11/09: うちなぁーぬ ちむぐくるし ばんみかせぇー/戦後沖縄文化の殿堂「那覇市民会館」を保存せよ!②
10月31日『琉球新報』豊岡こずえ「沖縄の心刻む那覇市民会館ー建物の再活用を期待」
上野の国立西洋美術館のコルビュジエ(スイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家)設計の建築物が、7カ国、17施設と共に「世界文化遺産」に登録され、外国人のものでも、東京の地元が喜んでいることをテレビで見たように思う。世界文化遺産になったら地震で倒壊や崩壊する危険性があっても保存しないといけないだろう。京都の図書館や、大阪の日銀のように外観を保存するとか色んな手立てがあると思う。那覇市内に復元の歴史的建造物や、ヤマトゥがつくった沖縄県庁(若尾 文子の旦那・黒川紀章。今何かと話題の大阪府警庁舎も黒川紀章、2007年竣工、建設費617億円))や沖縄県立博物館・美術館だけでは寂しい。別にヤマトンチュが作ったのが悪いとは言っていない。戦前の武徳殿、戦後の立法院棟、那覇のテンブスが今、写真でしか確認できないが、立法院棟は設計図があるので復元可能ではある。
しかし復元で形ばかりで如何しようもない、中身が伴ってこそ文化である。ウチナーンチュがウチナーのチムグクルで造ったものを一つぐらいは戦後沖縄文化のシンボルとして残せということである。で、使い道はいくらでもある。隣の県立図書館は移転するので、比嘉春潮文庫など特殊文庫の貴重なものの収蔵施設、隣の那覇市中央図書館、公民館の施設、世界にウチナーぬチムグクル発信の情報機器を備えた那覇総合資料館などである。目の前に警察署や消防署もあるので天災、人災の備えがある。大ホールは奥武山に武道館やスタジアムもあるし、国立劇場もある。だが、大ホールは、国連平和維持活動(PKO)に自衛隊を送っているからテロも頻発する。久茂地界隈ならタイムス、新報のホールで十分だ。久茂地の会館予定地は過密の原因になるから止めて世界の蘇鉄などを集め研究所を付設した植物園とかが良い。私個人でもこれくらい発想できるので検討委員会の専門家は最善のアイディアで、身の丈にあった未来に向けた発想をすると思う。暴言多謝。
京都府立図書館→京都の近代洋風建築/日本銀行大阪支店旧館+新館(竣工年:明治36年 (1903) ベルギー国立銀行をモデルに設計:辰野金吾・葛西万司・長野宇平冶/長崎・島原藩蔵屋敷跡地に建つ)→大阪建築
那覇市民会館の場合は検討委員会が作られるらしいが、何かの誤魔化しでなければ、私らと(屋嘉比収も居た)立法院棟保存運動をした琉球国建設親方の真喜志好一氏や、近現代史研究家の伊佐眞一氏もぜひ委員に加えてほしいものだ。この問題は翁長市長の自民党時代に発想した経緯もあるのでそこら辺は十分見極めたい。
2007年2月 那覇市歴史博物館『戦後をたどるー「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ』ー『那覇市史 通史篇第3巻(現代史)改題ー』琉球新報社□新垣安子「那覇市民会館 芸能・音楽の発展に貢献」
2016年10月29日 那覇市歴史博物館で
建築家・洲鎌朝夫
1985年5月22日 「金城信吉建築遺作展・沖縄 原空間との対話」
1984年7月 金城信吉『沖縄原空間との対話』
沖縄の現代建築の出発点は、戦後の焦土と化したゼロの状態の中からだと考えてよいだろう。ただでさえ資源の乏しい沖縄に米軍による「鉄の暴風」が去った後に残されたものといえば、赤土と石ころだらけの山野であった。米軍の野戦用のテント小屋での生活が始まったが、沖縄のきびしく苛酷な自然は、テント建築を認めることをしなかった。島の人たちが英知を結集し、その中から生まれた建築は、石と土と雑木や雑草、周辺に自生する竹など、身近な建築資材で原初的伝統の民家「茅葺きの掘立長屋」を建築してみせたのである。
海勢頭豊2022-6 金城信吉をジョウと呼んだ。海洋博前の恩納村にホテルみゆきがオープンし、祝賀会で私が歌っているのを見たジョウは、那覇前島のパピリオンを探して歩き、やっと見つけたぞと言わんばかりに「ここか」と言って入って来た。以来、濃い付き合いだった。バリ島で琉球音階で鳴く鳥を追いかけたときも一緒だった。49歳の若さで彼が息を取ろうとした正にその時、私は「ジョウ」と呼んだ。ニコっと笑ってこの世を去ったジョウ。類まれな情熱で、私を支えてくれた、その思い出は尽きない。
人間は極限の状態におかれたとき、伝統の様式に目をむけるのである。そして、米軍からの資材支給によるツー・バイ・フォー工法による組立規格住宅、木造瓦葺きの住宅へと変化してきた。特に学校建築は、建築資材の乏しい中で、その建築工法は特異なものであった。故仲座久雄氏(沖縄建築士会初代会長)の計画によるものだが、両妻に石積みの壁、棟木はプレキャスト、コンクリートの巨大な大梁を架け、在来の赤瓦(本瓦葺き)の建築であった。この特異な建築は仲座氏の鬼才が生んだ建築だとわれわれは考えていた。ところがこの建築様式は、沖縄の深い深い伝統に裏打ちされた、時代の要求に応えた、仲座氏の力量が遺憾なく発揮された作品だったのである。仲座氏は校舎建築や、その他の建築にも石積みの作品を残している。このように石積みの伝統を更に一歩を進めた現代建築作品を残した沖縄建築界の大先輩である建築家、仲座久雄氏であったことを記しておきたい。公共建築は、常にその時代の建築様式に影響を与えるものだが、仲座氏の作品は民家建築にその後も影響を与え続けてきた。
2012年9月6日 沖縄キリスト教センター(ぎのわんセミナーハウス1階) 仲座巌講師「琉球語讃美歌及び箴言について」 参加費500円(資料代)主催・沖縄キリスト教センタープログラム委員会(☏098-898-4361)
写真左から新城栄徳、ギャラリーみやぎオーナーの宮城満寿子さん、前田孝允氏、洲鎌朝夫氏