1856年 琉球を紹介した(翁長良明コレクション)『フランク・レスリー ILLUSTRATED NEWSPAPER』

1884年2月6日、大阪中之島の自由亭で尚典新婚帰郷の饗応に岩村通俊、西村捨三、建野郷三らが参加した。3月12日に大阪西区立売堀に鹿児島沖縄産糖売捌所が設立された。5月12日には大阪北区富島町で大阪商船会社が開業。8月、尚泰侯爵、西村捨三と同行し大有丸で那覇港に着く。→1996年6月『大阪春秋』堀田暁生「自由亭ホテルの創業ー大阪最初のホテルー」


2003年10月 大阪府立中之島図書館「道頓堀展」
1889年11月ー松山傳十郎(1866年10月~1935年2月7日)『琉球浄瑠璃』いろは家→「松山傳十郎」

1893年7月 村崎長昶(私立済々中学卒業後沖縄に渡り、沖縄芝居に係る。1894年6月台湾総督府官吏、数年後書店を起こし台湾に永住)・豊好戞郎 『琉球踊狂言』三重新聞社→国会図書館デジタルアーカイブ

□1893年、角座の仕打澤野新七他一名の代理寺内某が来沖し、料理屋「東家」の協力を得て沖縄芝居の俳優らを雇い関西興行をなす(7月・大阪角座、8月・京都祇園座、9月・名古屋千歳座)。俳優のひとり真栄平房春は病没し大阪上町の了性寺に葬られた。1893年7月『歌舞伎新報』「琉球芝居ー沖縄県琉球には昔より音楽師と称えて一種の歌舞を演奏するもの士族の間に伝えられ居たるところ去る明治22年中いづれも俳優の鑑札を受けて我が役者の如きものとなり其の組5組もあるよしにてこのたび其の一組が大阪角の芝居へ乗り込むことに決定し既に去る2日を以って那覇港を解覧し本日ごろは遅くも到着したる手筈なるがー」
「琉球国演劇」の横断幕があるのが角座。下が角座で配られたもの


「角座」(翁長良明コレクション)


□沖縄芝居ー1893年に大阪・京都・名古屋で公演
◇1991年1月、池宮正治琉大教授と電話で大阪の新聞で沖縄関係を調べているとの話をすると、それなら芸能、特に渡嘉敷守良の芝居も心がけて見てくれと示唆された。それで見当をつけて中之島図書館で大阪朝日新聞、大阪毎日新聞を、京都府総合資料館で日出新聞、名古屋では扶桑新聞をめくると次々と沖縄芝居の記事が出てきた。国会図書館にも行き雑誌も見た。

1897年2月26日 大田朝敷、小川鋠太郎や西常央らとともに沖縄人類学会の発起人となる。

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1906年1月 渡嘉敷一派「オセロ」
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1906年4月渡嘉敷一派「ロメオエンドジュリエット」/沖縄座「ヴエニスノ商人(人肉質入)」「ロメオエンドヂユリエット


1983年7月『写真集・なにわ今昔』毎日新聞社「道頓堀」(左の写真が角座)

1894年5月 『早稲田文学』第63号 佐々木笑受郎「琉球演劇 手水の縁」




1895年9月 小那覇朝親『古今琉歌集』上卷 沖縄印刷所(宮井悦之輔)
※1907年4月 首里区字山川252小那覇朝親 腸チブスで死去

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1902年12月『第五回内国勧業博覧会観覧必携 大阪全図 附神戸 博覧会場見取図附』作成者 印刷兼発行所 大阪市東区北久宝寺町 田村豊成堂

1913年4月25日~11月22日『大阪毎日新聞』菊池幽芳「百合子」

1913年10月6日ー大阪道頓堀浪花座で「百合子」劇が開演、百合子役に川上貞奴。来阪中の眞境名安規(桂月)が琉球踊りアヤグを指導。


1914年3月

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1919年ー京都都踊りで琉球太鼓踊りー1995年1月19日『琉球新報』「人気あった琉球の太鼓踊りー大正8年 京都の都おどりで」/下はその時の絵葉書、左が巴紋の幕の前で万国旗をかざす踊子たち。右が太鼓踊り
□1919年3月12日『日出新聞』「都踊ー『今紫四季栄』平和踊・御越わん、里前御扶齎したぼれエイヤヨヌ平和の日(ひゃるがひー)ー」




上ー1995年1月19日『琉球新報』「人気あった琉球の太鼓踊りー大正8年 京都の都おどりで」/下はその時の絵葉書、左が巴紋の幕の前で万国旗をかざす踊子たち。右が太鼓踊り
□1919年3月12日『日出新聞』「都踊ー『今紫四季栄』平和踊・御越わん、里前御扶齎したぼれエイヤヨヌ平和の日(ひゃるがひー)ー」

1919年9月14日ー『沖縄時事新報』

1920年5月 『地方行政』小林次郎「沖縄の特殊行政」


1925年11月『沖縄タイムス』
1932年
●山里永吉の戯曲「那覇四町昔気質」が琉球新報に掲載されたのは昭和7年3月で、山里はその後記で「この戯曲は多分13日から大正劇場で上演されると思うが、考えて見ると大正劇場に拙作『首里城明け渡し』が上演されたのが一昨年の今頃、ちょうど衆議院の選挙が終わった当座だったと覚えている。それから昨年の正月が『宜湾朝保の死』、今度の『那覇四町昔気質』と共に尚泰王三戯曲がここに完成した」と述べている。

1930年11月 那覇の平和館で①「百年後の世界(原名メトロポリス)」/「江戸城総攻メ」上映
①『メトロポリス』(Metropolis)は、フリッツ・ラング監督によって1926年(大正15年)製作、1927年に公開されたモノクロサイレント映画で、ヴァイマル共和政時代に製作されたドイツ映画である。
製作時から100年後のディストピア未来都市を描いたこの映画は、以降多数のSF作品に多大な影響を与え、世界初のSF映画とされる『月世界旅行』が示した「映画におけるサイエンス・フィクション」の可能性を飛躍的に向上させたSF映画黎明期の傑作とされている。SF映画に必要な要素が全てちりばめられており「SF映画の原点にして頂点」と称される。→ウィキペディア
□1985年2月 那覇の国映館で「メトロポリス」上映


1930年11月『沖縄朝日新聞』


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青年劇1935

1935年

旭館


平和館


1936年11月


1937年6月 那覇の旭館で「世界の終り」上映


1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「久高長秀」

1938年2月 那覇の旭館で「巨人コーレム」上映□『巨人ゴーレム』(きょじんゴーレム、Le Golem)は、1936年にチェコで制作されたモンスター・ホラー映画。→ウィキペディア

1938年3月、那覇の旭館で漫画祭、パラマウント映画「ポパイの快投手」「ポパイの動物園荒らし」上映
1938年3月 那覇の平和館で「禁男の家」上映□『禁男の家』( きんだんのいえ、原題: Club de femmes )は、1936年に製作されたフランス映画。1956年に『乙女の館』という作品で再映画化されている。→ウィキペディア


1957年 大阪道頓堀


1938年5月 那覇の平和館で「プラーグの大学生」上映□1937, プラーグの大学生, 独(アルツール・ロビンソン/アドルフ・ウォールブリュック、ドロテア・ウイーク).
1939年6月『沖縄日報』 『透明人間』(THE INVISIBLE MAN:1933年、ジェイムズ・ホエール①)
①ジェイムズ・ホエール(James Whale, 1889年7月22日 - 1957年5月29日)は、イギリス出身の映画監督。ホラー映画の制作でよく知られており、代表作は『透明人間』、『フランケンシュタイン』、『フランケンシュタインの花嫁』など。→ウィキペディア
映画 [編集])→ウィキペディア
『透明人間現わる』(1949年、大映、安達伸生・円谷英二特撮)
『透明人間』(1954年、東宝、小田基義・円谷英二特撮)
『透明人間と蝿男』(1957年、大映、村山三男・的場徹特撮


1939年8月21日『沖縄日報』


テニアンの朝日劇場ー1940年 この年、儀間比呂志が南洋群島へ渡り、テニアンに落ち着き、芝居小屋「朝日劇場」の球陽座で大道具などの仕事をしながら生活する。



1940年1月


1940年2月 那覇の旭館で「ロイドのエジプト博士」上映
○ハロルド・クレイトン・ロイド・シニア(Harold Clayton Lloyd, Sr., 1893年4月20日 - 1971年3月8日)は、アメリカ合衆国のコメディアン。1920年代を主に活躍したサイレント映画の大スターで、日本ではチャーリー・チャップリンやバスター・キートンと並ぶ「世界の三大喜劇王」と呼ぶことが多い。→ウィキペディア


1941年 大阪えびす座で護佐丸を演ずる大宜見朝良、大宜見小太郎、宇根伸三郎

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前列左から當間次長、前田所長、兵庫県人会婦人部ー大城一史の作品を背景にして/1980年8月、沖縄県大阪事務所で「第1回観光フェア」、黒メガネが大城一史氏


1993年「エイサー」/1978年7月 『七がつエイサー』福音館書店



1997年11月 宜保榮治郎『エイサー 沖縄の盆踊り』那覇出版社/1998年3月 沖縄市企画部平和文化振興課『エイサー360°ー歴史と現在ー』沖縄全島エイサーまつり実行委員会

伊良波尹吉
2000年7月9日『琉球新報』新城栄徳(書評)ー新里堅進『奥山の牡丹』与那原町教育委員会/私と芝居との付き合いは粟国島で生まれた時からで、私の実家の近隣は首里士族の末裔だと称し集まり実家の隣に「首里福原」という集会所を造った。そこでは毎年旧正月に村芝居が上演され、私の父(新城三郎)も一度だけ「金細工」のモーサー役と二才踊りで出演、母方の伯父(玉寄貞夫)は「伊江島ハンドーグヮー」のカナーヒー役で二度も出演したと当時の記録にある。私の9歳のときには伯父が照屋林助、嘉手苅林昌を粟国に連れてきて民謡ショーを開いたという。

私は家族と11歳のとき、那覇に移り住んだ。那覇劇場、テレビの郷土劇場、沖映演劇と沖縄芝居や舞踊、特に歌劇をよく見るようになった。その間には伊良波冴子の歌劇「泊阿嘉」での思鶴役の美声は歌劇の世界を十分に楽しませてもらった。その兄の伊良波晃は一度だけ沖映近くの銭湯で一緒になった。本書の主人公の伊良波尹吉の息子と娘である。1979年3月、私たち親子は大阪御堂会館で青い海出版社主催の歌劇「伊江島ハンドーグヮー」を見た。ハンドーグヮー役は兼城道子、マチグヮーに伊良波冴子、カナーヒーに伊良波晃、船頭主に真喜志康忠、村頭が大宜見小太郎であった。

前出の歌劇と我如古弥栄作「泊阿嘉」と、尹吉作「奥山の牡丹」「薬師堂」は沖縄の四大歌劇として燦然と輝いている。人生には光があれば影もある。特に芸能はさまざまなヒダがある情念の世界で倫理だけでは捕えにくい文学・芸術と共通するものがある。本書は尹吉の沖縄に生まれたがゆえに歩んだ光と影の人生を鬼才・新里堅進を得て見事に描ききっており、中でも日本帝国の超国家主義への歩みから沖縄戦へのさりげない描写は新里でなくては描けぬものである。

本書は文字通りに与那原が生んだ「沖縄歌劇の巨星・伊良波尹吉物語」で、尹吉の足跡と沖縄演劇界の動きを網羅した詳細な年表、変遷図、関係者の証言とともに21世紀沖縄への贈り物である。
私は「むんじゅる節歌碑建立期成会」で碑文検討委員、記念誌編集委員を担当した。沖縄芸能研究家の宜保栄治郎氏、當間一郎氏、仲宗根幸市氏に原稿を依頼、記念誌に華を添えてもらった。無論、私もコラムを書いた。

2002年5月19日ー大阪厚生年金会館大ホール「沖縄本土復帰三十周年記念・大芸能祭」(主催・大阪沖縄県人会連合会)



2003年10月18日『沖縄タイムス』新城栄徳(書評)宮城正雄『舞台ー関西沖縄芸能とのふれあい』」
 ○ご存知の方も多いと思われるが、関西を代表する県人会に「沖縄県人会兵庫県本部」がある。その機関紙『榕樹』に連載した「関西沖縄芸能とのふれあいー私のかかわった芸能公演メモ」をまとめたのが本書である。私は連載中から機関紙担当の永峰眞名さんに「本になったら貴重な資料になる」と言ったことがある。最近、本書が郵送されてきた。
著者の宮城正雄氏は石川市出身で戦後、すぐ県人会運動に参加、兵庫県本部の経営する「うるま保育園」に労務管理能力を買われて園長。県人会の支部長、兵庫県本部の会長を歴任し、傍ら沖縄芸能公演の演出、舞台監督を務めたことが本書を生んだ。掲載した119件の沖縄芸能公演のうち113件が直接にかかわったものというから驚く。
著者の盟友・諸喜田達雄氏(大阪沖縄県人会連合会会長)は序文で「古里を遠く離れ、住みなれない都会生活を営む沖縄県人の上には、大きな壁がありました。(略)職業のちがい貧富の差を越えて郷土を愛する同志が集まり、お互いに同胞意識を高めてきました。連帯感を深めて行くテレパシーの電流が通じ、今日では世界に類のない沖縄芸能が関西の地にも根強く発展・継承されて来ました」と記し著者の功績を称えている。
木津川が見える京都の飯岡に沖縄のエイサーの元祖とされる袋中上人の墓があり京都三条大橋のたもとには上人が開山した檀王法林寺がある。今でも県人が多い大阪の木津川周辺はヤマトとの芸能交流もした「江戸上り」の通路であった。廃藩置県後、1893年に沖縄の俳優、囃子方で構成する琉球芸能が大阪角座、京都祇園座、名古屋千歳座で公演された。これがきっかけで1919年、京都の「都踊」で琉球の太鼓踊りが人気となった。
県人の側では音楽家・又吉栄義、普久原朝喜、興業の金城南邦、大宜見小太郎らが戦前の関西芸能界で活躍した。本書を基にヤマト、世界との芸能交流史にまで発展することを期待したい。



諸喜田達雄大阪沖縄県人会連合会会長/喜納兼一沖縄県人会兵庫本部会長
2003年11月16日 尼崎アルカイック大ホール「野村流古典音楽保存会創立30周年記念公演」
2004年10月24日ー守口市市民会館「八重山ふるさと芸能祭」(主催・近畿八重山郷友会)

2006年5月14日ー高槻現代劇場大ホール「うりずんの風に舞う」(東京・沖縄芸能保存会・児玉ひろ子琉球舞踊研究所)
 
2008年11月30日ー尼崎アルカイックホール「野村流古典音楽保存会関西支部創立35周年記念公演」

2009年10月9日、みどり印刷(〒903-0823 那覇市首里大中町1-36 ☎FAX098-884-3702)の石川和男氏を訪ねると、「琉球舞踊阿波連本流関東啓扇会・阿波連とも子琉舞研究所」の新教師免状披露公演のポスターとチラシがあった。みどり印刷で印刷したものだ。沖縄の人が多い川崎市の琉舞公演のポスターを古都・首里、つまり本場で印刷するというのは理にかなっている。新教師の當山薫と米須さやかの披露公演は今年の12月13日(日)の午後1時30分よりJR川崎駅近くの川崎能楽堂で行われる。問い合わせ・予約は090-2646-0256(阿波連)・044-233-2556(米須)まで。
2014年2月 2009年10月14日の琉球新報を見る永峰眞名通信員が兵庫県立歴史博物館で10日から特別展「国宝沖縄・琉球王国の美」が始まったことを紹介している。10日午後には那覇市歴史博物館の仲嶺絵里奈学芸員が「琉球王国尚家関係資料と伝来衣装について」と題し講演した。仲嶺さんは琉球舞踊を阿波連本流啓扇会の阿波連ミネ子師匠に学び、姉とともに西原町で「仲嶺麗子・絵里奈琉舞研究所」(☎098-946-1269)を開いている。

島尾伸三氏から沖縄文化の杜の金城美奈子さん宛に展覧会チラシが送られてきた。
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2012年4月28日~8月26日 神戸文学館「神戸の作家たちと沖縄」展


2014年2月26日 『沖縄タイムス』謝花直美「尼崎ぬ琉歌ー沖縄人の経験 宮城正雄さん」   

2016年4月3日 人形劇団かじまやぁ「なにわ人形芝居フェスティバル」にチョンダラーで参加
かじまやぁ美術館情報 ここをクリック「http://kuwa.ti-da.net/