大阪企業家ミュージアム

 地下鉄堺筋本町駅近くに大阪企業家ミュージアムがあって文献資料や映像ライブラリーが充実している。解説に「携帯電話やインターネットの普及などによる情報化が急速に進みました。また、関西国際空港が開設し海外との結びつきもより強いものとなりました。一方で海外生産の増加による産業の空洞化や、少子化による人口の減少、環境問題など難しい課題も生まれています」とある。ライブラリーで三島康雄『造船王・川崎正蔵の生涯』同文館を見る。沖縄で教員をしていた山本実彦にも『川崎正蔵』の著がある。川崎は、1869年から薩摩藩下屋敷跡の砂糖会社に勤めていた。1875年、川崎は琉球藩の貢糖を大阪まで運送し販売する役目を大蔵省から命ぜられ、自己所有の龍王丸、龍田丸、布引丸で回漕を行ないその管理のため東京と大阪を往復した。大阪江戸堀にあった川崎の大阪邸には松方正義、西郷従道、中井弘らがよく宿泊した。川崎は支那宋元の古画コレクターで、1870年に神戸の邸内に美術館を設けた。親交のあった伊藤博文が「長春閣」と命名した。

○大阪企業家ミュージアムは、大阪市中央区本町にある博物館。大阪で活躍した企業家をテーマとしており、大阪商工会議所創立120周年を記念して開設された。 ウィキペディア

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1961年9月 『小林一三翁の追想』同編纂委員会
 私は1964年、16歳のとき錦糸町駅近くの機械工場で働いていた。無論、寮も近くにあったので駅ビルの本屋はよく行った。駅ビル近くに小林一三①ゆかりの江東楽天地もあったが覗いたことはない。駅ビル界隈は懐かしい場所である。最近はテレビで全国の、全世界の事件が瞬時に報じられる。ネットでは色んな場所の映像もウンザリするほど出てくるが、復帰記念日の2016年5月15日ー東京都墨田区江東橋のビルに午後6時45分ころ、墨田区江東橋3丁目のJR錦糸町駅近くのビルに、練馬区に住む無職の男(83)の運転していた車がビル1階にあるカラオケ店の入り口付近に突っ込み、付近にある別のビルで警備員をしていた男性(45)をはねた。警視庁本所署によると、男の車は百貨店の駐車場を出る際、周囲の安全確認のため停車させようとした駐車場の警備員の男性をはねて、車のボンネットに乗せたまま道幅約20mの国道を横断して、向かいビルのエレベーターホールに突っ込み止まった。と、テレビ画面で錦糸町駅界隈を報じていた。
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阪急ラガールカード
①小林一三記念館
逸翁美術館(いつおうびじゅつかん)は、大阪府池田市にある美術館。設置者は財団法人逸翁美術館。阪急電鉄・阪急阪神東宝グループの創業者小林一三の旧邸「雅俗山荘」を当初の展示場として1957年に開館した。館名の「逸翁」は小林一三の雅号である。収蔵品の基礎は小林一三の5000点に及ぶ個人コレクションで、重要文化財15件、重要美術品認定物件19件を含む。特に与謝蕪村・呉春・円山四条派のコレクションは名高い。また、旧美術館の建物も1937年に建築された住宅建築である。旧美術館の正門は現豊能町の庄屋で江戸時代後期に建設されたものを1936年に移築したものである。2008年4月からしばらく休館し、2009年10月に阪急学園池田文庫のとなりの用地に新築移転された。旧美術館の本館である小林一三旧邸「雅俗山荘」は「小林一三記念館」として2010年4月22日に再公開された。
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小林一三が知人に宛てた息子の結婚式のお礼の手紙(所蔵・琉文)
東京楽天地 とうきょうらくてんち
 興行会社および不動産会社。東宝系。 1937年小林一三により江東楽天地として設立,同年江東劇場と本所映画館をオープン。 52年浅草楽天地を合併。 56年楽天地天然温泉会館をオープン。 61年現社名に変更。→コトバンク


コクヨ株式会社は、文房具やオフィス家具、事務機器を製造・販売する会社。ブランドメッセージは「ひらめき はかどり ここちよさ」。またCMなどで「コクヨのヨコク」も用いられる。代表的な商品には、1975年(昭和50年)から2014年(平成26年)の39年間で累計約26億冊を出荷した「Campus(キャンパス)ノート」などがある。IT化の昨今でも広く使われているものに会計帳簿がある。独立系の企業だが、株主として三井住友銀行の資本が入っている。→ウィキ
○地下鉄を利用するときは何時も新深江駅から乗る。その駅に隣接しているのがコクヨ本社である。その隣には「大阪ショ―ルーム」があって、いろんなコクヨ製品が展示してある。

 2008年5月ー粟国島の実家隣りの與那太郎さんの遺族を門真市に訪ねた。子息も故人になったようである。門真市立歴史資料館を見学すると、常設展に「『幣原家』の足跡を訪ねて」があった。幣原喜重郎は第44代内閣総理大臣で「日本国憲法改正草案要綱」を発表し現代日本の礎を築いた。兄の坦は1899年に『南島沿革史論』という沖縄通史を発表。28年、台北帝国大学総長。晩年は門真で過ごした。東恩納寛惇とも親交があった。駅近くに松下電器歴史館も見学。先日、東成区大成を歩いていたら「松下幸之助起業の地」の表示があったので見学した。福島区大開には松下電器創業の家跡がある。守口市にはSANYO MUSEUMがある。




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1972年10月『大林組八十年史』/関連


2016年7月1日 若狭龍神