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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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「泊大國吉」仏間にて、左、國吉眞哲翁、新城栄徳。上のほうの扁額は謝花雲石の弟子・島袋石扇書(撮影・新垣蘭子)。/國吉眞哲翁。

□1930年8月、國吉眞哲、友人二人と「写真館とまり」開業。


未来学
 アルビン・トフラー氏が設立したコンサルティング会社は、トフラー氏が6月27日、アメリカ・ロサンゼルスの自宅で死亡したと発表しました。87歳でした。トフラー氏は、1928年ニューヨークで生まれ、ニューヨーク大学を卒業後、工場での勤務や新聞記者を経て1960年代に作家として活動を始めた。著書では情報化社会を予言し、このうち1980年に出版した「第三の波」では、「農業革命」、「産業革命」に続いて、デジタル技術などの発展に伴う「情報革命」の到来を唱え、世界各国で翻訳されて出版されるなどベストセラーとなった。→2016-6-30記


 中学3年のころ、写真左下のアーサー・C・クラーク 福島正美・川村哲郎訳『未来のプロフィル』早川書房をよく読んだ。このクラークの科学エッセイ集は1958年から1962年にかけてアメリカの『ホリディ』『ホライズン』『サイエンス・ダイジェスト』『プレイボーイ』などに書いた記事をまとめたもの。中に、バートランド・ラッセルの挽歌を引いて「・・・・・あらゆる時代のあらゆる労働も、あらゆる献身も、あらゆる霊感も、あらゆる天才の白昼のごとき明晰さも、太陽系の死と同時に滅亡の運命にあること、そして人類の建設したすべての寺院が滅びゆく宇宙の廃墟の下に埋もれてしまわねばならぬということーこれらすべてのことが、かりにまったく論議の余地がないわけではないにしても、ほとんど確定的であるため、それらを否定しようとするいかなる哲学も存立する望みは持てないのである。  これはまさしく真実であるかもしれない。が、それにもかかわらず、宇宙の滅亡は、思量すべくもない遠い未来に属するので、われわれ現代の種の直接的な関心の対象とはなりえないのだ。」原子に就いて、「物質のエネルギーを解放するために必要だったのは、化学的燃焼に相当する原子の”火”だった。そして、ウラニウムの核分裂こそ、それだったのである。一度、これが発見されれば、原子力の利用は時間の問題だったーただし、もし戦争という圧力がなかったならば、その開発に、ほぼ一世紀はかかったかもしれないけれども。」

クラーク 【Arthur Charles Clarke】
[1917~2008]英国のSF作家。1946年に「抜け穴」「太陽系最後の日」でデビュー。豊富な科学的知識をもとにリアルな近未来世界を描き出し、国内外の人気を得た。作「幼年期の終わり」「2001年宇宙の旅」「宇宙のランデヴー」など。(→コトバンク)
福島正実 ふくしま-まさみ
1929-1976 昭和時代後期の編集者,小説家,評論家。
昭和4年2月18日樺太(からふと)(サハリン)生まれ。早川書房にはいり,昭和34年「SFマガジン」初代編集長となる。翻訳や「こんや円盤がやってくる」などの児童文学分野でも活躍。昭和51年4月9日死去。47歳。明大中退。本名は加藤正実。評論に「SFの世界」など。(→コトバンク)

1969年4月ー安田寿明『頭脳会社ーシステム産業のパイオニア』ダイヤモンド社

1970年9月ー野口悠紀雄『シンク・タンク』東洋経済

「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」という言葉は、20世紀アメリカの建築家・思想家、バックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)によって有名になった。彼は1963年、『宇宙船地球号操縦マニュアル(Operating manual for Spaceship Earth)』を著し、宇宙的な視点から地球の経済や哲学を説いた。フラーはその生涯を通して、人類の生存を持続可能なものとするための方法を探りつづけた。

 フラーは、地球の歴史とともに蓄えられてきた有限な化石資源を燃やし消費し続けることの愚を説いた。これらの資源は自動車で言えばバッテリーのようなものであり、メイン・エンジンのセルフ・スターターを始動させるために蓄えておかねばならないとした。メイン・エンジンとは風力や水力、あるいは太陽などから得られる放射エネルギーなどの巨大なエネルギーのことであり、これらのエネルギーだけで社会や経済は維持できると主張し、化石燃料と原子力だけで開発を行うことはまるでセルフ・スターターとバッテリーだけで自動車を走らせるようなものだと述べた。彼は人類が石油やウランといった資源に手を付けることなく、地球外から得るエネルギーだけで生活できる可能性がすでにあるのに、現存する経済や政治のシステムではこれが実現不可能であると述べ、変革の必要性を強調した。


 宇宙船地球号とは、地球上の資源の有限性や、資源の適切な使用について語るため、地球を閉じた宇宙船にたとえて使う言葉。バックミンスター・フラーが提唱した概念・世界観である。またケネス・E・ボールディング(クエーカー教徒でもあり、今日でいう平和学に大きな関心を寄せていた。妻は平和研究者、平和運動家のエリース・ボールディング)は経済学にこの概念を導入した。 ウィキペディア□戦後の日本においてGHQのボナー・フェラーズ准将が熱心なクエーカー教徒で日本でのクエーカーの布教活動に精力を注いだ。また、信徒のエリザベス・ヴァイニングは後に天皇となる皇太子・明仁の家庭教師を務めた。

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1983年10月11日『琉球新報』新城栄徳「落ち穂ー未来」/右は『琉文手帖』発売元の琉球書院(琉球文化社)

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小学6年の息子(後ろに息子愛用NECのパソコン、私は操作が分からないので触れたことがない)、さやか、あけみ                                                                

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 1942年5月の『沖縄教育』は「故島袋源一郎追悼号」である。それに島袋の略歴が記載され「明治18年10月18日、国頭郡今帰仁村字兼次に生まれる。明治40年3月、沖縄県師範学校卒業。40年4月、名護校訓導。41年3月31日、謝花校訓導。42年6月、師範附属訓導。44年9月、国頭郡安和小学校校長。大正2年3月31日、金武小学校長。5年5月31日、謝花小学校長。9年7月、社会教育主事。12年2月14日、島尻郡視学。13年5月24日、沖縄県視学。昭和2年4月30日、名護小学校長(~昭和6年9月)。昭和7年10月、沖縄県教育会主事。11年秋、沖縄県教育会附設郷土博物館主事を兼務。昭和17年3月27日、永眠」とある。

『沖縄教育』1937年4月号に島袋源一郎が、沖縄教育変遷と思ひ出と題し「昭和3年9月第69号より比嘉重徳氏主任幹事となって編輯に従事し大冊を出したが、昭和4年9月頃より、折角多年努力を続けた機関誌も、代議員会の決議に従い隔月一回発行となり、かくして昭和7年10月に及んだ。同月比嘉主事退職し、島袋源一郎代わって就任。同11月には予定の職員録を出し、翌昭和8年1月より経費の捻出も計って毎月刊行に引きなおした結果、投稿者並びに読者に多少の関心をつなぐことを得、且つ従来、鹿児島市に於いて印刷していたのを那覇市内に於いて印刷(三星社)せしむることとし、其の刺戟によって印刷も漸次向上するにいたった」と沖縄教育の経緯を書いている。

1933年1月の『沖縄教育』は昭和会館落成記念号である。2月号は郷土史特集号で東恩納寛惇「本県郷土史の取扱いに就いて」、真境名安興「沖縄の土俗伝説を如何に観る」、新屋敷幸繁「南島の意志」、豊川善よう「魂のネッサンス」などが載っている。源一郎も本県郷土史の重点と題し「画一教育の反動として教育の地方化実際化が叫ばれ郷土教育が提唱せられてきた」と書いている。屋嘉比収さんから近著『<近代沖縄>の知識人ー島袋全発の軌跡』(吉川弘文館)が贈られてきた。中に「全発は、昭和11年に開館した郷土博物館の展示物の中に、日本主義の圧力により沖縄文化が否定される状況下で、わざと『沖縄的なもの』を陳列するよう、初代館長の島袋源一郎らと画策したことも知られている」とのエピソードを紹介している。こういう細かい話も屋嘉比さんの長年の研究がありウチナーンチュの人情の機微も把握できる最後の世代であるから書けたもの。同著の参考文献も今回は納得できるもので、東京で流行の屁理屈論文が無い。欠点は索引が無いことである。

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(左)1982年3月、東京築地の松本三益氏の家の前で、左・新城栄徳、右・松本三益氏。撮影・松本ツル。/(右)島袋慶福翁

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70年代、私は大田昌秀さんの著書で新聞雑誌から沖縄関係の記事を探す楽しみを学んだ。大田さんの平和総合研究所の事務所が家の近所に越してきたので挨拶に行った。
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□1983年6月5日『琉球新報』新城栄徳「関西資料の散策・人類館事件の写真をめぐってーある日、京都河原町三条にある琉球料理店の新装開店に伊藤勝一さんと行った帰り、伊藤さん宅に泊まることになった。浦添出身の奥さんの料理をご馳走になって、隣のコレクションの部屋で、伊藤さんが『先日、この写真が手に入った。第五回内国勧業博覧会案内図と一緒のところを見ると人類館事件のものと思う』と写真を見せられた。(略)翌日、写真を借りて東大阪の自宅で複写し、電話で伊藤さんに『伊藤さんの名前は出さなくても良いから写真だけでも公開したい』と了解を強引に得たー」/2005年5月21日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評『人類館ー封印された扉』演劇「人類館」上演を実現させたい会」

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(上)1997年6月、関西沖縄文庫で。右から金城良明氏、伊差川寛氏。□1963年6月30日『沖縄タイムス』「関西の住人大いに語るー伊差川寛、上江洲久、翁長良孝、比嘉正子、宮城清市」。1968年1月『毎日グラフ』深瀬正頼「本土の中の沖縄ー中泉尾小学校教師の金城良明さん」。2001年3月『ケーシ風』「対談・二世の見てきた恩加島(オカジマ)」(伊差川寛、金城良明、金城宗和、仲間恵子)。(下)右から大城精徳氏(琉球文化社・琉球書院代表)、宮城篤正氏、新城栄徳。

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(上)1998年7月、琉球新報ホールで。左から宮里昭也(元琉球新報社長)、新城栄徳、高嶺朝一(現琉球新報社長)、新川明(元沖縄タイムス社長)/(中)2003年9月、琉球新報ホールで、左から船越義彰、山之口泉、大城立裕、石野朝季。撮影・新城栄徳。/(下)2003年6月、喜如嘉ゆかりの人たちと、左から平良次子、大山哲、伊佐真一、福地曠昭、新城栄徳。

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