東京千代田区丸の内は、明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになった。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられた。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、三菱ヶ原と呼ばれた。1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになった。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中する。→ウィキ


三菱広報委員会『マンスリー”みつびし〟』
三菱グループ - 三菱財閥を前身とするグループ。 三菱商事/三菱UFJフィナンシャル・グループ 三菱東京UFJ銀行/三菱重工業 - 下記はその関連会社。 三菱自動車工業/三菱ふそうトラック・バス - 現在はドイツ・ダイムラーの子会社であるが、三菱各社も出資している。/三菱電機

三菱商事○貿易仲介を中心とした口銭を稼ぐビジネスが中心であったが、藤野忠次郎が社長に就任した1970年代より資源開発への直接投資(天然ガスや原料炭)を手掛けるようになり、1980年代には菱食(現 三菱食品)などの食料流通などのバリューチェーンの構築を展開、1990年代に入り、コンビニエンスチェーンローソンを通じた消費者マーケットの開拓など、川上から川下までの領域にわたっての投資や経営参画を通じて収益を上げる体質変化を遂げ、収益拡大を続けている。三菱金曜会及び三菱広報委員会の会員企業である。→ウィキ

三菱電機株式会社(みつびしでんき、英: Mitsubishi Electric Corporation)は、日本の総合電機メーカーである。重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、日新電機、ダイヘン、東光高岳)の一角。また、大手重電3社(日立製作所、東芝、三菱電機)の一角でもある。

1951年4月1日 - 戦争により中断していたウェスティングハウス・エレクトリックとの技術提携が復活。8月にはWABCO社との提携も再開。/1958年 - 三菱電機が中核となり三菱グループ25社で三菱原子力工業を設立。/1960年 - トランジスタ式コンピュータMELCOM 1101を発表。

防衛機器○誘導機器 - 鎌倉製作所:防衛省関連の製品としてミサイルを製造している。戦闘機用の中距離空対空ミサイルで、ライセンス生産ではレイセオンのスパローミサイル (AIM-7F) 、自社開発では99式空対空誘導弾 (AAM-4) 、地対空ミサイルでは03式中距離地対空誘導弾 (SAM-4) がある。他にパトリオットミサイルやイージス艦に搭載されるシステムやJ/FPS-5(通称「ガメラレーダー)等、TMD関連の業務も行っている。

防衛省は三菱電機が電子システム事業がミサイル設計や衛星関連などの契約料金を水増し請求したことに関して、2012年1月27日に指名停止処分とした。なお、同省以外にも内閣衛星情報センター、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構、独立行政法人 情報通信研究機構、総務省のそれぞれから指名停止、または競争参加資格停止の措置を受けていたが、返納金を納め2016年現在全て解除されている。→ウィキ

株式会社三菱総合研究所(みつびしそうごうけんきゅうしょ)○東京都千代田区永田町二丁目10番3号に本社を置く、日本のシンクタンク、システム開発会社でシステムインテグレーター(ユーザー系)。略称は、MRIまたは三菱総研。市場規模が大きいITソリューション事業の拡大方針を明確にしており、ITソリューション事業部門の拡大、システム開発会社であるダイヤモンドコンピューターサービス(2016年現在の三菱総研DCS)の連結子会社化、三菱UFJフィナンシャル・グループとの業務提携などの施策をとっている。連結売上高・純利益の半分以上を、三菱総研DCSが占める。。→ウィキ

○コンピュータ博物館は,日本の歴史的コンピュータとその開発に携わった人々に関する史料を集めたバーチャル博物館です.1956年にわが国最初の電子計算機FUJICとETL Mark IIIが作られてから半世紀が過ぎましたが,この間に作られた多くのコンピュータの写真と解説を始めとして関連史料多数が掲載されています.「温故知新」といいますが,これらの史料から将来へのヒントを得ていただければ幸いです.→情報処理学会