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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
琉球國那覇区及首里区商工人名
紺絣製造 
伊波奥表ー泊、知念嘉道ー泊、渡口まつるー西、永田新太郎ー西、國吉眞輔ー泊、國吉眞福ー泊、國吉眞喜ー泊、小禄朝亮ー首里区眞和志
反布商
糸満盛訓ー西、井ノ口政次郎ー東、新名助次郎ー西、与世田昌快ー西、与儀幸包ー西、仲村カレ致嘉ー西、松堂恵英ー西  
米穀商
飛岡吉太郎ー西、友寄喜信ー西、大峰柳吉ー西、大坪岩次郎ー西、海江田丑之助ー西、中馬辰次郎ー西、矢野治右衛門ー西、児玉利吉ー西、小牧籐助ー西、鮫島武八郎ー西
漆器製造販売
琉球若狭組漆工所ー若狭町、米田惣四郎ー西、米次源吉ー西
海産物商・古賀辰四郎ー西
沖縄県銀行会社 
銀行第百四十七銀行沖縄支店ー那覇区東
会社・沖縄開運株式会社(肥後孫佐衛門)ー那覇区西、廣運社(護得久朝惟社長)ー那覇区西、八重山鉱業合資会社(大峰柳吉社長)
新聞社・琉球新報社(大田朝敷社長)
工場・小嶺合資漆工所ー那覇区西
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
糸満盛信・著作目録
1934年7月ー『唐手術の研究』新光閣
1944年4月ー『酒の話』一番館印刷
1944年6月ー『拳武雑考』
1958年2月27日ー『琉球新報』「琉球の子守唄『天から落ちたる糸満小』に就いて」
1959年10月5日ー『琉球新報』「空手の研究」
1960年10月5日ー『琉球新報』「沖縄の古武術」
1961年6月ー『国学院雑誌』「天孫降臨考」
1962年11月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第8号「太陽崇拝管見」
1963年10月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第9号「稲作民の渡来」
1964年10月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第10号「神託政冶考」
1965年8月ー『国学院雑誌』「天降伝説私解」
1965年11月5日ー『沖縄タイムス』「天降伝説私解」

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1978年11月4日『琉球新報』/1978年10月26日『朝日新聞』(大阪版)
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1941年4月ー『最新沖縄民謡集』那覇・幸地書店

(発行日不明)『奄美の民謡』鹿児島県大島支庁
□奄美の民謡に就いてー此の地の民謡は、上の句八八、下の句八六の三十音から成って居ります。中には長詩型のものもあるし、又短いのもありますが、大体三十音を以って基本詩型となって居ります。曲の種類は現在行われているので凡そ四十種位、歌詞は一千近くうたわれて居ります。民謡をうたう方法は、普通三味線音楽(歌あそび)と、八月踊りになって居りまして、歌詞は多くの場合共通になって居ります。三味線あそびの場合は、男が三味線をひいて男女交互にうたうのが普通であり、八月踊りには女が太鼓を叩いて、之も男女交互にうたい合う仕組になって居ります。基本になる音譜がなくすべて口承によって伝統されている関係上、同じ曲でも島々によって異い又人々によってうたい方が異なって統一されて居りません
□普通民謡篇
朝ばな節、いきゆんにゃかな節、船のそとども節、黒だんど節、糸繰り節、徳の島ちゆつきやり節、らんかん節、俊良節、かんつめ節
□新民謡篇
ちんだら節、えらぶ百合の花節、奄美小唄、島育ち、農村小唄、島影、そてつの実、
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
島袋俊一(1917年5月16日~2001年9月22日)
高嶺朝光『新聞五十年』(沖縄タイムス社1973年)「1945年5月25日、沖縄新報の私たち一行は豊平良顕君、具志堅政冶君(妻子同伴)、前田宗信君に牧港篤三、大山一雄、稲嶺盛国、仲本政基、島袋俊一、与儀清三君らが加わって首里城から脱出した。(略)捕虜になるー私の知人で首里第一国民小学校の教頭だった座波嘉永氏が米軍の命令を受けて学校を開いていたので、これさいわいと頼み込んで豊平君を始め牧港、島袋俊一君らを教員に引きとってもらった。(略)沖縄タイムス創刊ー発行日の二日前に上間正諭、牧港篤三、大山一雄、仲本政基、稲嶺盛国、島袋俊一君らは編集の作業をすませた」(末吉家の仏間にて)。



1960年1月『オキナワグラフ』「僕は特派員ー石野朝季(琉球新報東京総局記者)、植木清直(琉球放送東京支社)、宮城直温(沖縄テレビ放送東京支社編成部)、遠山一平(琉球新報関西支局記者)、新川明(沖縄タイムス関西支社記者)、島袋俊一(沖縄タイムス鹿児島支局記者)、新田卓磨(琉球新報福岡支局記者)」

2001年10月11日『沖縄タイムス』垣花義盛「島(島袋俊一)先生ー27回を数える今年のエイサーは、9月16日、大正区平尾公園グラウンドで繰り広げられ、大盛況であった。近畿一円はもちろん、愛知から、東京からと多団体の参加に運営役員はうれしい悲鳴を上げた。いつものように、にこにこ笑顔をふりまいてくれたのに、5日後の永別となった。島先生は名護市羽地・稲嶺の出身、享年84歳であった。

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1966年12月8日『沖縄新報』創刊号(編集発行・島袋俊一)

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左、島袋俊一氏、貞子夫人(撮影・新城栄徳)
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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上ー志多伯克進(1908年2月~1979年3月14日)写真ウラに「1936年6月、ある同志のカメラに向いてー志賀進」と記されている。

□1960年10月『オキナワグラフ』ー新宿の人気男「志多伯のおやじ」新宿コマ劇場の横丁にある”コマ小路”というバー街に、この春から異様な門構えのアワモリ酒亭ができてなかなか繁昌している。

屋号は「酒礼門」。勿論”守礼之門”をモジッてつけたもので、故伊江朝助男爵が名付の親だということだが、ゲン語学者の石川正通先生にいわすと、その語イはー酒の友こそ真の友 礼を守りて盃酌めば 門は大道無門にてーだそうだ。

店構えが異様なら、ここの主人もまた変わり種。志多伯克進という名前からしてコクのよい銘酒を思わせるが、無類の好々爺で、ジュクの酒徒からは”シタハクのオヤジ”と愛称されている。

目マユがこく長く、デップリ太って、みるからにアワモリ天国のエビス様とう感じ、いつあっても、赤ら顔に満面笑みをたたえてさも愉快そうに話し出す。どんな酒癖の悪いインマヤーでもすぐなついてくる。

しかし、このオヤジが庶民の街で名物オヤジとしたわれているのは、ただこの人がお人好しだということばかりではなさそうだ。この人には往年の社会運動の体験から得た”庶民哲学”とジュクのヨタ公共をまかす位の”度胸”が備わっている。愛すべき志士だ。このスジ金の入ったところがまた魅力となって学生や労働者たちに好かれるのだろう。

この人の哲学というのは、先ず人間は平等だということ、第2に貧乏人を蔑まず金持を恐れないこと、第3に真心を以って事に当たること、だそうだが、これはやはり戦前の社会運動時代に豚バコにブチ込まれたり、法廷に立たされた苦闘の中から生まれたものに違いない。非常に正義感が強い人で、終戦直後、新宿のテキヤ安田組を向こうに廻して空手で打ち負かしたという武勇伝は有名だが、いまでもヨタ公同志の決闘に”流血を避けるため”顔をかすこともあるという。

都内の泡盛屋は大小入れて40軒を数えるといわれるが、この総元締格が志多伯のオヤジさんである。泡盛屋の歴史は古く、昭和12年に若い奥さんと大塚駅前で「デーゴ」を開いたのが始り、それからまもなく本所深川の「泡泉」に移った。新宿駅西口に乗り込んだのは終戦直後。ヤミ屋の横行する焼跡で「志多伯」の赤チョウチンを下げ、カッポウ衣に前カケをしめてジュウジュウ鳥焼きとアワモリのサービスに励むかたわら、西口の開拓にも力を注いで今日の繁華街を築きあげた。独得な風貌と誰にも好かれる人柄と親身の世話焼きで忽ち西口の人気オヤジとなり、つい最近まで飲食組合の会長にまつりあげられていた。

『オヤジもトウトウ成り上がったかー』東口に酒礼門を開いたとき西口店のナジミがこう歎いた。お座敷酒亭より西口の番台でバタバタニコニコしていた方がオヤジらしい、ということだろうが、しかしオヤジの庶民性はどこへ行っても消えうせない。むしろ新しい酒礼門こそ庶民の酒亭だ。そこには南の芸術がある。文化がある、ラフティを食べ、アワモリを酌みながら踊りをみる。<しかもフトコロの心配もない、なければオヤジに話せばわかるのだー。あなたふと讃酒之仁義ありという 酒礼門にて酔い泣かんかも(石川正通)/b>
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
最近、東京の島袋和幸氏から近著『沖縄の軌跡ー沖縄烽火のネッワーク』が贈られてきた。島袋氏が最初に書いた『青い海』(1983年6月)の「沖縄烽火考」も収録されている。私は『青い海』で島袋氏を知り東京に会いにいった。1975年9月29日、東京で沖縄史を記録する会が発足した。81年5月、機関誌『沖縄民衆史を歩くー記録と発掘』が創刊された。82年1月発行『沖縄民衆史を歩く』第2号に島袋氏は「沖縄烽火考」を書き、書評『むらの輝ける日々』も書いている。82年9月発行の第3号に氏は「戦後沖縄史研究の手引書」を書いている。
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1983年11月、島袋和幸宅を事務局に沖縄民衆史の会機関誌『沖縄民衆史』の第1号が発行された。島袋氏は「上里春生のこと」を書いている。島袋氏は85年1月から個人紙『沖縄の軌跡』を発行するようになる。『沖縄民衆史』第2号は85年3月発行で島袋氏は「南洋の足跡ー沖縄県人の生きた島」を書いている。同号に『琉文手帖』の広告がある。第3号の発行は86年3月、私が提供した人類館事件の写真が表紙に用いられ、島袋氏は「人類館事件と中国」を書いている。同号にも『琉文手帖』の広告が載っている。86年12月発行の『沖縄民衆史』第4号に島袋氏は「苦難の上京美酒『泡盛』」を書いている。

1986年、このころ島袋氏は故郷・伊江島と沖縄島との架橋運動も展開している。氏の故郷関連の著作でまとまったものに1985年発行の『浮亀山物語』がある。2009年11月には『伊江島人(チュ)ミーチリサンダーの一生』を発刊。1996年1月、氏は永年の宮里良保、安元実発、佐々木笑受郎の調査(聞き書き)をまとめ『沖縄・ある編集者の記録』を出している。これは沖縄の新聞書評で新川明、伊佐真一が取り上げた。2000年4月に弁護士・前島清三郎のことをまとめ『琉球の事件』を出版。これは鹿児島の山下欣一氏にも送った。01年には詩人・上里春生、国頭三奇人らをまとめ『沖縄・山原の二才達』を出版。

2007年1月、島袋氏は『沖縄タイムス』の唐獅子を担当、聞き書きボランティアについてj書いた。葛飾区の聞き書きボランティアの会の一員として3月には『ボランティアのための聞き書きの手引き』を出した。今回は新たに「沖縄・烽火ネットワーク連絡会」(〒124-0011東京都葛飾区四つ木4-18-10 電話03-3695-9276 携帯090-4920-6952)を立ち上げている。

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