10/31: 世相ジャパン(95)
コメントはメールにお願いします→shinjo8109@yahoo.co.jp
「くろねこの短語」11-6 流行語大賞にノミネートされた30の言葉の中に「検討師」が入っていないのでヘタレ総理がご立腹・・・なんて噂をネット雀がチュンチュク囀ってる今日この頃なんだが、そのヘタレ総理がまた迷い道くねくねしてくれたってね。なんとまあ、「手元にカードがない方も保険診療が受けられるよう、制度を用意する必要があり、関係府省による検討会で環境整備を行っていく」
だとさ。早速、ネットでは、「それを保険証と言う」なんて野次が飛び交っている。当然だね。だったら何のために国民健康保険証廃止なんてことをブチ上げたんだってことになる。さらに、「マイナンバーカードは、国民の申請に基づき交付されるもので、この点を変更する予定はなく義務づけるものではない」なんてことも答弁していて、もうひっちゃかめっちゃか。おそらく、当人も何言ってるんだかわかってないに違いない。
貧すれば鈍するで、迷い道くねくねどころか、一度病院行った方がいいんじゃないの・・・なんてことを我が家のドラ猫に囁いてみる日曜の朝である。
「くろねこの短語」11-5 昨日のエントリーで、「#走行距離課税」がトレンド入りって紹介したんだが、11月に入ってから「#自民党に殺される」が新たにトレンド入りしてるってね。
確かに、100年安心だったはずの年金は破綻の一途を辿り、防衛費増額を増税で賄おうと画策はするし、統一教会汚染の闇の深さに慄然たる思いに陥るし、とにかく自民党のやることなすこと、真綿で一般大衆労働者諸君の首を閉めているようなものなんだね。
でも、問題はそんな自民党を選挙ごとに勝利に導いてしまうマゾな有権者の存在なんだよね。それをさらに後押ししているのが選挙制度で、50%にも満たない得票率で議席の60~70%を占有しちゃうんだから話になりません。
統一教会の被害者救済新法だって、自民党はいつのまにかトーンダウンして、どうやらその背後には自民党を支援する宗教団体の思惑がチラホラしている。公明党が必死に新法成立にブレーキかけてるのも、創価学会の意向を受けてのことは自明のことだ。
こんなんだもの「#自民党に殺される」がトレンド入りするのも無理はないんだが、そう言ってるうちはダメなんだよね。自民党に殺されないためにはどうすべきか。そこに無い知恵を絞りたいと思う今日この頃なのだ。
「くろねこの短語」11-4 Jアラートってオオカミ少年みたいなものなんだね。ああ、それなのに、読売新聞は号外なんか出しちゃって、煽ること煽ること。そんなことより、「♯走行距離課税」がトレンド入りしたってね。これは何かって言うと、政府の税制調査会で提案された増税政策のひとつで、文字通り「走行距離に応じて課税」しようとするものだ。
ようするに、走れば走るほど税金取られるってことで、公共交通機関が脆弱で車に頼らざるを得ない地方にとっては死活問題なんだよね。物流だって大変ですよ。走行距離課税が採用されたら、当然その何割かは物流コストに上乗せされることになるから、それこそ日本経済全体に影響が出てくるだろうことはシロートにだって容易に想像がつこうというものだ。
そもそも、日本では車にかかる税金に「自動車税」「自動車重量税」「環境性能割」「消費税」があって、ただでさえ負担が大きい。そこにもってきて「走行距離課税」なんてことになったら若者の車離れはさらに進むことだって予想される。
「補助金は遅いが増税はクッソ早いからなぁ…この国」って声がネットでは飛び交っているけど、ヘタレ総理の「聞く力」ってのはどうやら財界に対してだけのようだから、そろそろ一揆でも起こさないと世の中どうにも立ちいかなくなりますよ。
11月2日、首里から伊佐眞一さんが泊まで歩いて(健康のため)きて『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号を恵まれた。



2022年10月 『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号 伊佐眞一「『復帰』思考を葬る」/安里英子・ 聞き手「新川明が語る『反復帰』論・自立の思想」



伊佐眞一「『世替』とぅ ウチナーンチュぬ 実」/又吉盛清「新垣弓太郎と辛亥革命」/大田静男「南西諸島の最前線基地化を断て!」



後田多敦「大龍柱向き改ざんを止められるか!」/永津禎三「首里城正殿大龍柱問題」/比嘉慂「じっと見る・私の怨念 日本復帰50年」

大濱 聡 11-2 ■本日(11.2)の『琉球新報』朝刊が伝えた普久原恒勇さん(沖縄市在/作曲家・音楽プロデューサー)の訃報に驚いた。昨夜、ある宴席で同席した琉球新報社のYさんが同紙に普久原さんが連載した「ぼくの目ざわり耳ざわり」の担当だったことから、普久原さんのことを話題にしたばかりだったからである。
11-6 コロナ 沖縄267人、/大阪3343人、3人死亡/ 東京6264人、1人死亡
11-5 コロナ 沖縄350人、/大阪4159人/ 東京7967人、1人死亡
11-4 コロナ 沖縄141人、4人死亡(米軍1)/大阪1536 人、6人死亡/ 東京 3090人、3人死亡
11-3 コロナ 沖縄274人(米軍1)/大阪 3781人、7人死亡/ 東京 6686人、2人死亡
11-2 コロナ 沖縄377人、5人死亡(米軍2)/大阪3868人、6人死亡 / 東京6346人 3人死亡
11-1 コロナ 沖縄363人/大阪4007人、6人死亡/東京6520人、5人死亡












2022-10-30 第7回世界のウチナーンチュ大会
「くろねこの短語」11-6 流行語大賞にノミネートされた30の言葉の中に「検討師」が入っていないのでヘタレ総理がご立腹・・・なんて噂をネット雀がチュンチュク囀ってる今日この頃なんだが、そのヘタレ総理がまた迷い道くねくねしてくれたってね。なんとまあ、「手元にカードがない方も保険診療が受けられるよう、制度を用意する必要があり、関係府省による検討会で環境整備を行っていく」
だとさ。早速、ネットでは、「それを保険証と言う」なんて野次が飛び交っている。当然だね。だったら何のために国民健康保険証廃止なんてことをブチ上げたんだってことになる。さらに、「マイナンバーカードは、国民の申請に基づき交付されるもので、この点を変更する予定はなく義務づけるものではない」なんてことも答弁していて、もうひっちゃかめっちゃか。おそらく、当人も何言ってるんだかわかってないに違いない。
貧すれば鈍するで、迷い道くねくねどころか、一度病院行った方がいいんじゃないの・・・なんてことを我が家のドラ猫に囁いてみる日曜の朝である。
「くろねこの短語」11-5 昨日のエントリーで、「#走行距離課税」がトレンド入りって紹介したんだが、11月に入ってから「#自民党に殺される」が新たにトレンド入りしてるってね。
確かに、100年安心だったはずの年金は破綻の一途を辿り、防衛費増額を増税で賄おうと画策はするし、統一教会汚染の闇の深さに慄然たる思いに陥るし、とにかく自民党のやることなすこと、真綿で一般大衆労働者諸君の首を閉めているようなものなんだね。
でも、問題はそんな自民党を選挙ごとに勝利に導いてしまうマゾな有権者の存在なんだよね。それをさらに後押ししているのが選挙制度で、50%にも満たない得票率で議席の60~70%を占有しちゃうんだから話になりません。
統一教会の被害者救済新法だって、自民党はいつのまにかトーンダウンして、どうやらその背後には自民党を支援する宗教団体の思惑がチラホラしている。公明党が必死に新法成立にブレーキかけてるのも、創価学会の意向を受けてのことは自明のことだ。
こんなんだもの「#自民党に殺される」がトレンド入りするのも無理はないんだが、そう言ってるうちはダメなんだよね。自民党に殺されないためにはどうすべきか。そこに無い知恵を絞りたいと思う今日この頃なのだ。
「くろねこの短語」11-4 Jアラートってオオカミ少年みたいなものなんだね。ああ、それなのに、読売新聞は号外なんか出しちゃって、煽ること煽ること。そんなことより、「♯走行距離課税」がトレンド入りしたってね。これは何かって言うと、政府の税制調査会で提案された増税政策のひとつで、文字通り「走行距離に応じて課税」しようとするものだ。
ようするに、走れば走るほど税金取られるってことで、公共交通機関が脆弱で車に頼らざるを得ない地方にとっては死活問題なんだよね。物流だって大変ですよ。走行距離課税が採用されたら、当然その何割かは物流コストに上乗せされることになるから、それこそ日本経済全体に影響が出てくるだろうことはシロートにだって容易に想像がつこうというものだ。
そもそも、日本では車にかかる税金に「自動車税」「自動車重量税」「環境性能割」「消費税」があって、ただでさえ負担が大きい。そこにもってきて「走行距離課税」なんてことになったら若者の車離れはさらに進むことだって予想される。
「補助金は遅いが増税はクッソ早いからなぁ…この国」って声がネットでは飛び交っているけど、ヘタレ総理の「聞く力」ってのはどうやら財界に対してだけのようだから、そろそろ一揆でも起こさないと世の中どうにも立ちいかなくなりますよ。
11月2日、首里から伊佐眞一さんが泊まで歩いて(健康のため)きて『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号を恵まれた。



2022年10月 『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号 伊佐眞一「『復帰』思考を葬る」/安里英子・ 聞き手「新川明が語る『反復帰』論・自立の思想」



伊佐眞一「『世替』とぅ ウチナーンチュぬ 実」/又吉盛清「新垣弓太郎と辛亥革命」/大田静男「南西諸島の最前線基地化を断て!」



後田多敦「大龍柱向き改ざんを止められるか!」/永津禎三「首里城正殿大龍柱問題」/比嘉慂「じっと見る・私の怨念 日本復帰50年」

大濱 聡 11-2 ■本日(11.2)の『琉球新報』朝刊が伝えた普久原恒勇さん(沖縄市在/作曲家・音楽プロデューサー)の訃報に驚いた。昨夜、ある宴席で同席した琉球新報社のYさんが同紙に普久原さんが連載した「ぼくの目ざわり耳ざわり」の担当だったことから、普久原さんのことを話題にしたばかりだったからである。
11-6 コロナ 沖縄267人、/大阪3343人、3人死亡/ 東京6264人、1人死亡
11-5 コロナ 沖縄350人、/大阪4159人/ 東京7967人、1人死亡
11-4 コロナ 沖縄141人、4人死亡(米軍1)/大阪1536 人、6人死亡/ 東京 3090人、3人死亡
11-3 コロナ 沖縄274人(米軍1)/大阪 3781人、7人死亡/ 東京 6686人、2人死亡
11-2 コロナ 沖縄377人、5人死亡(米軍2)/大阪3868人、6人死亡 / 東京6346人 3人死亡
11-1 コロナ 沖縄363人/大阪4007人、6人死亡/東京6520人、5人死亡












2022-10-30 第7回世界のウチナーンチュ大会
10/08: 世相ジャパン(94)
コメントはメールにお願いします→shinjo8109@yahoo.co.jp
☆天網てんもう恢恢かいかい疎そにして漏もらさず《「老子」七三章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。『大辞泉』




10-20 なはーと、左が仲嶺絵里奈さん/10-21 泊の自宅前で隣はパン屋さんが開店準備中/那覇空港
『沖縄タイムス』10-24 立候補を表明した当初は、相手候補に比べて知名度が劣ることに選対の焦りもあったが、告示直前の城間幹子市長の後継指名によって市民に広く浸透し、無党派層への支持拡大にもつながった。翁長雄志県政で副知事として「オール沖縄」側に身を置いた浦崎唯昭、安慶田光男両氏、城間市政で副市長を務めた久高将光氏らの支援を取り付けたことも大きかった。経済界も一枚岩となり、かつて自公と対立した金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬会長も支援に回った。さらには市議会で是々非々だった中立市議らも水面下で知念氏を応援した。
革新地盤とされる首里地域でも、首里出身の知念氏の同級生らが積極支援する動きが見られた。保守一本化戦略も奏功。一時は候補者擁立に動いた新興勢力「参政党」と政策協定を結び、辞退するよう申し出た。下地幹郎前衆院議員の支援も取り付け「オール保守」(選対関係者)を構築した。
M・T 10-20 参議院選挙・知事選挙で敗北した日本政府が、去る1月7日の日米の「2プラス2」で推進を確認した台湾有事の「日米共同作戦計画」を実行するためには、沖縄自体がこの戦争政策を許容推進する側につかねば、推進できないとして、必死に沖縄の世論を分断にかかってきました。これほどまでに数種類のビラをしかも金をかけた色刷りのビラを短期間に全家庭にまくなんて、歴史上の選挙でなかったことです。このことだけでも、相手候補の背後がいかなるものか想像がつきますし、その狙いの凄まじさが分かります。
RBC 10-15 那覇市の市立図書館8館が所有する67万冊の蔵書や、19万人にのぼる利用者の個人情報を管理するシステムが外部からのサイバー攻撃を受け、使用できない状態となっています。システムの復旧は見通しがつかない事から、那覇市内全ての市立図書館で13日から本の貸し出しを停止していて再開のメドは立っていません。システムのサーバーには「身代金を払わないと再び攻撃する」という英文が残されていて、那覇市立中央図書館は警察へ被害届を出す方針です。


10-13 泰山さんがメールで知らしてくれたのでリブロで入手。『世界』11月 第963号 渡辺豪「沖縄・半世紀の群像(最終回)ー金城馨」

山城 明 10-12 キラキラ輝いてます。



10月11日、おもろまちの電気屋によって帰途、真栄里泰山さんのご自宅に初めて伺う。泰山さんの長男は家の息子と泊小学校の同期生。1981年12月 沖縄の郷土月刊誌『青い海』109号 真栄里泰山(那覇市史編集室)「浅見オトー藪の中のカナリア」
◇真栄里 泰山(まえざと たいざん)1944年生 那覇市史編さん室、那覇市企画部長、経済部長などを経て、沖大客員教授、同常務理事を歴任。主な著作:「沖縄の慟哭(那覇市民の戦時戦後体験記)」編集担当 那覇市(沖縄タイムス出版文化賞)/「歴史ドキュメント・写真集・那覇百年の歩み」 編集担当 那覇市/「日本の空襲9沖縄」 編集担当 三省堂 (毎日出版文化賞)/「那覇大綱挽30年記念誌」那覇大綱挽保存会 編集副委員長




「TOKYOうちなーねっと」沖縄県の学生寮「沖英寮」が東京都世田谷区の豪徳寺にあることから始まった沖縄祭り。今年は4年ぶりの開催となり、寮の皆さまも気合が入っている様子でした。




第52回那覇大綱挽まつり 国際通り10月9日 旗頭行列(ウフンナスネーイ)



株式会社 三人社 京都市左京区岡崎徳成町29−3 岡崎ミントビル 電話番号 075-762-0368 FAX 075-762-0369『青い海』復刻版カタログ
〇新城栄徳『青い海』の思い出」1971年2月、京都駅近鉄名店街にある職場から大阪都島の「沖縄関係資料室」に行くと、来客があったようでテーブルに「沖縄をつくる若い広場 青い海趣意書」が置かれていた。夕方、仕事から帰宅した西平守晴が「同郷(八重山)で元琉球新報記者の津野創一君が沖縄の若い人向けの雑誌を出すというので、新城君もひとつ協力してくれ」という。翌日、大阪北区太融寺の阪急東ビルのオキナワ通信に居候の『青い海』編集室を訪ねた。津野編集長の早口で語るビジョンに意気投合した。大阪の編集は儀間比呂志の紹介で万木恵美子がいた。津野編集長は「編集デスクがほしい」と漏らしていた。


1971年4月に『青い海』創刊された。表紙絵「舞姫」は儀間比呂志、儀間は「この作品で云いたいのは、沖縄がどんな状況にあろうと、民族の誇りと、文化を守ろうとする若人のけがれのない瞳の美しさなのです。」と強調している。以後『青い海』表紙の儀間作品は2号、3号と続き、以後も3回、口絵も多数。その当時は渚ゆう子の歌「京都の恋」がテレビなどで流れて、歌詞の「わたしの心に鐘が鳴る 白い京都に 雨が降る」は寒い京都と相まって今でも覚えている。渚は『青い海』創刊の趣意書に「気にいった『青い海』」として、安仁屋宗八、琉王、堀江謙一とともに推薦文を寄せ、創刊号の青い海芸能に「渚ゆう子の人と歌とふるさとと」と登場して「ウミナイビ姿」の写真も載っている。『青い海』創刊当時と違って今はネットの時代なので検索すれば直ちに渚ゆう子画像・動画は過去から現在までなんぼでも出てくる。


1971年5月、沖縄の雑誌『青い海』2号に私らのグループ「沖青友の会(大阪)」が紹介されている。末尾に、大阪には沖青友の会のようなグループが四つある。おそらく10余のグループがあるのではないか、という。嘉陽君らは、思想、信条の違いはあってもいいから、それらのグループとヨコのつながりだけでも持って、共通の悩みを解決し合いたいと思っている。と結んでいる。当時、関西には、京都の都沖青、港区の沖青友の会、大正区のサークル南風、枚方市の守礼の会、尼埼の三和同郷青友会があった。それらと連絡雑誌を作ろうと沖青友の会が動きはじめた最中であったから、『青い海』創刊は渡りに船であった。私より沖青友の会の嘉陽宗博会長の方が積極的で機関誌『石の声』で宣伝にこれ努めた。
西平を紹介してほしいと、京都長岡天神でミニコミ紙「琉球弧」を出していた高良重一が沖縄から来た友人・小渡照生を同行してきた。大阪港区の池島保育園(西平夫人が園長。近鉄の野茂英雄投手も同園出身)の管理人室で西平を交えて話を聞いた。小渡は、大阪で図書館関係の仕事をしたいということだった。私は早速、沖縄の雑誌『青い海』が編集者を募集しているが、それをしながら図書館の仕事を見つけたらどうかと提案した。いつの間にか小渡氏も『青い海』の編集デスクに納まり、高良も『青い海』に協力し、東京支社長もつとめた。私も仕事(調理師)の合間に週に2回は『青い海』編集室でゴロゴロするようになった。


1972年2月号『青い海』10号 「若者が集う『沖縄関係資料室』の西平守晴氏宅」大阪都島の「沖縄関係資料室」が私の企画で紹介された。「沖縄のいぶき、臭いのあるもの、すべてを(沖縄の)集収する。この小さな部屋に沖縄を凝集させる」新城栄徳の抱負であるとする。だが、すべてのウチナー資料を資料室に集めるということはスペースもだが、限界がある。そこで関西にある公共機関(図書館・博物館)の沖縄関係所蔵資料の目録をヒマがあるとつくっていった。大阪府立中之島図書館には、伊波普猷の著書は『古琉球』をはじめ、戦前のものだけでも18冊、大城立裕の著書は14冊ある。新聞は琉球新報、沖縄タイムスの両支社に10年分はある。沖縄県大阪事務所は前田朝助所長、次長の協力を得て主要な資料のリストはつくった。物産展のポスターなどの資料は豊富である。青い海大阪支社には県人会、郷友会発行の会誌、名簿資料がある。宝塚歌劇団にも沖縄芸能の録音、8ミリの所蔵300点がある。民博、日本工芸館にも沖縄民芸が豊富にある。2022年今、私は沖青友の会、沖縄関係資料室、『青い海』で得た情報を増補改訂しながらブログ「琉文21」で紹介している。
☆天網てんもう恢恢かいかい疎そにして漏もらさず《「老子」七三章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。『大辞泉』




10-20 なはーと、左が仲嶺絵里奈さん/10-21 泊の自宅前で隣はパン屋さんが開店準備中/那覇空港
『沖縄タイムス』10-24 立候補を表明した当初は、相手候補に比べて知名度が劣ることに選対の焦りもあったが、告示直前の城間幹子市長の後継指名によって市民に広く浸透し、無党派層への支持拡大にもつながった。翁長雄志県政で副知事として「オール沖縄」側に身を置いた浦崎唯昭、安慶田光男両氏、城間市政で副市長を務めた久高将光氏らの支援を取り付けたことも大きかった。経済界も一枚岩となり、かつて自公と対立した金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬会長も支援に回った。さらには市議会で是々非々だった中立市議らも水面下で知念氏を応援した。
革新地盤とされる首里地域でも、首里出身の知念氏の同級生らが積極支援する動きが見られた。保守一本化戦略も奏功。一時は候補者擁立に動いた新興勢力「参政党」と政策協定を結び、辞退するよう申し出た。下地幹郎前衆院議員の支援も取り付け「オール保守」(選対関係者)を構築した。
M・T 10-20 参議院選挙・知事選挙で敗北した日本政府が、去る1月7日の日米の「2プラス2」で推進を確認した台湾有事の「日米共同作戦計画」を実行するためには、沖縄自体がこの戦争政策を許容推進する側につかねば、推進できないとして、必死に沖縄の世論を分断にかかってきました。これほどまでに数種類のビラをしかも金をかけた色刷りのビラを短期間に全家庭にまくなんて、歴史上の選挙でなかったことです。このことだけでも、相手候補の背後がいかなるものか想像がつきますし、その狙いの凄まじさが分かります。
RBC 10-15 那覇市の市立図書館8館が所有する67万冊の蔵書や、19万人にのぼる利用者の個人情報を管理するシステムが外部からのサイバー攻撃を受け、使用できない状態となっています。システムの復旧は見通しがつかない事から、那覇市内全ての市立図書館で13日から本の貸し出しを停止していて再開のメドは立っていません。システムのサーバーには「身代金を払わないと再び攻撃する」という英文が残されていて、那覇市立中央図書館は警察へ被害届を出す方針です。


10-13 泰山さんがメールで知らしてくれたのでリブロで入手。『世界』11月 第963号 渡辺豪「沖縄・半世紀の群像(最終回)ー金城馨」

山城 明 10-12 キラキラ輝いてます。



10月11日、おもろまちの電気屋によって帰途、真栄里泰山さんのご自宅に初めて伺う。泰山さんの長男は家の息子と泊小学校の同期生。1981年12月 沖縄の郷土月刊誌『青い海』109号 真栄里泰山(那覇市史編集室)「浅見オトー藪の中のカナリア」
◇真栄里 泰山(まえざと たいざん)1944年生 那覇市史編さん室、那覇市企画部長、経済部長などを経て、沖大客員教授、同常務理事を歴任。主な著作:「沖縄の慟哭(那覇市民の戦時戦後体験記)」編集担当 那覇市(沖縄タイムス出版文化賞)/「歴史ドキュメント・写真集・那覇百年の歩み」 編集担当 那覇市/「日本の空襲9沖縄」 編集担当 三省堂 (毎日出版文化賞)/「那覇大綱挽30年記念誌」那覇大綱挽保存会 編集副委員長




「TOKYOうちなーねっと」沖縄県の学生寮「沖英寮」が東京都世田谷区の豪徳寺にあることから始まった沖縄祭り。今年は4年ぶりの開催となり、寮の皆さまも気合が入っている様子でした。




第52回那覇大綱挽まつり 国際通り10月9日 旗頭行列(ウフンナスネーイ)



株式会社 三人社 京都市左京区岡崎徳成町29−3 岡崎ミントビル 電話番号 075-762-0368 FAX 075-762-0369『青い海』復刻版カタログ
〇新城栄徳『青い海』の思い出」1971年2月、京都駅近鉄名店街にある職場から大阪都島の「沖縄関係資料室」に行くと、来客があったようでテーブルに「沖縄をつくる若い広場 青い海趣意書」が置かれていた。夕方、仕事から帰宅した西平守晴が「同郷(八重山)で元琉球新報記者の津野創一君が沖縄の若い人向けの雑誌を出すというので、新城君もひとつ協力してくれ」という。翌日、大阪北区太融寺の阪急東ビルのオキナワ通信に居候の『青い海』編集室を訪ねた。津野編集長の早口で語るビジョンに意気投合した。大阪の編集は儀間比呂志の紹介で万木恵美子がいた。津野編集長は「編集デスクがほしい」と漏らしていた。
1971年4月に『青い海』創刊された。表紙絵「舞姫」は儀間比呂志、儀間は「この作品で云いたいのは、沖縄がどんな状況にあろうと、民族の誇りと、文化を守ろうとする若人のけがれのない瞳の美しさなのです。」と強調している。以後『青い海』表紙の儀間作品は2号、3号と続き、以後も3回、口絵も多数。その当時は渚ゆう子の歌「京都の恋」がテレビなどで流れて、歌詞の「わたしの心に鐘が鳴る 白い京都に 雨が降る」は寒い京都と相まって今でも覚えている。渚は『青い海』創刊の趣意書に「気にいった『青い海』」として、安仁屋宗八、琉王、堀江謙一とともに推薦文を寄せ、創刊号の青い海芸能に「渚ゆう子の人と歌とふるさとと」と登場して「ウミナイビ姿」の写真も載っている。『青い海』創刊当時と違って今はネットの時代なので検索すれば直ちに渚ゆう子画像・動画は過去から現在までなんぼでも出てくる。
1971年5月、沖縄の雑誌『青い海』2号に私らのグループ「沖青友の会(大阪)」が紹介されている。末尾に、大阪には沖青友の会のようなグループが四つある。おそらく10余のグループがあるのではないか、という。嘉陽君らは、思想、信条の違いはあってもいいから、それらのグループとヨコのつながりだけでも持って、共通の悩みを解決し合いたいと思っている。と結んでいる。当時、関西には、京都の都沖青、港区の沖青友の会、大正区のサークル南風、枚方市の守礼の会、尼埼の三和同郷青友会があった。それらと連絡雑誌を作ろうと沖青友の会が動きはじめた最中であったから、『青い海』創刊は渡りに船であった。私より沖青友の会の嘉陽宗博会長の方が積極的で機関誌『石の声』で宣伝にこれ努めた。
西平を紹介してほしいと、京都長岡天神でミニコミ紙「琉球弧」を出していた高良重一が沖縄から来た友人・小渡照生を同行してきた。大阪港区の池島保育園(西平夫人が園長。近鉄の野茂英雄投手も同園出身)の管理人室で西平を交えて話を聞いた。小渡は、大阪で図書館関係の仕事をしたいということだった。私は早速、沖縄の雑誌『青い海』が編集者を募集しているが、それをしながら図書館の仕事を見つけたらどうかと提案した。いつの間にか小渡氏も『青い海』の編集デスクに納まり、高良も『青い海』に協力し、東京支社長もつとめた。私も仕事(調理師)の合間に週に2回は『青い海』編集室でゴロゴロするようになった。


1972年2月号『青い海』10号 「若者が集う『沖縄関係資料室』の西平守晴氏宅」大阪都島の「沖縄関係資料室」が私の企画で紹介された。「沖縄のいぶき、臭いのあるもの、すべてを(沖縄の)集収する。この小さな部屋に沖縄を凝集させる」新城栄徳の抱負であるとする。だが、すべてのウチナー資料を資料室に集めるということはスペースもだが、限界がある。そこで関西にある公共機関(図書館・博物館)の沖縄関係所蔵資料の目録をヒマがあるとつくっていった。大阪府立中之島図書館には、伊波普猷の著書は『古琉球』をはじめ、戦前のものだけでも18冊、大城立裕の著書は14冊ある。新聞は琉球新報、沖縄タイムスの両支社に10年分はある。沖縄県大阪事務所は前田朝助所長、次長の協力を得て主要な資料のリストはつくった。物産展のポスターなどの資料は豊富である。青い海大阪支社には県人会、郷友会発行の会誌、名簿資料がある。宝塚歌劇団にも沖縄芸能の録音、8ミリの所蔵300点がある。民博、日本工芸館にも沖縄民芸が豊富にある。2022年今、私は沖青友の会、沖縄関係資料室、『青い海』で得た情報を増補改訂しながらブログ「琉文21」で紹介している。