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07/30: 図師 巌

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
図師 利佶 さんからコメントがあった。

「気まぐれに兄の名前(図師 巌)で検索したら「2中緑樹会」の写真に当たりました。投稿なされた方に厚く感謝申し上げます。図師 巌は大正5年那覇市で生まれ2中に進んでいます。平成13年東京で死去しました。戦後は映画監督して数本の作品を残しています。弟の小生(図師 利佶)は昭和2年生まれ、那覇尋常小学校に昭和13年まで在校しましたが両親の死亡により宮崎に移り戦火を免れました。小学校校時代の友達を懐かしく思い出すこともあります。当年85歳です。07/28 19:05:58 」

1938年1月26日ー『琉球新報』松村竹三郎/圖師巌・絵「連載小説・武士松茂良46」(~47,48,51,52,53,56,60,63回・2月15日)
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図師 利佶 さんからの続報

兄、「図師 巌」と私は11歳も年齢差があり、往時の記憶も確かではありません。兄が二中在学当時の私達家族は「那覇市久米町1丁目10番地」に居住していました。お隣は画家の「大嶺政寛」さんでしたので個人的な指導も受けていたと思います。2中時代は又。水泳の選手で、「波の上プール」に応援に行った思い出もあります。1939年、「東宝撮影所」に在職中「都城23連隊」に召集され爾後約7年間軍役、戦後は「東宝砧撮影所 演技課係長」の折、1948年「東宝大争議」に巻き込まれ「反日映演」の第2組合委員長で頑張っていましたが撮影所は閉鎖・・・その後「日活」で映画監督として数本時マゲものなどを撮ったようです。(gooで検索でできます)その後は映画界の衰退で脚本を書いたりしつつも回生ならず、2001年武蔵野市の養老院で死亡しました。私は1933年那覇尋常小学校幼稚園に入り1938年宮崎に移りました。同級生数名の名前は今も記憶していますがあの戦禍でどうなったでしょうか、今も気になります。兄は「許田君」に会いたい・・と言ったことがありましたが、写真を見ますと、二人おられますね。どのような運命を辿られたことでしょうか?。
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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1933年6月ー仲原善徳『大南洋評論』第1巻第2巻(仲原善徳編集)□金城朝永「南洋関係図書目録」
1936年11月 『訓練』仲原善徳「フィリッピン観光記(上)」
1937年3月ー仲原善徳『南洋千一夜一夜物語』日本書房
1937年3月ー『国際パンフレット通信』第998号 仲原善徳「蘭領ニューギニアの実相」
1937年4月ー『改造』仲原善徳「蘭領ニューギニア」
1938年12月ー『比律賓年鑑』仲原善徳「比律賓群島の諸民族」
1942年2月ー仲原善徳『比律賓紀行』河出書房
1942年7月ー仲原善徳『比律賓群島の民族と生活』南方出版社
1942年7月ー仲原善徳『ボルネオとセレベス』寶雲社
1942年7月ー『海を越えて』仲原善徳「比律賓雑誌」
1942年10月ー『海を越えて』仲原善徳「新比律賓の面貌」
1942年11月ー仲原善徳『ミンダナオ島物語』興亜書房
1943年1月ー『海を越えて』仲原善徳「比律賓を巡る島々」
1943年2月ー仲原善徳『日本人ミンダナオ島開拓略史』南洋経済研究所
1943年4月ー『海を越えて』仲原善徳「比律賓の諸問題」
1943年10月ー『海を越えて』仲原善徳「フィリッピン史上の二人物」
1943年10月ー仲原善徳『バコボ族覚書』改造社
1943年11月ー『海を越えて』仲原善徳「フィリッピン在留邦人気質」
1944年9月ー仲原善徳『フィリピン独立正史』中文館書店

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
島袋百恵・画「山田真山」




私は一宮市図書館で戦前の写真集を見た。仏像三体の写真があるではないか、しかも阿弥陀仏は戦後バラバラにされ公園に放置されていたのを犬山成田山の裏山に安置したこと、脇仏は岐阜県の谷汲山華厳寺山門前に安置したことが記されていた。早速、現地に赴いたのはいうまでもない。犬山成田山では当時誰が寄贈したのかは教えられないと言う。そこを、芸術研究で是非とも知らないと困ると交渉するとしぶしぶ教えてくれた。しかも電話番号まで。(木村さんという人だが今はネットで姓名も明らかになっている)
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山田真山の彫刻のあゆみは村田保像、帝国劇場の孔雀の彫刻、1919年の帝展出品の「審判の来る日」が入選したころ山田真山後援会が出来て彫刻作品などが頒布された。那覇市が購入したのはこのときのものであろう。1920年の第二回帝展に彫刻「自覚」が入選。1936年に愛知県一宮市公園の阿弥陀仏、勢至観音、観世音菩薩の原型を夫婦で赴いて製作したが、これを新たに原型から作り始めて鋳造完成させたのは木村鐵工所主の木村小佐衛門である。1938年には琉球新報社長の太田朝敷像も手がけた。
真山作品が那覇市民ギャラリーで公開されたとき、私は説明文「9メートルの幻の大仏」も書いた。日本画家の金城安太郎さんに師の山田真山について話をきいたことがある。『山田先生はよくチージへ行かれ酔えば安来節で踊り、空手の突きなどを連発して周囲を辟易させておられた。今回、那覇市が購入した作品は大変珍しいもので、私も当時の作品は目にしたことはありませんが、彫刻については那覇・開洋会館にあったダバオ開拓の父といわれた大城孝蔵像は先生の作品で私も手伝いました。また先生から教わって仏像を作ったこともあります』、ちなみに現在チージにある獅子頭とミルク面は安太郎さんの作品である。

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山田真山「極楽」(部分)

山田真山
1958年3月 「沖縄戦跡 平和慰霊観音像建立趣意書」





1962年5月  郷土の文化を守る会(会長・山田真山)


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07/20: 川平朝申

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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1960年ごろ料亭松の下にて野町良夫牧師(1937年、那覇日基教会牧師)歓迎会。前列右から3人目・当山正堅夫人、野町夫妻、古賀善次。後列右・山田實、4人目・川平朝申、大嶺政寛、一人置いて天願俊貞、一人置いて当山堅一。徳田安周も居る。



1951年11月 第3回沖展(琉米文化会館) 川平朝申「西陽射す頃」「思い出の丘」

1955年3月 第7回沖展(壷屋小学校) 川平朝申「旧知事官舎」

1958年3月 第10回沖展(壷屋小学校) 川平朝申写真「みーにし」「影」

1959年3月 第11回沖展(壷屋小学校) 川平朝申写真「河童」「古都の石畳道」「ビルとドブ川」「晩秋」

1960年3月 第12回沖展(壷屋小学校) 川平朝申写真「或る踊り」「暮色の国際通り」

1963年3月 第15回沖展(壷屋小学校) 川平朝申写真「富士とチャンパ葵」

1963年5月 『沖縄芸能マガジン』川平朝申「沖縄演劇の将来を思う!-現役俳優へ希うこと!」
○私は若い頃から郷土史や郷土の民俗、土俗に就いて深い興味をもっていた。それは私が中学の頃、台湾に移住し、郷土に対する郷愁が、こうして私の心を郷土の総てに愛着をよせるようにしたのかもしれない。とりわけ郷土の演劇に対しては私の心をすっかり、とりこにしてしまった。それと云うのも私の父が非常に芝居好きで、よく父に連れられて辻町のはたみちの芝居に行ったものである。「球陽座」「中座」等、芝居がはねると父はきまったように楽屋まで足を運び、幹部俳優に挨拶をし、「今日の芝居は上出来だった!」等と激励をしていた。

1968年3月 第20回沖展(壷屋小学校)  川平朝申写真カラー「夕陽その1」 前原基男「旧家」
                            西村貞雄「S子の首」

1968年8月 沖縄タイムス社ホール「川平朝申作品展ー写真とスケッチ」

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07/19: 崎濱秀雄

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

日本画家の金城安太郎さんと

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

島袋百恵

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
出版舎Mugen 那覇市牧志1-4-31-2F ℡&fax098-863-2562 



2012年8月11日午後6時半~「おおしろ建・詩集出版祝賀会」八汐荘(℡ 098-867-1191)                                   会費 本代込4,000円/会費のみ3,000円  お問合せ 090-9788-1414(高良勉)
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

本展に特別協力しているのが国立民族学博物館。

1970年1月、梅棹忠夫氏らが中心となって『季刊人類学』が発刊された。私も早速購入したが、これらの出版活動が1974年6月の「国立民族学博物館」設立につながる。開館当初は私も月に一度は通い、『季刊民族学』、『月刊みんぱく』などを購入した。月刊みんぱく85年1月号には手塚治虫がエッセー「アマゾンの日系一世たち」を書いている。
3月14日大阪万博開催

梅棹忠夫「万博の準備段階で、岡本太郎さんから『太陽の塔の下に、世界の民族資料を展示したい』と提案がありました。太郎さんはパリ大学で民族学を勉強していた。泉靖一とわたしは『日本万国博覧会世界民族資料調査団』を組織しました」            

岡本太郎「万国博のチャンスに世界中から民族資料を集めた。将来、博物館が出来るとき一つの核になるように、泉靖一、梅棹忠夫両教授に頼んで、蒐集団を組織した。泉さんはすでにない。が梅棹さんはじめ、さまざまの分野の専門家たちがその後もねばり強い努力を続けて、ついに民族学博物館の実現にこぎつけた。世界と無限の交流をする場所。ここでは研究者も一般のピープルも人間存在の意味の、なまなましい暗示を受けるだろう。日本文化にとってうれしいことだ。」 

琵琶湖は関西の「水がめ」だが、また関西の人間の将来も左右する命の源でもある。ネット検索すると「ブログ 琵琶湖疏水の散歩道」が出てきた。たまたま「穴太」の地名を引用させてもらったが、運営されている方は80歳。しかもネット上で記事が少ない話題を発信するといわれる。まさに若者の発想である。最近はテレビでも島田紳助の親友・橋下大阪知事の批判を始めているが何のことはない。ネット上ではすでにある事無いこと言いたい放題、匿名(若者)で批判が展開され賑やかだ。若者は古い価値観を押し付けられることには反発する。今や世界で、若者がネットで、アラブでは民主化、ニューヨークで資本主義の在り方を問うデモを繰り広げている時代である。

ネットに関連して、1988年7月『みんぱく』に梅棹忠夫館長と奥野卓司の対談がある。奥野氏が「1970年代にアメリカではパソコンと言えば反体制文化と結びついていたね、ドロップアウトしたままになった人達もたくさんいる」と述べている。これは、反体制は自由や解放への道であると同時に逃避や閉塞の道でもある。ということでもある。


今の若者は一部では「オタク」と自称する。オタクとほぼ同義語として「マニア」というのがある。特定のモノに拘り社会的評価を全く気にしない人は嘗てマニアと呼ばれた。マニアにも様々な人がいる。特定のモノを収集するものを、コレクションマニア(収集家・コレクター)、美術品マニア・カーマニアといったような様々なモノを収集する人もいる。これがモノにかかわらず私みたいに「情報」に指向した収集も存在する。オタクは1980年代からアニメ、SFファンの間で使われたという。それ以前は似た言葉として「ネクラ」があった。また「オタク市場向け商品」が商売として成り立っているために、ニッチ(隙間市場)な分野も色々に生まれている。彼らの持つ知識を呼称して「オタク趣味」といっている。ネットでオタクの部屋の画像を見る。パソコンとフィギュア、ポスター、コミックと、清潔感があって整理整頓も行き届いていた。





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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
護憲の理由
「押しつけられた憲法は、改めるべし」という議論の流行したことがある。しかし日本国民の立場からみれば、現憲法が占領軍から押しつけられたように、明治憲法も国民が選挙したのではない官僚政府から押しつけられたものである。(略)国民生活に浸透した政治的伝統は、それがあきらかに破滅的な結果(たとえば15年戦争)に到るものでないかぎり、みだりに改変を計るべきものではない。

今日の世界には、このまま放置すれば人類の将来を脅かすだろう大きな問題がいくつかある。たとえば環境破壊・人口爆発・南北格差・民族主義紛争など。どの問題の解決にも国際的協力の必要なことはいうまでもない。と同時に、どの問題も軍事力によっては解決されない。(略)

改憲は議会の発議による。周知のようにワイロ・ウラ金・脱税・利権で国民の政治不信が戦後の頂点に達した今このときは、議会が改憲を発議するのに適当な時期であろうか。当面の急務は、おそらく改憲ではなくて、積年の腐敗の体系を、少なくともいくらか実質的に浄化することであろう。(1993年3月24日『朝日新聞』)

加藤周一 かとう-しゅういち
1919-2008 昭和後期-平成時代の評論家。
大正8年9月19日生まれ。東京帝大医学部在学中から,押韻定型詩の文学運動「マチネ・ポエティク」に参加。昭和22年福永武彦,中村真一郎と「1946―文学的考察」を発表する。26年医学留学生として渡仏し,西欧文化を体験。33年医業を廃し,以後,カナダ,ドイツ,アメリカ,日本などの大学で日本の文学や美術を講じつつ,文学,美術,政治などの評論活動をおこなう。55年「日本文学史序説」で大仏次郎賞。63年東京都立中央図書館長。平成4年立命館大学国際平和ミュージアム館長。6年朝日賞。平成20年12月5日死去。89歳。東京出身。著作はほかに評論「雑種文化」,自伝的回想録「羊の歌」,小説「運命」など。(→コトバンク)
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

写真左から國吉和夫氏、平田実氏、新城栄徳
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
東京の島袋和幸氏から『日本エスペラント運動史』がおくられてきた。島袋氏は豊川善曄も調べていたから、同書の人名索引には豊川の名前も載っている。

ザメンホフ【Lazaro Ludoviko Zamenhof】
1859‐1917
今日もっとも広く使用されている人工語・国際語エスペラントの創始者。ユダヤ系ポーランド人でワルシャワの眼科医。ペンネームを〈ドクトーロ・エスペラントDro Esperanto〉といい,これより人工語の名前がエスペラントと呼ばれるようになった。ザメンホフは生涯をエスペラントの普及に尽くし,旧約聖書,アンデルセンの童話などをはじめ,多くの文学作品をエスペラントに翻訳した。また,国際的に中立な言語のほかに,すべての宗教に共通である道徳原理の総和ともいうべき中立的な宗教を人類が採用すれば,人間間の関係はよくなるに違いないとする〈ホマラニスモ〉という学説も提唱した。(→コトバンク)



1917年12月ー伊波普猷らが主催したエスペラント研究会の記念写真。中央のヒゲをたくわえているのが伊波、その右が比嘉春潮

1918年1月29日ー日本エスペラント協会は四ツ谷見附の三河屋で理事幹事会を開催し、年々の収入不足に対応するための会費値上げの提案をこの年は見送り、会費(年1円20銭)は前金で納入してもらうことに決めた。また、黒板幹事長の提案で理事を評議員と改称して地方からも選ぶこととし、さらに幹事を改選し、幹事長・黒板、幹事・小坂、浅井を選任した。評議員に、伊波普猷(那覇)、速水真曹(横浜)、千布利雄(神戸)、大石和三郎、高橋邦太郎(広島)、高楠順次郎、田川大吉郎、中村精男、黒板勝美、安孫子貞次郎、斯波貞吉、志村保一の12名が選ばれた。

地方支部は、東京(後藤敬三)、横浜(速水真曹)、横須賀(小林茂吉)、金沢(吉川友吉)、大阪(山口末次郎)、堺(坂上佐兵衛)、広島(高橋邦太郎)、沖縄(比嘉春潮)、台湾(蘇壁輝)が活動し、協会の会員数は8月で286名に回復した。広島の高橋邦太郎は10月に静岡に転居し、静岡支部を設立した。

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07/11: 林忠彦

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
2012年3月21日、写真家の山田實さんのところに遊びにいった。偶然に朝日新聞社の1982年発行『昭和写真全仕事・林忠彦』を手にした。著者・林忠彦の署名入りである。中によく知られた太宰治の写真が載っている。山田さんの弟・昭氏の教え子の一人に太宰治の娘が居た。また山田さんは林忠彦色紙も所蔵している。

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二科会写真部沖縄支部、鹿児島市二科会 林忠彦氏を迎えて


□林忠彦 はやし-ただひこ
1918-1990 昭和時代の写真家。
大正7年3月5日生まれ。昭和12年上京,報道写真家の道にはいる。戦後,フリー。「小説新潮」に連載した文士のポートレートで地位をきずいた。のち秋山庄太郎(しょうたろう)らと二科会写真部を設立。平成2年12月18日死去。72歳。山口県出身。オリエンタル写真学校卒。写真集に「日本の作家」「日本の画家108人」など。(→コトバンク)
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02




1996年5月8日 有限会社2020年『シルバーエイジ』編集室で右が糸数和雄氏
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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P.8・9に安里三叉路(1970年)に琉映本館や琉映パチンコが見える。20に海洋博のため合同墓地を移動(本部浜元部落1973)、21に石油基地建設のためこわされた墓の内部(平安座1970)、36に毒ガス撤去デモの集まり(具志川1971)には沖縄人民党の瀬長亀次郎、日本共産党の東中光雄(1924年7月23日(88歳) 出生地 奈良県奈良市 出身校 同志社大学 現職 弁護士)らが見える。57には共通語を使いましょう(伊平屋1972)が印象に残る。

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07/10: 村山知義

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1936年8月ー日本民俗協会『日本民俗』第13号□琉球古典芸能の印象ー杉浦非水「大阪第五回内国勧業博覧会で琉球踊りをみた」、山崎紫紅、森律子、上司小剣、東儀和太郎、田辺尚雄「玉城盛重、新垣松含の15年前にみた。年老いた今日ー」、兼常清佐、村山知義、、邦正美、深井史郎、伊庭孝、岡元信吉、土岐善麿

1955年3月11日『球陽新報』「明治座の新生新派で”琉球の簪”上演、演出・村山知義、児玉清子、宮城章子出演」


村山知義が女装しニッディー・インペコーフェンを演じている。また舞踊をテーマにした作品も残っている。
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2012年7月10日『沖縄の軌跡』86号「画家・浦崎永錫」 島袋和幸 〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952
Category: 99-未分類
Posted by: ryubun02
b>6月18日ー豊見城で「琉球フォトセッション2011」
6月18日ー午前、久茂地の「ひさみ」へ寄って真喜志康徳さんと出会い那覇市歴史博物館同行。また1時すぎ山田實さん宅へ伺ったら豊見城市中央公民館で山田實さんの講演があるというので山田勉氏運転の車で同行した。NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム主催だという。真喜志さんも来ていた。那覇市歴史博物館の我謝幸男氏、写真家の國吉和夫氏も見えた。


5月28日ー午前11時前。山田實、山田勉、宮城護の3人の写真家と同行、南風原の画廊沖縄へ「國吉和夫 写真展」を見に行った。画廊沖縄には沖縄文化の杜の平良代表、國吉、町田の両嬢が先客で見えていた。毎月の水道料金請求書に名前がある宮里千里氏も見えた。帰り山田氏に沖縄そば屋でザルそばをご馳走になった。山田氏は久高島で岡本太郎とイザイホー空間を共有している。






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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

左は1963年発行の『芸能マガジン』/1957年4月『芸能タイムス』創刊号/編集発行人・渡嘉敷唯夫



写真左から渡嘉敷唯夫氏、新城栄徳、安里盛昭氏
Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
鹿児島県知事選挙

◎投 票 日 7月8日(日曜日)
◎期日前投票 6月22日(金曜日)~7月7日(土曜日)

立候補者
向原よしたか氏(民間出身)
いとう祐一郎氏(現職、元官僚)

この選挙は全国で注目を浴びています。
一つは、5月5日以降初めての県知事選挙であること。もう一つは、原発再稼働を強く進めるいとう祐一郎氏と原発反対を訴える向原よしたか氏の戦いであるということです。これは、原発を問う住民投票という側面も持っております。

いとう氏のマニフェスト
「現時点では、再生可能エネルギーや省エネルギーだけで現実の経済や暮らしにおいて不可欠なエネルギーをこれまでのように安定的に供給することができないことも事実です。エネルギーが不足することによって、日常生活や産業活動に深刻な影響が及ぶことも考慮する必要があります。したがって、原子力発電に代わるエネルギーを確保するまでの間は、安全性を十分に確保したうえで、原子力発電の活用が求められるものと考えています。」

07/02: 富永朝堂

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1924年11月2日『沖縄タイムス』
□きのふ開かれた朝堂氏木彫展 首里工業学校内でー来県中の青年彫刻家 富永朝堂氏の木彫作品展覧会は既報の通り昨日から首里工業内に於いて開かれたが本県では最初の彫刻展のこととて尚順男を初め市内の智識階級の人々多数の観覧あり木彫は10数点中には女優オトをモデルにした作もあり本県の赤木を多く使用してある因みに3日頃から那覇公会堂で開く筈


冨永朝堂(1897-1987ー12ー12)
 明治30年、福岡市下赤間町(現冷泉町)に生まれる。高村光雲の高弟山崎朝雲①に師事。
 大正13年の「雪山の女」帝展初入選。昭和7・8年の「五比売命」「踊女」帝展連続特選。代表作「谷風」(昭和13年)により日本木彫界に確固たる地位を築く。昭和19年、太宰府市観世音寺の地にアトリエを構え、自由な創作活動を展開。昭和50年、西日本文化賞受賞。昭和51年、第1回福岡市文化賞受賞。昭和60年死去。
 享年90歳。優れた彫技と高い精神性には定評があり、「木の中に棲むような彫刻家」といわれた。(→ブログ「太宰府市文化ふれあい館」)

①山崎朝雲 やまざき-ちょううん
1867-1954 明治-昭和時代の彫刻家。
慶応3年2月17日生まれ。仏師の高田又四郎にまなび,高村光雲に「養老孝子」がみとめられて入門する。明治40年米原雲海らと日本彫刻会を結成。芸術院会員。昭和27年文化功労者。昭和29年6月4日死去。87歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。本名は春吉。別号に羯摩(かつま)。作品に「大葉子(おおばこ)」「龗(たかおかみ)」など。(→コトバンク)
Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
6月29日の沖縄タイムスに「バイク死亡率 全国一」とある。大分まえには人間国宝の息子さんもバイク事故で亡くなっている。パレット前では「育てよう笑顔をはこぶ公共交通」の宣伝活動があった。おもろいまちのクルマであふれかえる最悪な街づくりの問題と大手ゼネコンと地方行政とテレビなどの利権構造の一端が見え隠れする。時期が時期で建築業界紙「沖縄建設新聞」によると、大和ハウス工業とオリックス不動産、大京が共同で設立したDO新都心開発会社が昨年の11月に「新都心地区プロジェクト・オフィス・ホテル・商業棟」の安全祈願祭りが行われたという。これはこの会社の安全を祈願するもので周囲の住民の安全は考慮されてない、というのが「おもろまち一丁目住環境を考える会」(http://www14.ocn.ne.jp/~omoro/ )の主張である。

私は2003年2月日外アソシエーツ発行『沖縄を深く知る事典』に「ヤマト風のスタイルへのなじみ方ー系列化ー」の中で次のように書いた。
□「かつて国粋主義を標榜し国民を社会に従属させた日本、ドイツ、イタリアなどの全体主義体制の国家。最近ではアメリカが超世界全体主義を目指しているが、「系列化」を考えるとは本来そのことを分析するもので、先ず足元を見る。国際通りに群がる幼獣化した少年少女、それら少女を買春する国立大学の教授、教師、医者。国道を暴走する青少年、資源を食い潰すクルマと拝金主義の横行、ヤマトへの同化を通り越して腐敗し始めている沖縄社会。」今は、これに「日本政府の思いやり予算で爆音を轟かし、墜落の危機を煽って資源を食い潰している米軍戦闘機」を加えないといけないが、足元の現実に注目する。琉球芸能研究者が相次いで二人もクルマに轢かれ亡くなっている。街を歩くと歩行者が遠慮してクルマが我が物顔で走っている。小学校や幼稚園の側に新しい車道も造る。クルマ優先の沖縄社会である。大きなクルマに人一人乗っていては「資源浪費」の見本である。マイカーは控えて公共交通と足を活かせ!。