01/01: 龍/2016年1月1日 若狭「龍神」
龍神と初日
1920年11月 『日本及日本人』南方熊楠「大本といふ神號」/麥生(末吉安恭)「薩人の虐殺」→吉田茂の妻:雪子は牧野伸顕伯爵の娘で大久保利通の孫。1941年に死別。後妻は喜代(元新橋の芸者)である。アベや麻生にも薩摩の大久保利通の血が流れている。まぁ歴代の総理は皆親戚だが。
2016年1月9日『沖縄タイムス』に「猫の画家藤田嗣治 犬も好き」というのがあった。前に麦生(末吉安恭)が猫にふれた随筆を紹介したから今度は犬について紹介する。
1919年4月『日本及日本人』麦生(末吉安恭)□無筆の犬ー無筆の犬といふ話は早く醒唾笑(元和9年)①に出づ。曰く「人喰ひ犬のある処へは何とも行かれぬなど語るに、さる事あり、虎といふ字を手の内に書いて見すれば、喰はぬと教ゆる。後犬を見、虎といふ字を書きすまし、手をひろげ見せけるが、何の詮もなく、ほかと喰ふたり。悲く思ひ、或僧に語りければ、推したり、其犬は一圓文盲にあったものよ」云々。
①醒睡笑(せいすいしょう)は庶民の間に広く流行した話を集めた笑話集。著者は茶人や文人としても知られる京(京都)の僧侶、安楽庵策伝。8巻1,039話の話を収録している。「眠りを覚まして笑う」の意味で『醒睡笑』と命名された。この命名時点を完成とみて1623年(元和9年)成立とする資料と、後述の板倉重宗への献呈と奥書の付与の時点を完成と見て1628年(寛永5年)成立とする資料とがある。「醒酔笑」と記す資料もあるが正当ではない。→ウィキペディア
1919年4月『日本及日本人』麦生(末吉安恭)□犬面冠者ー海東繹史六十一②に「又漸州人○人、被処入倭、親見秀吉、左○有黒○数点、面○犬形、約60余、止一子方三歳」云々、鮮人の眼に映じた秀吉は犬面冠者なるが如し。犬にせよ猿にせよ五十歩百歩、秀吉の面貌の醜に近かりしことは想像が」つく。
②かいとうえきし【海東繹史】
朝鮮,李朝の学者韓致奫(かんちえん)(1765‐1814)が中国,日本の書籍545部から朝鮮関係記事を集めて編纂した書籍。70巻26冊。東夷諸国と檀君時代から高麗までの歴史を述べた〈世紀〉をはじめ,全体を17の志・考に分け,引用文に考証と見解が加えてあり,正祖時代の実学派の一大成果といわれる。続編に,韓致奫の遺稿を彼のおい韓鎮書が編纂した《地理考》15巻があり,地理研究資料として評価が高い。→コトバンク
1936第23回二科美術展覧会 饒平名智行「唐破風」
龍神と月
1966年5月『守礼の光』表紙「玉城節子さんの真乙女『竜神の舞い』の舞台より」
1972年1月 沖縄の雑誌『青い海』
儀間比呂志の絵本 1978年『りゅうと にわとり』ひかりのくに
儀間比呂志の絵本 2016年1月『りゅうになりそこねたハブ』福音館書店
1976年 渡口精真(狛江市)の年賀状
2003年8月 原田禹雄『琉球を守護する神』榕樹書林
〇醍醐寺の清瀧宮は、醍醐寺の鎮守の杜で、理源大聖宝が、醍醐寺を開基したときに勧請した。祭神の清瀧明神とは、裟伽羅龍王の第三王女である。この神は、唐の青龍寺の鎮守神であったのを、弘法大師空海が帰朝するときに勧請し、それを、聖宝が醍醐寺に勧請したとされる。もともと醍醐は、水とのゆかりの深い霊地である。上醍醐に勧請された清瀧宮もまた、醍醐水のかたわらに建立された。青龍①の二字に、それぞれサンズイヘンをつけて清瀧としたところも、請雨の祈祷に名をはせた醍醐寺らしい配慮がしのばれる。下醍醐の清瀧宮は、承徳三年(1099)に、上醍醐から勧請された。(略)袋中は『琉球神道記』で≪私云く、爾ば琉球の二字、恐らくは龍宮の韻なり。那覇は、阿那婆達龍王の所居なるべし≫(略)袋中は、琉球を守るキンマモンに、この白い蛇体、ないし、龍体の神を感得していたらしい。いや、天照大神も蛇体と思っていた節がある。
①青竜(せいりゅう、せいりょう、拼音: qīnglóng チンロン)は、中国の伝説上の神獣、四神(四象)の1つ。東方青竜。蒼竜(そうりゅう)ともいう。福建省では青虎(せいこ)に置き換わっている。現代日本語では青は英語で言うブルーを意味することが多いが、「青」の原義は青山(せいざん)・青林(せいりん)のように緑色植物の色であり、本来は緑色をしているとされる。東方を守護する。長い舌を出した竜の形とされる。青は五行説では東方の色とされる。また、青竜の季節は春とされている。天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応する。東方七宿(角宿・亢宿・氐宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて竜の姿に見立てたことに由来する。道教における人格神化した名前では、東海青龍王敖広と呼ばれる[要出典]。清瀧権現の善女龍王は中国・青龍寺に飛来したという。秩父神社の「つなぎの龍」が青龍である。俳句において春の季語である「青帝(せいてい)」・「蒼帝(そうてい)」・「東帝」と同義であり、春(東・青)の象徴である。但し、「炎帝」・「白帝」・「玄帝(冬帝)」と違い、「青帝」はあまり使われない季語であるため、小型の歳時記や季寄せから削除されている場合が多い。なお、春のことを「青春」ともいう。→ウィキペディア
味の店三郎(那覇市若狭1-14-10 電話098-868-8348)
2024-6-20 安里信祐叔父(6-16没96歳)告別式、安謝葬祭会館1時
レストラン宝楽
沖縄県立第二高等女学校跡「白梅の乙女たち」(1984(昭和59) 西村貞雄・制作 )
沖縄県立博物館の封筒
2013年2月 松山公園
東恩納寛量・宮城長順顕彰碑
沖縄県立第二高等女学校跡「白梅の乙女たち」(西村貞雄氏作)
久米村600年記念碑(神山泰治氏デザイン)