◎1924年6月23日『沖縄朝日新聞』「歴史に現れた佛國と沖縄の交渉ー今を距る八十年前初めて佛船来たり泰平の夢を破る」

7月5日 佛艦アルゴール那覇港内桟橋に横着
1924年7月8日『沖縄タイムス』莫夢生「百日紅(1)ー佛蘭西と琉球ー唯一の外交史料」

○西暦千八百四十四年四月佛國の軍艦が沖縄に訪問した。其の用向きは我が琉球と通好貿易を求むる為であった。其の当時彼我交換した文書が私の手元にあるので、それを引用して当時の外交関係を窺って見たいのである。この往復文書は双方とも漢文で認められてある。




○老婆の処女を説いて貞操を求むるが如し。非情な子供あつかいである。保護國の何ものたるかを知らない、國際法上の知識がない琉球人でも、これには底怖ろしくなったであろう。あの時、琉球の官民が南洋あたりの佛領殖民地人と同じかったら、早速盲判をついていたかも知れない。その結果東洋の舞台が今日のそれとどう変わったかは想像も出来まい。しかし当時外交舞台に於ける佛の競争者は英であるから両者は相邪魔 佛の意の如く東洋に勢力を張ることも、当時不可能な形勢ではあった。更にそのうち仏蘭西に内乱に次ぐに内乱を以てし独逸と戦っては破れ帝政は覆り共和となり、東洋侵略の野心も一時収縮させられて其間に我日本の勢力は伸びて東洋の覇権をにぎることとなったから幸いであったのだ。


○問ふに落ちず語るに落ちるとはこのことである。当時に於ける英佛の東亜侵略の競争と其の恐ろしい野心の爪牙が歴々としてこの書中にあらはれてゐるではないか。(略)書中にある事実の虚実取まぜた外交辞令であることは勿論である。又この簡単な文章の裏面には薩摩がかくれてゐた。薩摩との関係はオクビにも出さないで中国々と云ってゐる所が面白い。






  1924年7月25日『沖縄タイムス』莫夢生「百日紅(11)ー佛蘭西と琉球ー唯一の外交史料ー」
○・・人類 もと一組より出て昔 遡れば皆同胞兄弟であるから、四海皆兄弟は人類の理想である。同胞兄弟おのおの父の家から分かれて 相拒み相絶つことを得ない。天下の兄弟も亦た然り 各々其の住むべき土地を分有しても、天下の大道は通行自由でなければならぬ・・・







1922年3月 『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆ーおもろ艸紙の焼失」
○おもろは万葉、祝詞、古事記の三つに該当する内容を持っている、尊き聖典である。この聖典が嘗て沖縄で火災にかかり一度失ったことがある。それをここに記して見ようとする。それは球陽其の他の史籍にも見えず、具志川按司家の家譜にあるだけである。私は先年同家を訪ひ其の家譜を見て初めて知ったのである。同家の先祖は尚真王の第三王子で今帰仁王子朝典と云ふ。家譜に其の北山に赴いたこと、其の時おもろ艸紙を持って行ったこと、後に首里王城の焼けた時に、王城内にある、おもろは焼け失い、今帰仁家にあったものを献したと云ふことがある。→『向姓家譜 大宗 諱韶威』

1922年4月『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆ー火災と文献」