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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

古美術なるみ堂の翁長良明さんのところで城間恒有発行の書物を見た。一部だけなので奥付が無く発行年が分からない。国会図書館には『工工四』城間恒有 [作] ; 松村真信 [編], 楽声会, [昭和8]があるが同一なものか。

写真ー前列右端が城間恒有、後方に池宮喜輝。城間については池宮喜輝『琉球芸能教範』月刊沖縄社に詳しい。/翁長氏愛蔵の「志堅原比屋の三線」


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池宮喜輝と東恩納寛惇

□池宮喜輝(73)は琉球音楽と仏教の声明(ショーミョウ。補助楽器を用いない声楽)念仏と琉球古典曲との関係を探求した。高野山大学で中山僧正に琉球古典曲「十七,八節」を歌三味線で紹介したら「これは比叡山の天台声明にちかい」との話で、さっそく同僧正の紹介状をもって比叡山に行き、比叡山音律研究所の教授・中川僧正に会い古典曲「十七、八節」を聞かせたら「この曲は、音律、節回しなど声明と密接な関係がある」といわれた。弘法大師時代にできた声明(浄土声明その他)が袋中上人の時代に琉球の風土に移植され、さらに湛水親方によって、古典曲としての面目があたえられたと、池宮は見ているのである。

1987年1月 池宮喜輝『琉球芸能教範』月刊沖縄社
池宮は15歳の頃に空手を赤畑の安座間の島袋という人物の自宅に通い習った。同門に山城正沢、宮里良栄とか、田頭、渡口といった弟子が6,7名だった。後に西の東恩納先生に弟子入りした。その時の相弟子に宮城長順、許田重発や首里の島袋がいた。

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2018年8月3日~9月24日 那覇市歴史博物館「首里・那覇のお菓子たち」
 
 琉球王国時代、中国からの冊封使や薩摩藩の在番奉行をもてなすのに出されたのが、料理であり、菓子でした。王家の祝儀や法事でも特別な料理やお菓子がだされました。当時、料理やお菓子を作る人を包丁人といいますが、包丁人が作る料理やお菓子は接待用であり、儀礼用で、庶民の口には入りませんでした。
1879年の琉球処分(沖縄県設置)以降、中国や薩摩藩への接待はなくなり、包丁人は活躍の場を求めて、首里・那覇に下りていきました。首里・那覇では、自由に商売が始められ、本土から菓子職人や製造技術も入り、お菓子専門店も開店しました。庶民が求めやすいお菓子も作られましたが、通常は行事ごとのお菓子を作るのが普通でした。
今回の企画展では、接待用のお菓子から庶民が口にするものまで、首里・那覇を中心に作られたお菓子の数々を写真パネル等で紹介します。










 2020-4-2 「ぎぼまんじゅう」

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2081年6月17日 「中之橋上空」ひより撮影/ひより、「ゆいむい」で撮影



2018-3-31 ひより、初めての写真撮影


博物館・美術館に行く道


2018-9-15 ひより、いもうと撮影

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2018年8月5日 


2016-11 ひより「作品」


2019年2月10日 沖縄県立博物館・美術館 左から萌子さん、ひより


2015-3-27 沖縄県立博物館・美術館


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仲里正雄・撮影「さがり花」
美しい那覇の風景


2015年3月27日 那覇市若狭


2015年3月28日 那覇市おもろまち


2016年3月1日

2016年3月1日


2016年3月3日

2016年3月3日


2016年2月29日 与儀公園

2016年1月29日 沖縄県立博物館・美術館上空



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新宿 THE GALLERY 1(〒163-1528新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階 ニコンプラザ新宿内) 2018年7月17日(火)~7月30日(月)「生誕100年記念 山田實写真展『きよら生まり島 -おきなわ』 」
トークイベント: ※申込不要・参加費無料
2018年7月17日(火)19:00~20:30
仲嶺絵里奈(写真史家)×鳥原 学(写真評論家)
2018年7月28日(土)19:00~20:30 金子隆一(写真史家)

 山田實(1918~2017年)は、いま世界的にも注目されている沖縄写真の礎を作った写真家である。
 沖縄戦で命も歴史も失われ、真っ白になって始まった「アメリカ世」の沖縄でカメラを持った山田實が見たものは、普通に生きている沖縄の男や女そして子どもたちであった。そのまなざしは、なにものにもとらわれない清々しくまっすぐなものである。そして山田の写真は、社会的な何ごとかを強く訴えるものではなく、表現として強固なスタイルを構築することや目指すものでもなく、あまりにも普通のことを普通に無造作に写し出している。それは山田實というカメラを持った人間が生きてきた沖縄という日常を等価に現しているといえよう。
 今あらためて山田實の写真を見ることは、占領から復帰を経てイメージ化された「美しい南の島・沖縄」に織り込まれ見えなくなった沖縄の日常の襞を掘り起こすだけでなく、山田實という写真家の「きよら」なまなざしを経験することとなるにちがいない。(ディレクター:金子隆一/写真史家)

2017年9月22日『沖縄タイムス』仲嶺絵里奈「展評ー山田實展」/2014年3月ー左から豊里友行氏、山田實さん、金子隆一氏、仲嶺絵里奈さん

山田實(やまだ みのる)氏プロフィール
1918年 兵庫県で生まれる
1920年 家族と沖縄に渡る
1941年 明治大学専門部商科本科卒業。日産土木株式会社入社、満州に赴任
1945年 北満州で終戦、シベリアに抑留
1952年 沖縄へ帰還、「山田實写真機店」開業
1959年 「沖縄ニッコールクラブ」結成(会長就任)
1972年 本土復帰に伴い、「沖縄ニッコールクラブ」は「ニッコールクラブ沖縄支部」に改称(支部長就任)
1978年 沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞
2002年 写真集『子どもたちのオキナワ 1955-1965』刊行、地域文化功労者表彰、沖縄県文化協会功労者賞受賞
2012年 『山田實が見た戦後沖縄』刊行、写真展「人と時の往来 -写真でつづるオキナワ」(沖縄県立博物館・美術館)
2013年 第29回写真の町東川賞 飛騨野数右衛門賞受賞
2017年 逝去
パブリックコレクション 沖縄県立美術館、東京都写真美術館、北海道 東川


2018年7月22日(日)から 8月19日(日)までの夏休み期間、名護市喜瀬の万国津梁館では沖縄の新旧の芸術文化・作品に触れることが できる2つの展覧会、「山田 實(みのる)写真展」並びに「粋な名工展」を開催。


山田實の本

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2018年8月11日ー11月4日 東京都写真美術館「夢のかけら」〇山田實作品も展示されている。
 TOP コレクションは、東京都写真美術館の収蔵作品を紹介する展覧会です。今年のテーマは「たのしむ、まなぶ」。この展覧会は、大人と子供、さまざまな立場の人たちが見たものや感じたことを自由に語りあって、作品の見方を深めていく、そんな光景が自然と生まれてくることを目指しています。本展では、「大人+ 子供×アソビ」、「なにかをみている」、「人と人をつなぐ」、「わからないことの楽しさ」、「時間を分割する/積み重ねる」、「ものがたる」、「シンプル・イズ・ビューティフル」、「時間の円環」という8 つのセクションに分けて34,000点以上におよぶコレクションの中から選りすぐった古今東西の名品をご紹介していきます。
出展アーティスト: ジャック・アンリ・ラルティーグ、林ナツミ、井上孝治、ロベール・ドアノー、山田實、井手傳次郎、 W.ユージン・スミス、本城直季、フェリーチェ・ベアト、ナダール、岩合徳光、ハロルド・ユージン・エジャートン、石田尚志、瑛九、竹村嘉夫、今道子、篠山紀信、川田喜久治、宮崎学 ほか→東京都写真美術館は、1995年、目黒区三田一丁目にある恵比寿ガーデンプレイス内に総合開館した、国内唯一の写真と映像専門の公立美術館。改修による2年間の休館の後、2016年秋にリニューアル・オープンした。
 
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左ー戦没者の追悼と平和を祈る平和祈念像を彫る故・山田真山氏ー宜野湾市(山田實さん撮影)

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1973年4月 雑誌『青い海』22号 仲程正吉「先島の悲歌 島の女の悲しい悲しみ」

1965年10月『沖縄新潮』創刊号□発行人・仲地吉雄、編集人・仲程正吉

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1969年10月 仲程正吉『琉球芸能写真史』副島豊一

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1981年2月『青い海』「出版王国 沖縄のいまむかし」(座談会・佐久田繁、仲程正吉、桑高英彦、太田良博、津野創一)

 
仲程正吉氏

2001年7月 宮里朝光監修『沖縄門中大事典』那覇出版社(仲程正吉編集)□馬姓(氏)ーP.218~220






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1974年4月 雑誌『青い海』32号 大浜聡(NHK東京)「島影追想」

大濱聡「八重山の旅」
7月10日
■森口 豁氏(フリージャーナリスト)との八重山の旅、台風8号接近のため2日前倒しで帰ってきました(本日搭乗予定の航空機は欠航になったため正解でした)。「しばらく八重山便りが続くかもしれません」と予告しましたが、西日本の大雨被害を見るにつけ、誰かさんのように大雨の最中、且つオウムの死刑執行前夜に賑々しく開かれた宴会の写真を自慢げに投稿するような神経は持ち合わせていないため、旅先からの投稿を自粛していました。
■台風は今後、八重山に接近していくようです。今回は鳩間島、西表島、石垣島の皆さんと身近に接してきただけに、いつも以上に心配です。大きな被害がないよう祈っています。

7月4日

■ここ3週間で、我が石垣島を含む八重山を舞台にした森口 豁氏(フリージャーナリスト)の著書4冊を10-30年ぶりに読み返しました。というのも、明日から石垣、鳩間島の旅をご一緒させていただくことになり、復習のため改めて読み直ししたものです。
氏は沖縄での新聞記者を経て、日本テレビのディレクターとして沖縄をテーマに数々のドキュメンタリーを制作。数多いTV制作者の中で最も沖縄に寄り添い、沖縄を理解し、且つ優れた作品を作り続けた敬愛する大先輩です。
■ご本人は「弥次喜多道中の旅」と言われますが、私としては石垣で合流する地元在のU氏とともに、黄門様に従う助さん、格さんのつもりでいます。3名は30余年前、東京での沖縄関係者の集まり「ゆんたく会」のメンバーでした。
■というわけで、明日からしばらく八重山便りが続くかもしれませんが、悪しからず。

大濱 聡 8月10日
■Media Literacy――安室追悼コメントについては私の中では完結したつもりだったが、FBで「NHKニュース7」では肝心の部分が「抜けて(抜いて)いる」との指摘が投稿され、内田樹氏の「『NHKは政府の広報になったのではないか』という批判にさらされている中でこういうことを敢えてやった以上、現政権と一蓮托生の覚悟を決めたということなんでしょうね」とのコメントが付いていたので、調べてみた。
■「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ――」といういわば核心部分を使わなかったのは「ニュース7」とフジテレビ「プライムニュースイブニング」だけで、他は当然のようにその部分を抽出して紹介していた。授賞式での翁長知事の気遣いも含めて、いちばん丁寧に紹介したのはNHK沖縄のローカルニュースだった。
■同じNHKでも「ニュースウォッチ9」はしっかり伝えていたので、「ニュース7」の扱いは意図的だったのか、単に編集責任者やニュースデスクのニュースセンスの欠如なのか。????
※私が確認できた範囲内で(17時台の全国ニュース除く)


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19802月15日 儀間比呂志、第14回沖縄タイムス芸術選賞大賞を受賞(城間有さん確認)


1980年8月26日~9月6日 大阪府立現代美術センター「儀間比呂志 版の世界展/」高橋亨・大阪府立現代美術センター館長「その木版画の根の深さ」

1983年8月29日『読売新聞』「青春紀行ー儀間比呂志 南洋の果て・・・沖縄の心」



1983年10月 沖縄物産センター「儀間比呂志 版の世界展」

沖縄物産センター



1984年3月26日~4月14日 みずさわ画廊(渋谷区千駄ヶ谷1-24-12)「儀間比呂志版画展」婦団連会長・櫛田ふき「沖縄の真実を刻む」霜多正次「儀間比呂志と沖縄ー沖縄では個人の家でも、喫茶店や飲屋でも、公共の施設でも、あちこちに儀間比呂志の木版画が飾られていて、彼が沖縄の人びとにひろく親しまれていることがよくわかる。・・・」


霜多正次 しもた-せいじ
1913-2003 昭和後期-平成時代の小説家,評論家。
大正2年9月5日生まれ。第二次大戦後,新日本文学会にはいる。米軍占領下の沖縄をえがいた長編「沖縄島」で昭和32年毎日出版文化賞。新日本文学会をはなれ,40年日本民主主義文学同盟設立につくす。46年「明けもどろ」で多喜二・百合子賞。平成15年4月16日死去。89歳。沖縄県出身。東京帝大卒。旧姓は島袋。評論に「文学と現代」など。(コトバンク)


1985年8月『版画藝術』室伏哲郎「わが胸の沖縄のここには・・・・」

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左から仲里渚善さん、平良昭隆氏、平良知二氏、百恵さん/寛仁くん親子

花城良廣氏「乾杯のあいさつ」






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沖縄コンベンションセンター/写真左から新城栄徳、仲松庸次氏(1952年沖縄県那覇市首里生まれ。城西小,首里中,首里高,金沢大卒。現在,沖縄県読谷村で学習塾。大学では心理学を専攻)京子さん(曽根信一の娘さん)


2018年7月6日 末吉安允氏と某団体の灯籠流しに参加した。右が末吉安允氏


1970年8月 『太陽』「今月の人ー曽根家の人たち」左から3人目が曽根信一氏


「ニッコールクラブ写真展」(沖縄三越)ー石垣里公(書道教師)、森幸次郎(沖縄県庁広報)、平良正一郎(ソベ電器)、又吉(医師)、山田實、有銘盛紀(那覇市役所)、曽根信一、ビセ(那覇市役所)小橋川門副(写真館)、上江洲清徳(南映劇場) 、伊元源二(沖縄県庁)


1996年11月 曽根信一『読谷山路を行くー読谷村の旧跡案内ー』(編集・村山友江、知花孝子)セルフ塾〇読谷山道路元標-1919年/特牛節元歌「大北(うふにし)のこてや なじき葉ど好きよる わした若者や 花ど好きよる」/釈迢空の歌「をとめ居て、ことばあらそふ声すなり。穴井の底の くらき水影」「処女のかぐろき髪を あはれと思ふ。穴井の底ゆ、水汲みのぼる」「島の井に 水を戴くをとめのころも。その襟細き胸は濡れたり」/よしやと仲島の大石「島もとなどなと こばもそよそよと 繋ぎある牛の 鳴きゆらとめば」


金城安太郎展の情報の紙面展開がタイムスは新報に比べて少ないので、6月8日にタイムス出版部の後田多敦氏を訪ねた。氏は6月16日のタイムス文化欄に「琉球の美を求めてー金城安太郎と沖縄美術」を書いたという。そのうち四方山話になり球陽日本画会のことで謝花雲石の名前が出て、写真家の山田實さん保管の雲石の戦前の作品の話になった。後田多氏、学芸部の友利記者に連絡、3人で話をしているうちに取材に行こうということになった。この場合、取材する側、作品を解説する人と山田さんの都合が合わないと取材は成立しない。電話で都合を確認するとお互いに運悪く(?)都合は良いとのこと。新報との兼ね合いもあるというのに。

私が雲石と出会ったのは中学のころ、見聞きしたことがあるが本格的に興味を持ったのが、1972年2月10日、亀岡の大本本部に奉仕活動に来ていた金城ひろみさんに誘われて那覇での大本「琉球国魂鎮座祭」に参加し大本に関心を持ったときである。雲石は戦前から大本の信者であることが分かり親しみを持った。以来、雲石周辺に居た人たちとも出会った。曽根信一(名刺の字は雲石書)照屋栄一親泊元高山田實らの諸氏とも出会うことになる。それはともかく、タイムスには6月9日に「謝花雲石戦前の書見つかる」として1面に載った。新報は山田氏の明治大学の戦後の後輩、宮城記者が取材し、6月17日に「謝花雲石の戦前作発見」として23面に載った。(2009-6-19記)

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1987年2月 福地曠昭『少年護郷隊 スパイ遊撃隊による山中ゲリラ戦』沖縄時事出版
〇護郷隊(遊撃隊)の沿革・・・遊撃隊は護郷隊とも呼ばれ、大本営直轄の秘密部隊でゲリラ戦を任務としていた。実は、遊撃隊のはしりはニューギニアである。日本がそこで敗けたとき、現地のパプア族を基幹として第一遊撃隊をつくり、異例の武勲を立てた。住民の駆り出しに味をしめ、次にはフィリピンで敗退のとき、現地人をもって第二遊撃隊を編成した。スパイ教育で有名な陸軍中野学校では参謀本部軍事調査部という名でこういった特殊任務要員を養成していた。
 沖縄戦においても、大本営はこの遊撃隊を編成したのである。昭和19年9月9日、中野学校で特殊教育をうけていた陸軍大尉村上治夫ら幹部が、第三遊撃隊、第四遊撃隊を編成しに来島した。ニューギニア、フィリピンにつぐ編成順序である。軍司令部に着任申告が行われた。北部の山岳密林地帯で策動するため編成に着手した。遊撃隊は隠密部隊であるので、それをかくすためわざと「自分たちの郷里は自分たちで護れ。」といって「護郷隊」(郷里を護る)と名づけた。直ちに戦力化できる青年学校生を招集して部隊編成を行った。16歳から19歳までの青年たちが根こそぎ動員されることとなる。二段かいで編成された。

 〇 目取真俊ブログ「海鳴りの島から」2008-01-24 02:15:11 | 日本軍の住民虐殺 沖縄戦の歴史歪曲が右翼勢力によって進められている。「集団自決」(強制集団死)だけでなく、いずれ日本軍による住民虐殺に関しても、歪曲や隠蔽を行なってくるだろう(すでに一部では始められているが)。それを許さないためにも、改めて沖縄戦体験者の証言を読んでおきたい。具体的な事実を持って反論することが、何よりも大事だからである。
 私自身、生まれ育った村で起こった住民虐殺について、両親や祖父母から話を聞かされてきた。私の父や祖父も日本軍に命を狙われた体験を持っている。そういう地域で起こった事件に関しては、戦争体験者からの聞き取りを早急に進めなければ、と考えている。沖縄戦に関しては、膨大な資料を掲載したホームページやブログがいくつもある。今さらという感もあるが、まずは私自身が考えるための資料として整理し、まとめておきたい。
 最初に福地曠昭『少年護郷隊』(沖縄時事出版)より紹介したい。今帰仁村の宮城康二氏の証言を福地氏がまとめたものである。宮城氏は昭和二年十一月の生まれ。戦争中は沖縄島北部の山岳地帯でゲリラ戦を行った第一護郷隊に召集されていた。

1968年6月『護郷隊』護郷隊編纂委員会
〇上地一史「発刊に寄せて」/村上治夫「発刊のことば」/吉元栄真自由民主党副総裁「護郷隊を偲ぶー『陛下の為ならば』という合言葉で、花ならば蕾ともいうべき若人たちは、一途に国の人柱として立ち上がり、村上隊長と共に、秘密遊撃隊の戦士として、北部の山河を駆け廻ったのである」/松岡政保「世界恒久の平和を祈る」/村上治夫「護郷隊の沿革ー大東亜戦争の後半期において、陸軍中野学校は参謀本部の軍事調査部(別称東部第三十三部隊)といふ名で後方特殊勤務要員に当たっていた。昭和19年9月13日、長髪異様な将校が日航機で那覇空港に降り立つと軍司令部の薬丸参謀が迎えにきておられ早速、軍司令官牛島中将に着任の申告をした。司令官閣下は終始温顔に笑みをたたえられ『君たちはどういう任務で来たのかね?』と尋ねられたので、『ハッ敵が上陸して軍が玉砕した場合我々が最後まで頑張って敵の後方攪乱すると共に大本営といつも無線連絡を取って情報提供をします』と答えて傍らの軍参謀長長勇閣下に呵々大笑された事を想起します。その後、特務班(剣隊)の北大尉一行が到着した時も参謀長は『君たちも村上と同じように我々の骨を拾いに来たのかい』と冷やかされたとの事でした。早速直属の上官として主任の薬丸兼教(陸士48期示現流の達人)の指導を受けた。薬丸参謀は『君が陸軍中野学校で習得した事は大本営の戦争指導方針に基づくものであるから君の思う様に決戦場沖縄にて遊撃戦を展開し得る如く準備してくれ、軍は絶対の協力を惜しまない』と激励されて遊撃隊編成の構想に入った。」


1967年6月4日『潮流ジャーナル』小中陽太郎「<ルポ>沖縄の右翼たち」1967年3月29日、福地曠昭は路上で短刀を持った二人組に襲われた。短刀で刺され、全治2ヶ月の重傷。4月3日に犯人が逮捕された。犯人は「東亜友愛事業協同組合」沖縄支部(宜保俊夫支部長)のメンバー金城義雄(22)と野原林一(21)。「沖縄政治研究会」は東亜友愛事業協同組合のダミー組織.。

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前島にあった海勢頭豊氏の店で、左から新城栄徳、儀間比呂志氏、福地曠昭氏
〇儀間さんには『沖縄戦 朝鮮人軍夫と従軍慰安婦』1995年、福地さんには『哀号・朝鮮人の沖縄戦』月刊沖縄社1987年がある。

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1995年5月 ひめゆり同窓会東京支部『ひめゆり同窓会』ルック


1997年4月 儀間比呂志『マジムン(おばけ)のうた』ルック(東京都豊島区巣鴨1-20-9)


1911年10月 井上圓了『日本周遊奇談』博文館「琉球の七奇ーハブと豚、薯と泡盛、ユタ墓場、赤き瓦を七奇とぞ知る。」
大正14年7月『週刊朝日』伊東忠太□化けものー故井上円了博士は有名な妖怪学者であったが、博士は化け物の有無については徹底的に断案を下しておらない。伊東には「妖怪研究」という文章もある。






2007年 沖縄県産人形アニメ映画『鉄の子カナヒル』(原作・儀間比呂志)


2018年8月7日~12日ー沖縄県立博物館・美術館 県民ギャラリー2「比嘉ブラザーズの沖縄のマジムンと怪異展」

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1906年5月11日『琉球新報』「童話ー義民伝 前号で終わりましたから今度は暫く少年少女を相手に昔から伝えた本県のお伽話を普通語になおして掲載することにしました。猿のお臀」/5月12日『琉球新報』「童話―外間氏の話」

1906年5月13日『琉球新報』「童話―清雄の立身」/1906年5月15日『琉球新報』「童話―親食ひ不孝」

1906年5月16日『琉球新報』「童話―御師さんと小僧」/1906年5月17日『琉球新報』「童話―國の始め」


1906年5月18日『琉球新報』「童話―モーイ親方の幼時 老父捨ての話」/1906年5月19日『琉球新報』「童話―兄弟不和の戒 平安座バッタラーの話 翡翠と雀の話」


1906年5月22日『琉球新報』「童話―ダヌンナラン胡屋主 悪の報」/1906年5月23日『琉球新報』「童話―田植唄 子守唄」


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2000年4月 儀間比呂志『沖縄の鳥人 飛びアンリー』海風社



出版祝賀会案内状/2000年4月13日『琉球新報』新城栄徳「儀間比呂志と沖縄の文化」





真喜志康忠

真喜志勉/2016年 沖縄県立博物館・美術館「Ambivalent TOM MAX」

洲鎌朝夫/2009年 「洲鎌朝夫 一周忌 追悼集」遊びをせんとや生うまれけむ 戯たはぶれせんとや生むまれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動ゆるがるれ

中央、久場とよ、宮良瑛子さん/2016年 沖縄県立博物館・美術館「EIKO MIYARA いのち」

平良次子さん、新城さやか

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