やって来たのは豊見城市名嘉地。ここに読者の皆さんにご紹介したい人物がいます。名前は城谷初治(しろたに・はつじ)さん。現在89歳ですが、活発な口調からは、とてもその年齢には思えません。城谷さんが作るシーサーで一番小さいものは、なんと1センチ・2グラム! 陶芸を始めたきっかけは何だったのでしょうか。「私はもともと、50年ほど前から日本全国の作品を集めて展示する『ギャラリー春秋』を運営していました。人間国宝の金城次郎さんの作品をいち早く県内外に展示販売していましたよ。5年前に閉めて、時間ができたもので、ずっと好きだったシーサーを趣味として作り始めたのがきっかけですね」城谷さんは、長崎県のご出身。仕事の縁でまだ復帰前だった沖縄を訪れた後、ギャラリーの運営などで福岡・大阪での生活を経て12、13年前に沖縄に移住。「ここにいると太陽のおかげか、すこぶる体調が良い!」と話します。→「島ネタCHOSA班」2016年03月17日[No.1612]


写真左から末吉安允氏、城谷陽くん、城谷初治氏

城谷陽くん「絵」

城谷陽くん「作品」城谷初治・書/城谷陽くん「書」




城谷陽くん「作品」



1936第23回二科美術展覧会 饒平名智行「唐破風」

龍神と月
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1966年5月『守礼の光』表紙「玉城節子さんの真乙女『竜神の舞い』の舞台より」


1972年1月 沖縄の雑誌『青い海』

儀間比呂志の絵本 1978年『りゅうと にわとり』ひかりのくに


儀間比呂志の絵本 2016年1月『りゅうになりそこねたハブ』福音館書店

1976年 渡口精真(狛江市)の年賀状

2003年8月 原田禹雄『琉球を守護する神』榕樹書林
〇醍醐寺の清瀧宮は、醍醐寺の鎮守の杜で、理源大聖宝が、醍醐寺を開基したときに勧請した。祭神の清瀧明神とは、裟伽羅龍王の第三王女である。この神は、唐の青龍寺の鎮守神であったのを、弘法大師空海が帰朝するときに勧請し、それを、聖宝が醍醐寺に勧請したとされる。もともと醍醐は、水とのゆかりの深い霊地である。上醍醐に勧請された清瀧宮もまた、醍醐水のかたわらに建立された。青龍①の二字に、それぞれサンズイヘンをつけて清瀧としたところも、請雨の祈祷に名をはせた醍醐寺らしい配慮がしのばれる。下醍醐の清瀧宮は、承徳三年(1099)に、上醍醐から勧請された。(略)袋中は『琉球神道記』で≪私云く、爾ば琉球の二字、恐らくは龍宮の韻なり。那覇は、阿那婆達龍王の所居なるべし≫(略)袋中は、琉球を守るキンマモンに、この白い蛇体、ないし、龍体の神を感得していたらしい。いや、天照大神も蛇体と思っていた節がある。
①青竜(せいりゅう、せいりょう、拼音: qīnglóng チンロン)は、中国の伝説上の神獣、四神(四象)の1つ。東方青竜。蒼竜(そうりゅう)ともいう。福建省では青虎(せいこ)に置き換わっている。現代日本語では青は英語で言うブルーを意味することが多いが、「青」の原義は青山(せいざん)・青林(せいりん)のように緑色植物の色であり、本来は緑色をしているとされる。東方を守護する。長い舌を出した竜の形とされる。青は五行説では東方の色とされる。また、青竜の季節は春とされている。天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応する。東方七宿(角宿・亢宿・氐宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて竜の姿に見立てたことに由来する。道教における人格神化した名前では、東海青龍王敖広と呼ばれる[要出典]。清瀧権現の善女龍王は中国・青龍寺に飛来したという。秩父神社の「つなぎの龍」が青龍である。俳句において春の季語である「青帝(せいてい)」・「蒼帝(そうてい)」・「東帝」と同義であり、春(東・青)の象徴である。但し、「炎帝」・「白帝」・「玄帝(冬帝)」と違い、「青帝」はあまり使われない季語であるため、小型の歳時記や季寄せから削除されている場合が多い。なお、春のことを「青春」ともいう。→ウィキペディア

沖縄県立博物館の封筒