07/12: 2005年8月 那覇市立壺屋焼物博物館 「日本・琉球の文化資料展」
研究会と交流。
2005年5月 新城良一・編『ビジュアル版 日本・琉球の文明開化ー異国船来航の系譜』天久海洋文学散歩会
2005年8月 那覇市立壺屋焼物博物館 「日本・琉球の文化資料展ー鎖国から文明開化へー」主催/天久海洋文学散歩会(新城良一)
左が喜納勝代さん
渡口万年筆の渡口彦邦氏と新城良一氏(右)
2012年5月ミズリー州ブルックフィールド(ローズヒル墓地) ベッテルハイム墓碑で新城良一氏
2012年9月 那覇市ぶんかテンブス館3Fギャラリー「写真資料展・『琉球王国』と『宣教師ベッテルハイム』その時代」主催/新城良一「私設・文学資料館」
2013年9月 バジル・ホール研究会『琉球王国の栄光』第2号□写真/バジルホールとその自筆署名(新城良一所蔵)
通航一覧つうこういちらんー江戸時代の外交関係史料集。本文 350巻,付録 23巻,凡例総目2巻。幕府の命を受けて,大学頭林あきら (復斎) が史料を収集整理して嘉永3 (1850) 年に完成したもの。琉球,朝鮮,中国をはじめ,東南アジア,欧米諸国の国号の起源,統治者の世系,日本との交通などを,いくつかの項目に分けて書いてある。コトバンク
1938年8月から須藤利一は『沖縄教育』に「ベージル・ホール大琉球航海記」を1939年まで連載。(抜き刷りを新城良一氏所蔵)1940年1月、須藤利一は野田書房から『大琉球島探検航海記』を出した。発売所は東京は日本古書通信社代理部、那覇は沖縄書籍となっている。
1969年3月 昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書1』「B・J・ベッテルハイム」「八田知紀」「中村正直」
昭和女子大学「近代文化研究所」の中心事業であった『近代文学研究叢書』の刊行は、創立者人見円吉の企画・立案によるもので、大学が誇る図書館(近代文庫)の充実した蔵書を生かして調査研究が開始。38巻は「江見水蔭 B・H・チェンバレン 坪内逍遙」である
新城良一氏が手にしているのは神田 精輝 訳『ペルリ提督琉球訪問記 』の初版本
吉井勇の作「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」
1925年4月14日『琉球新報』「志賀重昂氏宅に『中山門』の扁額」
1926年5月20日『沖縄朝日新聞』「除幕式を終えて」
1926年5月2日ーベッテルハイム記念碑(ベッテルハイム師が歴訪した10カ国の石をちりばめた記念碑)除幕式。右端上が島袋源一郎□ベッテルハイム記念碑除幕式は午後3時より波上護国寺境内に於いて挙行。来賓は亀井知事、佐伯裁判所長、志賀重昴、羽田内務部長、岸本那覇市長、知花朝章、里見学務部長、金城那覇市会議長ら。司会者は伊東平次、聖書朗読は佐久原好伝、祈祷が芹澤浩、除幕が知花朝章、建碑之辞、決算報告がイー・アール・ブル、讃美歌は合唱隊、祝祷が神山本淳。記念写真は久志写真館。
2005年5月 新城良一・編『ビジュアル版 日本・琉球の文明開化ー異国船来航の系譜』天久海洋文学散歩会
2005年8月 那覇市立壺屋焼物博物館 「日本・琉球の文化資料展ー鎖国から文明開化へー」主催/天久海洋文学散歩会(新城良一)
左が喜納勝代さん
渡口万年筆の渡口彦邦氏と新城良一氏(右)
2012年5月ミズリー州ブルックフィールド(ローズヒル墓地) ベッテルハイム墓碑で新城良一氏
2012年9月 那覇市ぶんかテンブス館3Fギャラリー「写真資料展・『琉球王国』と『宣教師ベッテルハイム』その時代」主催/新城良一「私設・文学資料館」
2013年9月 バジル・ホール研究会『琉球王国の栄光』第2号□写真/バジルホールとその自筆署名(新城良一所蔵)
通航一覧つうこういちらんー江戸時代の外交関係史料集。本文 350巻,付録 23巻,凡例総目2巻。幕府の命を受けて,大学頭林あきら (復斎) が史料を収集整理して嘉永3 (1850) 年に完成したもの。琉球,朝鮮,中国をはじめ,東南アジア,欧米諸国の国号の起源,統治者の世系,日本との交通などを,いくつかの項目に分けて書いてある。コトバンク
1938年8月から須藤利一は『沖縄教育』に「ベージル・ホール大琉球航海記」を1939年まで連載。(抜き刷りを新城良一氏所蔵)1940年1月、須藤利一は野田書房から『大琉球島探検航海記』を出した。発売所は東京は日本古書通信社代理部、那覇は沖縄書籍となっている。
1969年3月 昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書1』「B・J・ベッテルハイム」「八田知紀」「中村正直」
昭和女子大学「近代文化研究所」の中心事業であった『近代文学研究叢書』の刊行は、創立者人見円吉の企画・立案によるもので、大学が誇る図書館(近代文庫)の充実した蔵書を生かして調査研究が開始。38巻は「江見水蔭 B・H・チェンバレン 坪内逍遙」である
新城良一氏が手にしているのは神田 精輝 訳『ペルリ提督琉球訪問記 』の初版本
吉井勇の作「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」
1925年4月14日『琉球新報』「志賀重昂氏宅に『中山門』の扁額」
1926年5月20日『沖縄朝日新聞』「除幕式を終えて」
1926年5月2日ーベッテルハイム記念碑(ベッテルハイム師が歴訪した10カ国の石をちりばめた記念碑)除幕式。右端上が島袋源一郎□ベッテルハイム記念碑除幕式は午後3時より波上護国寺境内に於いて挙行。来賓は亀井知事、佐伯裁判所長、志賀重昴、羽田内務部長、岸本那覇市長、知花朝章、里見学務部長、金城那覇市会議長ら。司会者は伊東平次、聖書朗読は佐久原好伝、祈祷が芹澤浩、除幕が知花朝章、建碑之辞、決算報告がイー・アール・ブル、讃美歌は合唱隊、祝祷が神山本淳。記念写真は久志写真館。