24日 なるみ堂のお客さん=Terry Hill さん(サンブカイ道場/ニュージーランド ワイカトで最も長く生き残っている武道センター 1981年以来 テリーヒルの下に設立)。


2019年4月24日ーなるみ堂のお客さん、京都の森さん、お孫さん、翁長良明氏


2018年8月18日ーなるみ堂のお客さん(空手マン・フランスのローレントさん)翁長良明氏/翁長良明氏、打ち紙を進化させる漢那用哲氏


漢那氏がいつも持ち歩かれている中国紙幣(下)と中国の打ち紙



2018年12月14日 なるみ堂 神谷明孝氏(左)の持ってきた「ターイユ」を前にして翁長良明氏/2019年1月13日 なるみ堂

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Posted by: ryubun02
 東北関東大震災後の関西に出てみた。(東日本大震災 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖で発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震により引き起こされた大災害。最大震度7の強い揺れと国内観測史上最大の津波を伴い、東北・関東地方を中心とする広い範囲に甚大な被害をもたらした。また、東京電力福島第一原子力発電所が被災し、放射性物質が漏れ出す深刻な事態になった。→知恵蔵)〇2019年(令和元年)7月9日時点で、震災による死者・行方不明者は1万8429人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4890戸が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上等の数値が報告されている。復興庁によると、2019年7月30日時点の避難者等の数は5万271人となっている。→ウィキ
新城栄徳「関西日誌2011-10」
 私の本格的な古本屋巡りは1965年から始まっている。何ぼネット時代と言ってもこの身に染み付いた古本屋巡礼の快楽は、バーチャル(仮想空間)なネット世界では絶対に味わえないものだ。第一、歩くことによって運動にもなる。古本屋がどんな場所にあるのか訪ねるのも楽しみの一つである。本、新聞もネットで読めるとよく若い人は言うが、持ち時間が余り無い初老には馴染む気力も体力も無い。
 午前10時に布施の自宅を出て、JR永和駅から乗り大阪天満宮に行く。電車賃は170円、那覇市内バス210円より安い。天満宮で「天神さんの古本まつり」(大阪古書古書研究会主催)がある。天気も良く参拝客も多い。5冊1000円コナーで、W・A・スウォンバーグ/木下秀夫『アメリカ新聞界の巨人・ピュリツァー』(早川書房1978)、小糸忠吾『超大国米国ソ連のマスメディア』(理想出版社1981)、高橋康雄『物語・萬朝報』(日本経済新聞社1989)、木村愛二『読売新聞・歴史検証』(汐文社1996)、雑誌は『人物往来』「昭和重大事件の真正報告ーあの時の証人は語る」1955年の復刻版を買った。
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 100円コーナーで、『醍醐寺の研究』(飛鳥園1930)は中にチラシ「出雲大寺薬師」や長崎、大宰府天満宮近くの飲食店の箸袋が挟まれていた。平凡社発行(1929~31)『世界美術全集』21巻、27巻、別巻「宗教図像篇」、最後の巻には週刊朝日チラシ「ワーナー・ブラザース映画『百萬長者』/フエアリイランド/秋の画廊」「日本古墳と安南の墳墓」「古代朝鮮文化の粋」「古今東西女性美名作物語ー上野府美術館」(数点の戦前の新聞切り抜き)が挟まれていた。新村出『広辞苑』(岩波書店1960)、雑誌は、『話の特集』第191号(1981-12)には今話題の島田紳助らの「とことんやったれ!ツッパリ漫才爆走中」が載っている。たしか今の琉球新報社長の富田詢一氏もかつて『話の特集』編集部にいたことがある。『芸術新潮』「ナチスが捺した退廃芸術の烙印」(1992-9)、「悪趣味のパワー」(93-6)、「天災と闘った美術」(95-5)、「『東寺』よ開け!」を買った。
 天満宮を天六方面に行けば末広町の「成正寺」がある。入口に「中斎大塩平八郎墓所」の石碑がたっていて、奥にソテツがある。。東の方も散策。天満東寺町の龍海寺(緒方洪庵墓所がある)に寄る。ここは門が来るたび閉まっている。『大阪春秋』(2006-10)にT・M生が「寺町と掃苔ー著名人の墓碑は文化遺産」を書いていて「それよりも緒方一家といえば、いまも家運隆盛で良識ある優秀な方ばかり(略)戦後緒方家の墓地を整備なさったとき、無縁となられた中家の墓域ぐらい購入されて洪庵先生と並べて眠らせてあげれば、洪庵もさぞかし喜ばれたと思うのですが残念

 新城栄徳日記メモー1995年1月1日ー奈良東大寺大仏初詣/1月17日午前5時過ぎに京都で大きな揺れ。東大阪の息子に電話。午後2時23分電車で京阪淀から近鉄経由で布施。/1月24日、尼崎市の兵庫沖縄県人会事務所。沖縄県からのビニールシートが届いていたので配送を手伝う。息子名義で見舞金を贈ったとき宮城幹夫氏も来所し見舞金を贈られた。挨拶をした。1月30日、西宮からバスで三宮。午後8時に帰宅。1月31日、大正区へよって、阪神青木から東灘区へ。その後、息子も神戸へ。

 10・10那覇大空襲の日である。1944年7月のサイパン陥落。10月、アメリカ軍はフィリピンへの進攻作戦を準備。これに先立って、後方の南西諸島から台湾方面に散在する日本軍の拠点を、空母艦載機をもって攻撃した。10日の沖縄の大空襲はこの一環として行われたものとされている。このとき那覇市内の9割が消失して壊滅した。死者は255人以上にのぼった。大阪は翌年45年3月13日から深夜から翌日未明にかけてに最初の大阪空襲が行なわれた。同年3月23日には粟国島空襲、26日には慶良間諸島にアメリカ軍が上陸し沖縄戦が始まった。大阪ではその後、6月から8月にかけて空襲が行なわれた。これらの空襲で一般市民 10,000人以上が死亡したと言われる。それから60数年。未だにアメリカ軍は「トモダチ」としてオキナワ・日本に居座っている。何ら疑問も感じない日米両政府。それを容認する国民の感覚も分からない。今日まで核の傘、原発も容認してきた国民。これからも<しょうがないにゃあ>。


大阪の本・雑誌
 午後から大阪市天王寺区生玉町界隈を見学。法音寺は天王寺区の北部、建物は南面している。新しい本堂だが、古い屋根瓦がよく目立っている。1612年創建。1945年ー大阪大空襲により焼失。戦後再建された。画家上田公長の墓所でソテツもある。浄土宗圓通寺には俳匠の大江丸墓所。ソテツもある。大江は大坂出身。飛脚問屋・嶋屋の主人で、家業上諸国を旅したので、交際がきわめて広く、またたいへん筆まめで、そのうえ長寿でもあったので、残した紀行文や随筆、そして発句などは莫大な数にのぼる。作風としては京都の蕪村派の影響を受けているが、西山宗因や上島鬼貫の模倣をした作品もある。のちに江戸の大島蓼太に私淑し、著書においても蓼太を師として敬っている。
 生魂山齢延寺には幕末に私塾・泊園書院を興して活躍した儒者の藤澤東咳・南岳父子や、画家の鍋井克之、名刀鍛冶師の左行秀の墓がある。また、緒方洪庵、斉藤方策と並ぶなにわの3名医のひとり・原老柳ゆかりの老柳観音がある。やがて「いくたまさん」と呼ばれる難波大社 生國魂神社北門入り口に着く。鳥居をくぐって生玉北門坂をのぼる。神社本殿の脇には11社の境内社がある。一番右側の鳥居は「浄瑠璃神社」で、近松門左衛門や竹本義太夫など人形浄瑠璃(文楽)に成立に功のあった『浄瑠璃七功神』をはじめ文楽および女義太夫の物故者を祭神として祀られている。
 境内社の1つ「鴫野神社」。大坂城外鴫野弁天島にあった「弁天社」は淀君の崇敬が厚く、後に「淀姫神社」として祀られるようになったが、1877年に現在地に移転された。家造祖神社は、家造の祖神を祀り、建築関係者の崇敬が篤い。鞴神社は、鞴(ふいご)の神・鍛治の神を祀り、製鉄などの金物業界の崇敬が篤い。
 境内に井原西鶴像がある。西鶴は1680年、「生玉神社南坊」で一昼夜独吟四千句を興行した。後ろの碑は「南坊」の所在跡を示す石碑、「南坊」は明治初期の神仏分離の折、現在の中央区島之内に移転した法案寺の前身である。「米澤彦八の碑」に京都で露五郎兵衛によって始められた上方落語は、大阪では当社境内を舞台に米澤彦八が広めたとある。「八雲琴の碑」には「二つ緒の八雲の琴に神の世の しらべを移し伝え来にけり」と記され中山琴主(愛媛の人、文政年間出雲大社に参拝し神事を得て完成したと伝えられる、琴は二弦で「八雲琴」)を顕彰。
 1496年、本願寺八世蓮如上人が生國魂神社に接して『石山御坊(後の石山本願寺)』を建立したが、1580年、織田信長に屈し灰燼に帰した。1583年、豊臣秀吉が石山本願寺(現在の大阪城の二の丸周辺にあった)跡に大阪城を築城。そのため、神社に社領を寄進し社殿を造営。1585年に現在の鎮座地に遷されたと伝えられている。明治維新の廃仏毀釈によって境内にあった神宮寺が境外へ分散するなど境内は著しく変化したが、1871年、官幣大社に加列された。社殿は(明治45年)『南の大火』、1945年の戦災による消失、1950年の『ジェ―ン台風』による倒壊など幾度も被災と造営を繰り返し、現在の社殿は1956年(昭和31年)に建立されたものである。10月22日から神社参集殿で「出口王仁三郎耀琓展」が開かれるという。
 近松門左衛門の墓は菩提寺、尼崎・広済寺と、妻側の菩提寺の大阪・法妙寺に建てられ、共に夫婦の戒名が刻まれた比翼墓である。法妙寺は大空襲で焼失し大東市に再建され、後に墓だけが元の場所に戻された。近松の墓を見て、西鶴の墓がある誓願寺を訪ねる。戦災で本堂も繰りも焼けたため、一時途絶えた時期もあったが、毎年9月には「西鶴忌」が行われる。西鶴の墓は1887年を前後する頃、誓願寺境内の無縁墓に押し込められていたのが発見された。境内には、大坂に於ける私立学問所「懐徳堂」を140年余にわたり経営し、江戸時代大坂の文教の発展に貢献した、中井一族の墓がある。→稲垣國三郎にも『中井竹山と草茅危言』(大正洋行1943)の著がある。

大阪の本・雑誌
 誓願寺門前にプロレタリア文学を経て、転向。西鶴の浮世草子の作風に学んだ「市井事もの」を著し、時代の庶民風俗の中に新しいリアリズムを追求する独自の作風を確立した 武田麟太郎文学碑がある。この文学碑は武田の小説『井原西鶴』の一節が刻まれている。大阪市中央区上本町「東平公園」にある薄田泣菫の『金剛山の歌』の碑。詩は、作者が本長寺に仮住まいしていた頃、散歩の途中、朝日に輝く金剛山を見て、詠んだと言う。薄田泣菫(1877~1945)は岡山県生れ、24歳で大阪に出て文芸雑誌、詩集を刊し、象徴派詩人として名声を得た。 午後ー近鉄布施駅から鶴橋。近鉄駅改札のまん前にある「高坂書店」では数多くの在日コリアン関連の書籍が売られている。いわゆる「嫌中本」「嫌韓本」も意外に数多く揃えてあり「マンガ嫌韓流」といった山野某の本もある。私はブックオフで買った山野「在日の地図」で、日本の中のコリアンを見つめなおしている。鶴橋商店街はいつも見慣れているが、面白いのは、ガード下にも広がる市場の存在。闇市の世界をそのままに、という風景で八百屋、魚屋、肉屋、乾物屋、そしてキムチ屋、ありとあらゆる韓国食材が揃う、まさに日本の中の朝鮮。大阪の東の玄関口として戦前から発展してきた下町、鶴橋。大阪府は全国で最も在日韓国・朝鮮人が多く、人口は15万人。その多くが大阪市東部の生野区を中心としたエリアに住んでいる。生野区の人口14万人の4分の1に当たる、3万人程度が住んでいると言われる。
 明治、大正時代の大阪は、日本の急激な工業化に伴い大量の労働者が必要となり受け入れた。大阪は大大阪となる。現在の生野区や東大阪市、八尾市あたりには、朝鮮半島から出稼ぎをした人間が大勢住む事となった。終戦直後には210万人程度居たと言われている。その多くが京阪神に住んでいた。現在も在日韓国・朝鮮人の人口は60万人程度居るが、今では在日二世・三世がほとんどで、中には帰化をして日本人になっているものも多く、その実態を掴むのは不可能だ。
 鶴橋商店街を通っていつもは通らない反対の方向に行く。やがて大阪市生野区弥栄神社に出る。秋祭りの地車(ダンジリ)の手入れの最中であった。傍で子どもらが鐘と太鼓の練習をしていた(→「秋祭り」画像検索)。彌栄神社とはバス道ひとつ隔てて鎮座しているのが御幸森天神宮。仁徳天皇を主祭神とし、昔の東成郡猪飼野村の氏神、天皇崩御の後、この森に社殿を建立し、天皇の御神霊を奉祀して、御幸森と称したという。このバス道がかっては百済川だった。猪飼野は猪甘津と呼ばれ、 百済川には日本最初の橋が架けられたと言う。天神宮に沿って御幸通商店街がある。反対側に韓国式の立派な門、沖縄の守礼門と似かよっている。商店街は東西で3つの区画に分かれており、コリアタウン色が強いのが御幸通中央商店街。ほとんどの店舗がキムチ屋や肉屋、韓国料理店や屋台料理、民族衣装、それに韓国の音楽CDやDVDを売る店舗となっている。この商店街は大阪に永いこと住んでいるが初めて来た。

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Posted by: ryubun02


古堅哲氏の書簡/新城栄徳作「才賀藤吉を主にした沖繩電氣株式會社/沖繩電氣軌道株式會社の流れ」

沖縄の電力事業史の本に1981年9月発行の古堅哲『うるまの灯ー沖縄の電力事業史』財団法人・日本電気協会がある。著者の古堅哲氏は1926年7月15日に名護市の屋我地島で生まれた。2013年2月4日に亡くなられた。著に1996年『ゴバン型集落 済井出村の源流』がある。98年に『達姓(大宗家)古堅・世系図』を発行しておられる。
1915年8月1日の『琉球新報』に「沖縄電気株式会社取締役社長・才賀藤吉 病気のところ昨夜死去」記事がある。才賀藤吉の名前は古堅哲さんの『うるまの灯ー沖縄の電力事業史』で知った。今はウィキで才賀藤吉の経歴や沖縄電気は詳しく知ることができる。「才賀 藤吉(さいが とうきち、1870年8月7日(明治3年7月11日) - 1915年(大正4年)7月29日は明治末期から大正初期にかけて活躍した実業家、代議士。各地の電気会社や鉄道会社の経営に参画し、電気王と称された。」

才賀藤吉、その書簡/1913年『日本紳士録』


1915年7月30日『大阪朝日新聞』「才賀藤吉氏逝く」


1983年11月 金城功『近代鉄道沖縄の鉄道と海運』ひるぎ社

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Posted by: ryubun02

〇違う意味で存在感を発揮しましたね。 日本の恥。〇つい妻を思い出して〇セクシーに気候変動問題に取り組みたいなら、まず は辺野古新基地建設を止めること。地球上で最もよくCO2を吸収するのはサンゴ。大浦湾には長さ50m、幅30m、高さ12mの巨大な青サンゴ群落があり、息を飲む美しさだけでなく、地球温暖化を食い止める重要な役割をも果たしている。セクシーにサンゴを守ろう。→親川 志奈子


 『福島民報』2019-9-29-終わりにもう一つ。二十五日、日米貿易協定に両首脳は署名した。安倍首相は両国が「ウィンウィンの関係」で合意したもので、今後の経済の発展に大いに資するだろうというようなことを述べたが、これに対してトランプ大統領は大満足の様子で発言しているのは当然である。日本にとっては牛肉や豚肉の問題では大きく譲歩し、自動車の関税問題は先送りにされた。アメリカには卑屈に、韓国に対しては居丈高にの姿勢は国際的に評価されないだろう。(小島美子、国立歴史民俗博物館名誉教授、福島市出身)

『神奈川新聞』9月17日ー誘致反対の姿勢を鮮明にしている横浜港運協会の幹部は、税金の使い方にも疑問を呈する。首都圏を直撃した台風15号は、同市金沢区の工業団地に甚大な被害をもたらした。それだけに「(誘致関連費の)2億6千万円があるなら、すぐに被災地支援に使うべきで、優先順位を完全に間違っている」と糾弾した。カジノに詳しい静岡大学の鳥畑与一教授は「誘致を推進するための補正予算の成立をそんなに急ぐ必要があるのか。『IRありき』との考えで、性急に物事を進めようとしている印象が強い」と指摘。


それでも激甚災害指定はしないんだ、

  「くろねこの短語」2019年9月16日ー(前略)芸人でさえ暴力団との関係はタブーだってのに、よくもいけしゃあしゃあとってなもんです。・武田国家公安委員長と竹本科技相に「黒い交際疑惑」が浮上!武田氏は元暴力団員から献金、竹本氏は暴力団幹部と記念写真!.そうかと思えば、痴呆じゃなかった地方創生大臣の北村某が一部住民が反対しているダム建設について、「誰かが犠牲(になり)、協力して役に立つことで世の中は成り立っている」とまるで「犠牲」になることを押し付けるような発言をしてくれちゃってます。このオッサン、大臣就任会見でも、「引き継ぎがないので答えられない」なんてことを平然と口にして、そのボンコツぶりが評判なったばかりなんだね。
 もっとも、こんなことはハナからわかってようなもので、だからこそ「廃品回収内閣」だの「でがらしお友達内閣」だの「在庫一掃・論功行賞内閣」だのと揶揄されているんだが、よくよく見てくると初老の小学生・ペテン総理も含めて19名の閣僚のうち14名が「日本会議」なんだね。そして、16名が「神道政治連盟」のメンバーってんだから、これはもう「日本会議・カルト内閣」って言ってもいいだろう。ポンコツぶりばかりに気を取られていると、この内閣の“本音”を見逃すことになりますよ。


全国ネットママの会-千葉の台風被害について、首相からの発信はFacebookもTwitterも一言もない事が判明しました。特に何も想いはないのでしょう。韓国の文大統領からは、11日に被害についてお見舞いのコメントが出ています。

 「くろねこの短語」2019年9月15日ー(前略)ならば国はどうかといえば、これがまたポンコツ揃いときてますからね。なんてったって、緊急対策本部すら設置せず、初老の小学生・ペテン総理は何しているかといえば、なんと昨日なんか文部科学副大臣の息子の結婚披露宴にご出席あらせられましたとさ。
・首相動静ー午後3時48分、東京・丸の内の東京会館着。同館内の宴会場「ローズWest」で亀岡偉民文部科学副大臣兼内閣府副大臣の長男の結婚披露宴に出席。午後5時26分、同所発。午後5時57分、私邸着。午後10時現在、私邸。来客なし。こんな状況で、顔も頭も貧相な官房長官・ガースは記者会見で、「台風被害の初動対応は迅速かつ適正に行った」とほざいくれちゃうんだから、ホント、国民も舐められたものです。
 ていうか、これはもうペテン政権による台風被災者の棄民だろう。マスコミも同罪で、今頃になって組閣中心の報道を反省するような素振りを見せているけど、そもそも千葉県の大規模被災についてどれだけの危機感を持っていたのか疑問なんだよね。NHKも民放も、入閣内定したってだけで速報流したりしてお祭り騒ぎをしていたことはけっして忘れない。・安倍首相、台風15号被害を激甚災害と見なさず千葉県民を見捨てる!




 2019年9月17日『産経』ー維新の会の松井一郎代表(大阪市長)は17日、東京電力福島第1原子力発電所で増え続ける有害放射性物質除去後の処理水に関し、「科学が風評に負けてはだめだ」と述べ、環境被害が生じないという国の確認を条件に、大阪湾での海洋放出に応じる考えを示した。大阪府と市は、東日本大震災の復興支援として、岩手県のがれき処理にも協力している。松井氏は大阪市内で記者団に「自然界レベルの基準を下回っているのであれば海洋放出すべきだ。政府、環境相が丁寧に説明し、決断すべきだ」と述べた。(略) 維新の橋下徹元代表はその後、ツイッターで海洋放出について「大阪湾だと兵庫や和歌山からクレームが来るというなら、(大阪の)道頓堀や中之島へ」と発信。小泉氏には「これまでのようにポエムを語るだけでは大臣の仕事は務まらない。吉村洋文大阪府知事と小泉氏のタッグで解決策を捻り出して欲しい」と注文をつけた。〇ネットの反応「ほんと松井は漢だね、絶対に他の首長からは出ない意見」「東京のための原発なんだから東京湾に流せばいいんだよ(≖ω≖)」「道頓堀に流そうぜw 飛び込む人も減るだろ(≖ω≖)」

 ●「くろねこの短語」2018年8月14日-(前略)それにしても、このところのオリンピックならなんでもありっていう風潮はほとんど国民総動員みたいなもんですね。それをまた新聞・TVが煽りまくるんだから暑苦しいことこの上ない。それもこれも、メディアがオリンピックのスポンサーになってるからなんだね。そんなんだもの、批判的な記事なんか書けるわけがない。夏の甲子園がどんなに球児にとって過酷であっても、主催している朝日新聞が省みることがないとのと同じです。
 ところで、阿波おどりがなにやら揉めているようで、どうやら徳島新聞が利権を抱え込んでいるのが原因らしいとか。そんな騒動の中、中止命令も意に返さず総踊りが決行されたんだが、「踊る阿呆は政治権力に屈しない」(阿波おどり振興協会理事長)とはお見事!
 最後に、昨日は亡くなった翁長沖縄県知事の告別式が行われ、鳩山ポッポや在日米海兵隊トップのエリック・スミス中将など、敵も味方も関係なく多くの弔問客が訪れた。沖縄が悲しみに包まれている時に、初老の小学生・アベシは何をしていかというと、かき氷を食べながらご満悦。それをツイッターでお披露目するという無神経さだ。こういう時くらいは、故人を偲んで哀悼の意を示すのが、政治家というより人としての謹みだろうに・・・。



‎阿部 浩美‎―いいねうるま市の皆さま、こんばんは✨すっかりご無沙汰しております。今日は鶴見ウチナー祭第四回に行ってきましたーーー????
まさか地元鶴見で沖縄ぜんざいを食べることができるなんて????うれしい✨????沖縄そばにタコライス、じゅーしー、サーターアンダギー、にんにくかまぼこ、パイナップルマンゴー氷、ポークランチョンミート、シークワーサー果汁…ついでにブラジルのコロッケ「コシーニャ」、生麦の「穴子一本揚げ」とお腹いっぱい‼️お天気も良く楽しい休日になりました????

‎佐竹美也子‎2019-9-23いいねうるま市ー昨日と今日は横浜市鶴見区の入船公園で「ウチナー祭」が行われました????屋台が出店してステージでは歌が披露されました心配してた雨も降らず楽しい1日でした❗

 水島朝穂エッセイ  直言 安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)2019年9月23日ー安倍政権では、災害のたびに、同じことが繰り返されている。くどいようだが、記憶を呼び起こしていただきたい。「平成26年豪雪」(2014年2月)の時は高級料亭で天ぷら、広島の豪雨災害の時はゴルフを中断せず(同8月)、熊本大地震(2016年4月)の時は、酒を飲んだ後の赤ら顔でぶら下がり記者会見、大阪府北部地震(2018年6月)の際は赤坂の料亭で高級しゃぶしゃぶ、西日本豪雨(同7月)の時はご存じ「赤坂自民亭」、台風21号(同9月)の時は、総裁選のための新潟訪問。北海道胆振東部地震(同9月)の時も「やってる感」を懸命に演出していた(直言「大災害と「大災相」」参照)。この首相は大規模災害における対応がまったくなっていない。この点、トランプも似た者同士で、9月1日の大型ハリケーン「ドリアン」の対応を理由に、ポーランドでの第二次世界大戦開戦80周年式典を欠席。ゴルフを楽しんでいるのをCNNがスクープした。


RANKO2019-9-19/やく・みつる2019-9-22

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 ★阿修羅♪掲示板

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1971年8月 沖縄の雑誌『青い海』夏季号 「自衛隊の沖縄配備をめぐって」


”自衛官への道〟を選んだ若ものたち〇そのうちの若もの父は、佐野真一の著作に詳しく紹介されているが、右翼団体の代表・・・・本誌編集部

高校生は発言する

自衛隊・沖縄配備の青写真〇自衛隊の”沖縄上陸〟が成功しても、将来、沖縄を二度と”日本の防衛„に利用すべきでない。・・・鍛治壮一・毎日新聞記者→1956年(昭和31年)東京大学教養学部卒業後、毎日新聞社に入社。東京社会部記者として1965年(昭和40年)から航空担当となる。その後、サンデー毎日編集次長に就任。社会部編集委員などを歴任した。1985年(昭和60年)に同社を退社し、ジャパンタイムズ編集委員を経て独立。航空に関連する記事執筆を専業とするライターとなり、防衛・航空問題を専門とする。ほか、通産省委員など歴任した。ウィキ
沖縄返還と自衛隊・・・久住忠男・軍事評論家→くすみ-ただお1908-1993 昭和時代の軍人,軍事評論家。昭和4年海軍にはいり,20年中佐として南方軍総司令官寺内寿一(ひさいち)のもとで参謀をつとめる。28年から評論活動をはじめ,43年首相の諮問機関沖縄基地問題研究会の座長。本土なみの沖縄返還や核軍縮を主張した。平成5年12月21日死去。85歳。徳島県出身。海軍大学校卒。著作に「海軍自分史」など。コトバンク
沖縄防衛計画と、その意味するもの〇その強大化された日本の軍事力も”核〟を持たねば世界のベスト3には参列できない。・・・小山内宏・軍事評論家→1916-1978 昭和時代後期の評論家。小山内薫の次男。戦前,フィリピンのセント-トマス大に留学。戦後六○年安保を契機に反戦・平和の立場からの軍事研究・評論を展開する。「ヴェトナム戦争」「アメリカはなぜ勝てないか」などをかいた。東京出身。旧制成城高卒。コトバンク
沖縄デー 特設授業の周辺と若者の自衛隊観・・・大城勲・豊見城高校教諭
祖国・国家とはなにか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑江良逢

 〇『青い海』夏季号が読者に着いたころ、長髪の関広延さん、津嘉山政栄さんに出会うと「何だ、今度の特集は」と言われた。「僕は編集にはタッチしてませんが、津野編集長に言うときます」と応えた。関さん、津嘉山先生は、どちらも教員だから国の洗脳には敏感だ。関さんはこれを機に『青い海』に注目し始めた。
津嘉山政栄ー大阪で沖縄青年運動にも援助をおしまない人であった。大教組の関広延さんと行動を共にしていた。
1968年10月ー『大阪・沖縄県人屋良さんを励ます会ニュ-ス』第号(発行責任者・津嘉山政栄)/
1971年4月『沖縄差別』第1号□津嘉山政栄「大阪沖縄県人会『沖縄県人は訴える』を考える」、伊差川寛「醜い沖縄県人会」
/1971年8月『沖縄差別』第2号□津嘉山政栄「沖縄返還同盟の声明を考える」、金城良明「沖縄差別とわたし」/
1972年9月『解放教育』№15□津嘉山政栄「在阪・沖縄出身者の子弟の教育を考える」/
1976年2月ー全国解放教育研究会『沖縄の解放と教育』明治図書出版□津嘉山政栄「ウチナーンチュとして生きてきて」「在阪・沖縄出身者の子弟の教育を考える」、本村周広「山口重光君『事件』と沖縄差別」



『MAMOR』106号~108号ー 防衛省が編集協力しているからできる肉薄取材で、その活動内容と、自衛官の素顔に迫る、わが国唯一の自衛隊オフィシャルマガジン。




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2019年9月 俳句同人誌『天荒』64号 編集・発行人 野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536
〇編集後記ー地球温暖化による異常気象が続いている。フランスでは過去最高温度の45・9度を記録。アフガニスタン、南アフリカ、モザンビークなどの世界各地(日本も)で、豪雨、洪水、土砂崩れ、サイクロンなどの被災が拡大している。地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出。石油や天然ガスに比して多く排出するのが石炭。カナダ・英国・フランス・ドイツなどは廃絶の方向性を打ち出したが、日本は石炭への依存度が強く、建築中の火力発電所が17基もある。日本は世界の地球温暖化対策に逆行している。(延男)




1981年4月 野ざらし延男『沖縄俳句総集』「末吉麦門冬」/「原田紅梯梧」/「山田真山」

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野ざらし延男(同人)の本

出版舎Mugen 那覇市牧志1-4-31-2F ℡&fax098-863-2562 

2012年8月11日午後6時半~「おおしろ建・詩集出版祝賀会」八汐荘(℡ 098-867-1191)会費 本代込4,000円/会費のみ3,000円  お問合せ 090-9788-1414(高良勉)

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2019年9月19日沖縄県立博物館・美術館 沖縄美ら島財団事務所  /ジェームズ君、大湾ゆかりさん

2019年9月18日琉球芸能研究家・ジェームズ君/2016年7月5日~10日 那覇市民ギャラリー「核も基地もない みどりの沖縄を!沖縄平和美術展」


2016年7月3日 琉球サンロイヤルホテル「沖縄奄美連合会 定期総会/懇親会」/琉球芸能研究家・ジェームス君(James Rhys Edwards, https://ucla.academia.edu/JamesRhysEdwards)、窪田めぐみさん(沖縄県立芸大)


2016年8月3日『沖縄タイムス』ジェームズ・リース・エドワーズ「外来者の見た琉球芸能ー大新城忠勇伝 上」

2012年6月23日「いとまんハーレー」

本日は慰霊の日なので糸満のハーレーを英語塾の仲里正雄氏、ポール氏ファミリー、ジェームス君(James Rhys Edwards, https://ucla.academia.edu/JamesRhysEdwards)と同行し見物。正午には皆で黙祷した。

Koji Cozy Nakada Requio

Aleksey Tsykarev9月14日 ーDuring Q&A session received a lot of questions about the impact of language revitalisation initiatives in Karelia and around the world, what business can do to help indigenous languages, how to make languages borders and how to motivate youth.
Q & aセッションでは, カレリアと世界中の言語revitalisationイニシアチブの影響について多くの質問を受けました. どのビジネスが先住民の言語を助けることができますか, 言語の国境を作る方法と若者のモチベーションを高める方法.


2016年11月3日ー我が家に関西からの来客ー左から喜屋武千恵さん、新城栄徳、Koji Cozy Nakada Requio/左から大城尚子さん、新城栄徳、Koji Cozy Nakada Requio


2012年5月 『比嘉豊光写真集 全軍労・沖縄闘争』出版舎Muɡen(2012年8月ー豊見山和美さん寄贈)
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2010年10月ー比嘉豊光・西谷修『フォト・ドキュメント 骨の戦世 65年目の沖縄戦』岩波書店/2009年10月ー屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおすー記憶をいかに継承するか』(写真・比嘉豊光)世織書房


6月23日ー慰霊の日
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沖縄県立博物館・美術館「しまくとぅばで語る6.23」
上映会「島クトゥバで語る戦世」
座談会「6.23を表現する」□参加者・比嘉豊光(写真家・「島クトゥバで語る戦世」制作者)、新垣安雄(美術家)、高良勉(詩人)、知念ウシ
終了後、沖縄文化の杜の平良社長が南風原文化センターに行くというので、國吉さん運転で新城、謝花さんも同行した。南風原文化センターには前館長の大城和喜、奥原崇典、新垣安雄、高良勉、沖縄タイムス記者の城間有、知念ウシ親子をはじめ諸氏らが多数参集して賑わっていた。


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2019年9月7日14:00~15:30 沖縄県立博物館・美術館 美術館講座室 講師・金城美奈子「金城安太郎展 ギャラリートーク」


入口で名古屋の阪井芳貴さん(左)と出会う。/金城美奈子「金城安太郎展 ギャラリートーク」





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金城安太郎画「新城栄徳」

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 企画展ガイドブック『台湾 ~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~』

2019年9月6日~ 11月4日 沖縄県立博物館・美術館「台湾 ~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~」  
 台湾は人口約2300万人、沖縄最西端の島から111㎞の近い距離にあり、本県から最も近い外国です。特にアジアのなかでも沖縄の歴史や文化と深い関係があり、明治政府の「台湾出兵」から第二次世界大戦後まで日本による台湾統治の歴史が深く関係しています。
 本展示会では、まず台湾の歴史と住民について概観し、統治者の度重なる交代によって複雑な変転を遂げてきた台湾の歴史をたどりながら、近年急速な民主化を実現した経緯や背景を紹介します。また沖縄と台湾に関する刻まれた歴史の証跡、双方に見られる新しい文化の萌芽を紹介し、多様な民族と言語を有し、多様な文化を形成しながら発展する「隣のシマ」の歴史と文化を紹介します。→沖縄県立博物館・美術館




テープカットー玉城デニー知事、蕭宗煌・台湾文化部副大臣、王淑芳・台北駐日経済文化代表處台湾文化センター長、范振國・台北駐日経済文化代表處那覇分處長、張本光輝・琉球華僑総会会長、田名真之・沖縄県立博物館美術館長/川平朝清さん、豊見山愛さん

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 2021年9月 青山恵昭『蓬莱の海へ 台湾二・二八事件 失踪した父と家族の軌跡』ボーダーインク


左から青山恵昭氏、陳宝来さん、伊波博茂氏(福爾摩沙・中国語同好会代表)/宮城鷹夫さん、川平朝清さん

「台湾展」で陳列されている敗戦先の印支西貢(サイゴン)から台湾に送られた軍事郵便葉書、表裏。1946年2月15付。日本軍、仏軍、米軍晴海GHQの各検印がある。

 青山恵昭 2019-11-30 基隆駅から市営バスに乗って東北へ20分、かつての社寮島(今は和平島)へ渡る和平橋から右側の静寂な場所に「原住民会館」が建っている。八尺門漁港と正濱漁港の間に位置し、日本統治時代は琉球人集落のウミンチュたちが躍動したところ。

青山恵昭 2019-11ー27 きょうからキールンです。



□川平 朝清(かびら ちょうせい、1927年8月30日 - )は、台湾台中市生まれ、沖縄県育ちの元琉球放送(RBC)アナウンサー、元沖縄放送協会・日本放送協会(NHK)役員。昭和女子大学監事。 [編集] 人物 愛称は「カビラ・キヨシ」。バプテスト派のクリスチャン(日本バプテスト連盟)。妻は米国人で、3人の息子は、ディスク・ジョッキー・タレントのジョン・カビラ、元日本マクドナルドマーケティング本部長の川平謙慈、俳優・タレントの川平慈英。(ウィキペディア)

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2019年8月30日『沖縄タイムス』文化欄「百名朝敏の人物像判明 北里蝋管収録『茶屋節』演奏」→言語学者の北里闌(たけし)(1870~1960年)が1920(大正9)年に沖縄本島や宮古、八重山で歌謡を中心に採録された「北里録音蝋管(ろうかん)」

『大典記念 沖縄人事興信録』「百名朝敏」(タイトルに県はない)装画・山田真山


那覇市史だより11世 百名朝起/写真 11世百名朝起ー十二世 五男・朝盛=オトの養子に朝敏。六男・朝計

1922年5月6日『沖縄朝日新聞』「家扶 伊是名朝睦、内事課長 伊波興庭は老体の故もって辞職、総監督の尚順男は引退。今後は護得久朝惟、会計課長百名朝敏が尚家家政を掌ることとなる。」

鎌倉方太郎第1回「琉球芸術調査事業」(1924[大正13]年5月~1925[大正14]5月]ー伊東忠太との共同事業で、財団法人啓明会から1か年3000円の補助を受けてのもので、その内の1000円でドイツ製写真機タゴールを入手した。 東京美術学校写真科主任であった森芳太郎教授の特別指導を受け写真技術を習得。 「琉球芸術調査事業」の開始―「鹿児島経由で南航し、三日目の早朝那覇着、早速首里市役所に出頭して、市長高嶺朝教氏に会い、市役所内に写真の暗室を作って貰うことを願い出て許可を受けた」。毎日昼間は写真を撮影して歩き、夜は乾板を現像、首里城の龍樋から水を引いた師範学校の浴場で一晩中水洗いし、翌日乾かした。
尚家(中城御殿)を初めとする首里・那覇の旧家に所蔵される美術・工芸品の調査。中城御殿については「家扶百名朝敏氏に会い、(中略)各種芸術の写真の撮影、文献の調査等についても侯爵家資料の公開が重要なのでこれを願い出て協力を依頼した」(『沖縄文化の遺宝』276頁)。真栄平房敬氏によると「ウグシク(首里城)を救ったということで、仲座ゲンタツ氏―尚侯爵家の侍従役―の先導で野嵩御殿―中城王子妃―と会った」こともあるという(1999年1月29日談)。
この調査の期間中、沖縄県師範学校の「図画科教諭の西銘生楽氏の後任の役を引き受け、特に上級四年生のためには毎週二時間の沖縄美術史を講義。この「組の級長が屋良朝苗氏であった」。(波照間永吉2018-11-15鎌倉方太郎生誕120周年顕彰例会)

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2019年9月『月刊琉球』№69「幻の名著『沖縄の歩み』復刻記念シンポジウム」琉球館〒903-0801 那覇市首里末吉町1-154-102 ☎098-943-6945/FAX098-943-6947

後田多敦「史窓・東恩納寛惇のメッセージ」/しもじけいこ「宮古IN・バブル・オーバーツーリズムって??観光地になるということはどんなこと?水は?

与那嶺功「沖縄振興ー『明治維新150年』を問う 大東亜・植民政策・ナショナリズム⑬」/土岐直彦「安倍官邸『独裁』の不条理ー官僚支配・国会軽視・辺野古・・・」


大濱聡2019-7-15
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1973年4月ー国場幸太郎『沖縄の歩み』牧書店
目次-まえがき/1、けわしい戦争の雲ゆき/2、沖縄戦の悲劇/3、遠い昔の沖縄/4、江戸時代の沖縄/5、明治時代の沖縄/6、大正・昭和前期の沖縄/7、第二次大戦の沖縄/あとがき□主な参考文献・比嘉春潮『親稿 沖縄の歴史』三一書房、新里・田港・金城『沖縄県の歴史』山川出版社、太田昌秀『近代沖縄の政治構造』勁草書房、上地一史『沖縄戦史』時事通信社、沖縄県教職員組合編「これが日本軍だー沖縄における残虐行為」、平凡社刊『沖縄文化論叢』1~4、谷川健一編『叢書わが沖縄』1~6木耳社、中野・新崎『沖縄問題二十年』岩波書店、中野・新崎『沖縄・70年前後』岩波書店

2019年8月『月刊琉球』№68琉球館〒903-0801 那覇市首里末吉町1-154-102 ☎098-943-6945/FAX098-943-6947

しもじけいこ「宮古島・住民は幸せ??」/渡久山ミライ「宮古島への陸自配備について」/楚南有香子「島の未来を思う」

すねしまさく菜「西表IN・『東京西表島郷友会』総会に出席してー32年ぶりの再会」/与那嶺功「沖縄振興ー『明治維新150年』を問う 大東亜・植民政策・ナショナリズム⑫」/豊里友治「米軍による水道水の有機フッ素化合物汚染問題『太平洋のゴミ捨て場』にさせてなるものか」

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