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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

浦崎春雄・美代子御夫妻

琉球国由来記による嶽名並に殿名の村呼称

九嶽
嶽名             地域        村呼称     備考

ガダノコ御嶽        西          ウガン     ウガン、クバムイと同体
八重の御イベ       西          八重大中   エーウフナカ(通称イビガナシー)
テラチ御嶽         西          マチュー 
ヲノコ御嶽          浜          ウフタキ 
中ノ御嶽          浜           ナカタキ
ハイノ御嶽          浜          ヘータキ  
シマイ御嶽          西          アナガー
アラバ御嶽         西
ヤカン御嶽         西           スイミチ

五殿
殿名             地域         村呼称     備考
八重ノ殿           西          エーヌ殿
泊リノ殿            西         トゥマイヌ殿   トゥマンナー殿ともいふ
安次冨ノ殿          西         アサトゥヌ殿   安次冨はアストと読む
垣奴殿            東          ガーチヌ殿 
浜奴殿            浜          アダンナヌ殿
ババノ殿(由来記にはない)

私は1983年、母の兄・玉寄貞夫が仲里秀雄元粟国村長と『粟国民謡集』を出すというので編集協力した。その過程で久茂地の浦崎春雄氏宅にも同行した。

1987年9月ー高阪薫『沖縄の祭祀ー事例と課題』三弥井書店
1988年4月、尼崎市の中沢章浩氏から高阪薫編の『沖縄の祭祀』が贈られてきた。以前に甲南大学地域文化研究会のメンバーが粟国の民俗調査に行くというので、那覇の浦崎春雄氏を紹介したことがある。本書の目次は第1章・渡名喜島「島直シ祭祀/第2章・粟国島ヤカンウユミ/第3章・八重山の豊年祭/第4章・シヌグとウンジャミ/調査活動年誌となっている。また、那覇市の国際通りで、夏休み家族で散策していた中沢氏親子にも偶然出会ったこともある。那覇市議会議会史の小渡清孝氏と尼崎の中沢宅(尼崎市常光寺1-18-10)を訪ねたこともある。尼崎には沖縄県人会兵庫県本部がある。

1991年12月 比嘉康雄『異界の神ヤガンの来訪「ヤガンウユミ・粟国島」』二ライ社
□浦崎春雄氏(68歳)の話では、ヤガンウユミは明治か大正ごろまでは連綿として続けられていたが、神職者不在などの理由でいったんとだえてしまった。祈願だけの行事は昭和7、8年ごろまでハナグシクヌルがおこなっていた。しかし、これもヌル没後とだえた。戦後になって祈願だけは区長などによって再びおこなうようになった。  

昭和23年ごろ、当時村長だった仲里秀雄氏の「ヤガンウユミを復活せよ」の命を受けて、そのころ役所に勤めていた浦崎春雄氏がヤガンウユミを覚えていた照喜名ウシさん、当時80代(ユナンサー家の娘)から数カ月にわたって祭祀の内容を聞き書きし、それを当時の神職者に教えて復活した。

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
中村文雄氏の『語り継ぐ めーぎぃらま)・渡嘉敷村字前島』が発刊されました。沖縄の離島に関心のある方の必読本です。本代1000円、送料200円です。連絡先は〒901-3500渡嘉敷村字前島76番地 携帯090-8290-6361

慶良間3
2012年ー中村文雄『語り継ぐ めーぎぃらま)・渡嘉敷村字前島』大和印刷(大城盛和)東京都千代田区岩本町2-5-2 電話03-3863-3236

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中村文雄氏
渡嘉敷村前島出身 1938年南洋群島トラック島生まれ4歳に引き揚げ前島で育つ。14歳に那覇市へ集団移住。定年後に無人島の故郷前島復興を目指し夫婦で再移住。<前島復興住民の会会長>


□2012年5月17日『沖縄タイムス』「前島に『有人島』の証しー出身者・中村さんが記録本出版」

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島袋和幸『沖縄の軌跡』69号□東京都葛飾区四つ木4-18-10 電話03-3695-9276

島袋和幸『沖縄の軌跡』84号□東京都葛飾区四つ木4-18-10 電話03-3695-9276

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
 2019年9月13日『毎日新聞』危機である。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、慰安婦問題を象徴する少女像などを展示した企画展「表現の不自由展・その後」が中止された一件だ。表現・言論の自由が脅かされる現実もさることながら、「慰安婦問題はデマ」という発言が飛び交う世相も相当に深刻だ。慰安婦問題研究の先駆者、吉見義明・中央大名誉教授に聞いた。【吉井理記】
 驚きました。 大阪市の松井一郎市長のことです。「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与して強制連行はなかったわけだから。それは一報を報じた朝日新聞自体が誤報と謝罪しているわけだから」(8月5日、記者団に)と発言しました。名古屋市の河村たかし市長も「強制連行し、アジア各地の女性を連れ去ったというのは事実と違う」(8月5日、記者会見)と言っている。 事実認識が間違っているし、慰安婦問題とは何か、分かっているとは思えない発言です。
 朝日新聞が2014年に「誤報」としたのは、戦時中の労使組織「労務報国会」の職員だった吉田清治氏(00年死去)の「軍隊とともに朝鮮(現韓国)の済州島で慰安婦狩りをした」という証言に基づく報道のみです。 私自身、慰安婦の徴募などへの日本軍の深い関与を史料で裏付けた1992年の「従軍慰安婦資料集」(大月書店)の解説でも、95年の「従軍慰安婦」(岩波新書)でも、最初から吉田証言は採用していません。
 一部の誤りを取り上げ、慰安婦問題全体をもなかったことにするのは、歴史修正主義者の典型的な言説です。

沖縄戦と日本軍「慰安婦」
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 那覇市歴史博物館に遊びに行き「2012年度・展覧会のご案内」を貰った。5月のところには「あれから40年~OKINAWAから沖縄へ~」がある。問題は次の「特別企画 沖縄戦と『慰安婦』展」である。あたかも沖縄県のカジノチジ周辺が「沖縄戦隠蔽」にピリピリ神経を尖らしているところに油をそそぐようなもので歴史博物館としては英断だと思ったが学芸員に聞くと、県の沖縄戦隠蔽問題が出る大分前、那覇市総務部平和交流・男女参画課と沖縄戦と日本軍「慰安婦」展実行委員会(高里鈴代代表)から博物館に展示場を申し込んだという。早速に沖縄戦隠蔽の県のほうから「どんな展示内容か」と問い合わせがあったが、学芸員は歴史的に意義があることなので貸したという。とにかく女性たちが動いていることが分かった。沖縄県は県内外から批判されると「慰安婦」「日本軍の住民虐殺」を削り専門家から批判された。下記のように県と同様ニコンサロンでも写真展がカルト右派により中止に追い込まれている。

「写真展ができなかった場合、東京でストリート写真展でも開きます」 日本、名古屋で制作活動をしている写真作家アン・セホン(41)氏は怒りが収まらないようだった。 彼は来月26日から7月9日まで東京、新宿の展示場「ニコンサロン」で写真展を開く予定だった。 展示される作品はアン氏が2001年から2005年まで7回にかけて中国を訪問し、撮影した朝鮮族元従軍慰安婦のおばあさんたちの写真38点だった。昨年12月、審査委員5人で構成された主催側選定委員会の審査で作品性を認められ展示が決定した。

だが、カメラメーカーであるニコンが運営する「ニコンサロン」側関係者は22日、アン氏に電話をかけてきて「展示が中止になった、理由は明かせない」と一方的に通知した。ニコン側は「名古屋に行って謝罪したい」と話しているが、アン氏は「単に謝罪のためになら来る必要はない。写真展を予定通り開催してほしい」と要求した。 ニコン側の突然の写真展中止は日本の右翼勢力による圧迫に屈服した結果だと思われる。アン氏の展示会が差し迫るとインターネット掲示板などには「歴史ねつ造に加担する売国行為だ」「外国の一方的な主張を代弁していいのか」などの非難コメントが相次いだ。 写真展中止に対してニコン側は「写真展開催と関連して(右翼勢力などから)抗議があったことは事実だが、中止は諸般事項を総合的に考慮して判断したこと」とだけ明らかにした。(中央日報)

□「ニコンサロン」は、ニコン創立50周年を記念して1968年1月に銀座三丁目に開設された、写真文化の普及・向上を目的とする写真展示場です。開設記念となる第1回写真展「木村伊兵衛の眼」を開催以来、写真の展示や講演会の開催など、多くの写真家・写真愛好家の方々に写真活動の場を提供してきました。その後1971年6月に「新宿ニコンサロン」、1974年3月には「大阪ニコンサロン」を開設、より幅広い写真活動の場として活用されています。プロ・アマの壁を取り払い、企業戦略に影響されず、あらゆる分野の優れた作品の展示場として写真展本来の姿を追求する「ニコンサロン」。(ニコンも企業だからカルト右派には弱い)

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「従軍慰安婦」資料
1984年12月 沖縄エッセイストクラブ『群星』山川泰邦「従軍慰安婦狩り出しの裏話」

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