1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』仝刊行会
山端立昌(大阪沖縄県人会連合会長/1996年2月死去・74歳)
山端立昌さんは、西平守晴沖縄関係資料室主宰の親友であった。ときおり資料室に見え、二人で『球陽新報』を配って歩いた話をしていた。また古書の高い沖縄本を資料室に寄贈してくれた。娘さんは琉舞の師匠であったが若くして亡くなった。

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1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「日吉松仁」
今帰仁・本部マーイ・『仲宗根家系譜ー安田・比嘉・日吉・三木』/『與那嶺家「カンター屋系譜」』

1997年12月『仲宗根家系譜ー安田・比嘉・日吉・三木』/1993年9月『與那嶺家「カンター屋系譜」』この家譜は大阪市生野区の日之出書房から2006年11月に入手した。仲宗根家は大阪沖縄県人会連合会第8代会長の日吉松仁(本部字浦崎出身)が発行したもので、監修は大阪府立大学講師・眞栄田義弘である。與那嶺家(與那嶺清吉・本部町字謝花出身)家譜を参考にしている。仲宗根家姻戚関係に長濱徳松沖縄ハム会長が居る。長濱会長は本部の字浦崎出身。大阪には沖ハムの営業所が東大阪市の自宅近くにあるので看板をよく見かける。先日の琉球新報賞会場で会長、社長と名刺交換をした際、沖ハム直営の販売を兼ねた複合施設をお願いしたが、採算的にどうだろうか?。ちなみに沖ハム八重山営業所は石垣市新川にある。

1985年1月『オキナワグラフ』「長寿沖縄一 本部町の長濱孫四郎さん(106歳)」


仲本幸智ハガキ/1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』/2012年8月13日『琉球新報』



1979年6月 沖縄の雑誌『青い海』84号 座談会「大阪で考えた”観光沖縄“」嘉手川重義・他4人

1981年、『ハイサイおきなわ』編集人 玉城利則、発行人は嘉手川重義(現大阪沖縄県人会連合会長)
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左が嘉手川重義氏、新城栄徳



1981年 沖縄の雑誌『青い海』11月号 107号


○(略)この物産振興会は、第三セクター方式ではなく、酒造組合、経済連、みやげ品組合、陶器組合、漆器組合、黒糖、パイナップル組合など沖縄のあらゆる製造業者から販売会社までが参加する会員方式をとり、会員の会費と物産売上げの手数料や斡旋料などによって費用の大部分が賄われている。

 事務局長には、元沖縄県大阪事務所所長の荻堂盛進氏が当り、展示即売場を兼ねた事務所は、那覇市58号線沿いの泊港近くにあり、東京と大阪の県事務所内に支所をおいている。荻堂事務局長は「世界の名酒・泡盛をはじめ、染織り、芭蕉布、漆器陶器類、黒糖、もずく類に至るまで、沖縄の物産は品質的にも秀れており、計画的な生産とより一層の販路の拡大を図れば、多くの人々がその恩恵に浴することができよう」と本土での販路拡大に期待をかけている。

 この期待に応うるべく、大阪支所長に今帰仁村出身の諸喜田達雄氏がこの重責に当ることになった。
諸喜田氏は戦中、沖縄県立農林学校(同期に琉球文化社の大城精徳)の時に鉄血勤皇隊に入り、本部町のまぶ山から東村の内福地まで転戦しつつ、九死に一生を得た「生き運」の強い人でもある。戦後は、北部農林高校を卒業して郷里の小学校で教鞭をとった後、農業試験場に勤務。29年に大阪在の兄、諸喜田太栄氏(精肉店経営)をたよって上阪。印刷業を20余年営むかたわら郷土芸能に魅せられて古典音楽を学び、野村流音楽協会事務局長、3年前には教師免許状もとるなどの趣味の人、でもある。


大阪沖縄会館・連合会長室で右が諸喜田達雄氏
バックの写真は歴代会長 左から幸地長堅氏 初代 昭和21年04月〜昭和22年05月/宮城清市氏2代 昭和22年05月〜昭和27年05月、4代 昭和32年05月〜昭和38年10月、6代 昭和39年10月〜昭和54年06月/豊川忠進氏 3代 昭和27年05月〜昭和32年05月/奥間錫氏5代 昭和38年10月〜昭和39年10月/山端立昌氏7代 昭和54年06月〜昭和58年08月/日吉松仁氏8代 昭和58年08月〜平成09年06月/諸喜田達雄氏9代 平成09年06月〜平成19年06月


1987年8月 津野創一編集協力『やまとの群星/関西で活躍する沖縄の県人たち』琉球新報社「諸喜田太栄」「諸喜田達雄」

沖縄県人会資料




1964年7月『オキナワグラフ』「大阪沖縄県人連合会主催/第二回関西沖縄芸能祭(企画編成・西平守晴)」







□「大阪」資料