07/06: 1934年11月 『読売新聞』中里介山「大菩薩峠」画・矢野橋村
中里介山
小説家。東京羽村生。名は弥之助、号は羽村子。はじめ社会主義に傾倒し、日露戦争下には「平民新聞」に反戦詩を発表する。明治39年都新聞社に入社、『氷の花』『島原城』などの連載小説を手がけ、代表作『大菩薩峠』はのちの大衆文学に大きな影響を与える。のち郷里羽村に西隣塾を開き、文壇から離れて超然とした生活を送った。昭和19年(1944)歿、60才.→コトバンク
『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)は、中里介山作の長編時代小説。1913年~1941年に都新聞・毎日新聞・読売新聞などに連載された41巻にのぼる未完の一大巨編。→ウィキ
矢野橋村
日本画家。愛媛県生。名は一智、別号に知道人。永松春洋に師事する。日本南画院の結成に参加、また福岡青嵐や洋画家斎藤与里らと私立の大阪美術学校を設立。南画界の重鎮として活躍し、また大阪の美術振興に貢献した。日展審査員。芸術院賞受賞。大阪府芸術賞・大阪市民文化賞受賞。日本南画院会長。昭和40年(1965)歿、74才。 →コトバンク
中里介山 大菩薩峠 恐山の巻 - 青空文庫
「オ嬢サン、コレカラ日本ノモノヤルデス、マズ南ノ方カラヤリマショ、八重山ヲヤリマショ」
「八重山って何です」
「八重山ハ薩摩ノ国ノ南ノ方ニアル島デス、ソノ島ノ娘、タイヘン声ヨイデス、世界デモ一番デス」
と、マドロスが風琴を膝へ置いて答えました。
「え?」
と女が少し聞き耳を立て、
「何ですって、世界で一番? 言うことが大きいわ」
「ウソデナイデス、タナベ先生モホメマシタ、八重山ノ唄ト踊リ、素晴ラシイモノデス、ワタシ、日本デハアンナスバラシイモノ聞イタコトナイデス、ソレヲ一ツ、ココデ真似テ見ルデス」
「まあ、ちょっとお待ちなさい、マドロスさんの言うことは大きいからね、日本の国の薩摩の国の中に世界一番なんて、それは掛値があるんでしょうけれど、かりに割引して聞いても、そんなに素晴らしい唄だの踊りだのが、日本の中にあるんですか、そのことをもう少し説明してから、唄って聞かせて頂戴」
「八重山ノ娘サンタチノ声ハ五町モ六町モトオルデス、ソウシテ声ガヨク練レテイルデス、ワタシ聞イタ、世界ニモ珍シイデス、日本ノ国ニアンナトコロハ二ツトナイデス、ワタシ、一生懸命ニ三日習イマシタ、ユンタ、ジラバヲヤッテオ聞カセスルデス」
「では、ともかくやってみて下さいな」
「八重山ノユンタ、ジラバ……」
そこで、またマドロスが実演にかかりました。
果して八重山という日本の国の辺鄙へんぴの島の中に、そんな音楽の天国があるものか、マドロスの受売りだけでは信じられないが、女はその予備宣伝に相当引きつけられているらしい。
そこで声高こわだかにマドロスが手風琴をあやなしながら唄い出したが、歌句は一向何だかわからない。本来、今までのマドロス芸術について、歌詞そのものは一向にわからないで、そのメロデーについて感心して聴いていたのが、これから日本のものを相はじめますということになってみると、その八重山とか、八重山節とかいうものが、歌詞はむろん相当にわかって、一層の興味があるだろうと予想したが、わからない。本来演奏者自身がわかってやっているのではないから、これは詮索せんさくしても駄目――ただ、盛んに唄い出すマドロスの咽喉のどを見て、八重山の女の世界的だという咽喉を想像するよりほかはないのですが、想像してみたところで、以前わからない異国情調を聞かされたほどの感興は、どうしても起らないらしい。
小説家。東京羽村生。名は弥之助、号は羽村子。はじめ社会主義に傾倒し、日露戦争下には「平民新聞」に反戦詩を発表する。明治39年都新聞社に入社、『氷の花』『島原城』などの連載小説を手がけ、代表作『大菩薩峠』はのちの大衆文学に大きな影響を与える。のち郷里羽村に西隣塾を開き、文壇から離れて超然とした生活を送った。昭和19年(1944)歿、60才.→コトバンク
『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)は、中里介山作の長編時代小説。1913年~1941年に都新聞・毎日新聞・読売新聞などに連載された41巻にのぼる未完の一大巨編。→ウィキ
矢野橋村
日本画家。愛媛県生。名は一智、別号に知道人。永松春洋に師事する。日本南画院の結成に参加、また福岡青嵐や洋画家斎藤与里らと私立の大阪美術学校を設立。南画界の重鎮として活躍し、また大阪の美術振興に貢献した。日展審査員。芸術院賞受賞。大阪府芸術賞・大阪市民文化賞受賞。日本南画院会長。昭和40年(1965)歿、74才。 →コトバンク
中里介山 大菩薩峠 恐山の巻 - 青空文庫
「オ嬢サン、コレカラ日本ノモノヤルデス、マズ南ノ方カラヤリマショ、八重山ヲヤリマショ」
「八重山って何です」
「八重山ハ薩摩ノ国ノ南ノ方ニアル島デス、ソノ島ノ娘、タイヘン声ヨイデス、世界デモ一番デス」
と、マドロスが風琴を膝へ置いて答えました。
「え?」
と女が少し聞き耳を立て、
「何ですって、世界で一番? 言うことが大きいわ」
「ウソデナイデス、タナベ先生モホメマシタ、八重山ノ唄ト踊リ、素晴ラシイモノデス、ワタシ、日本デハアンナスバラシイモノ聞イタコトナイデス、ソレヲ一ツ、ココデ真似テ見ルデス」
「まあ、ちょっとお待ちなさい、マドロスさんの言うことは大きいからね、日本の国の薩摩の国の中に世界一番なんて、それは掛値があるんでしょうけれど、かりに割引して聞いても、そんなに素晴らしい唄だの踊りだのが、日本の中にあるんですか、そのことをもう少し説明してから、唄って聞かせて頂戴」
「八重山ノ娘サンタチノ声ハ五町モ六町モトオルデス、ソウシテ声ガヨク練レテイルデス、ワタシ聞イタ、世界ニモ珍シイデス、日本ノ国ニアンナトコロハ二ツトナイデス、ワタシ、一生懸命ニ三日習イマシタ、ユンタ、ジラバヲヤッテオ聞カセスルデス」
「では、ともかくやってみて下さいな」
「八重山ノユンタ、ジラバ……」
そこで、またマドロスが実演にかかりました。
果して八重山という日本の国の辺鄙へんぴの島の中に、そんな音楽の天国があるものか、マドロスの受売りだけでは信じられないが、女はその予備宣伝に相当引きつけられているらしい。
そこで声高こわだかにマドロスが手風琴をあやなしながら唄い出したが、歌句は一向何だかわからない。本来、今までのマドロス芸術について、歌詞そのものは一向にわからないで、そのメロデーについて感心して聴いていたのが、これから日本のものを相はじめますということになってみると、その八重山とか、八重山節とかいうものが、歌詞はむろん相当にわかって、一層の興味があるだろうと予想したが、わからない。本来演奏者自身がわかってやっているのではないから、これは詮索せんさくしても駄目――ただ、盛んに唄い出すマドロスの咽喉のどを見て、八重山の女の世界的だという咽喉を想像するよりほかはないのですが、想像してみたところで、以前わからない異国情調を聞かされたほどの感興は、どうしても起らないらしい。