07/25: 1973年5月 沖縄の雑誌『青い海』23号 名嘉正八郎「破壊される文化財/先人との対話を 未来の創造を」
1973年5月 沖縄の雑誌『青い海』23号 名嘉正八郎「破壊される文化財/」先人との対話を 未来の創造を
1996年10月 名嘉正八郎『図 沖縄の城』那覇出版社/左ー名嘉正八郎氏、真栄平房昭氏、新城栄徳
2003年8月、私が沖縄県史料編集室で奥里将建の書いたものが載っている新聞を見ているところに、名嘉正八郎氏、神戸の真栄平房昭氏も来室された。話は自然と奥里将建が話題となった。1976年発行の『新沖縄文学』33号は<特集・「沖縄学」の先覚者群像>で留宇宙亭・渡口眞清さんが「奥里将建論ー研究の覚書」を書かれている。それには奥里将建の蔵書は国語関係は琉大図書館に、歴史関係は沖縄史料編集所にそれぞれ奥里文庫として収められていると書かれている。1966年11月、渡口眞清、名嘉正八郎の両氏が世話し奥里将建著『沖縄に君臨した平家』が刊行された。
余談だが、1934年の『琉球新報』に「麗人を描く」として名士の20前後のお嬢様を顔写真付きで紹介されている。そのうち古波倉正子、大久保睦子、南風原りり子、国吉美津子、千原綾子、渡口靖子、浜松民子は医者の娘たちで、大久保睦子は後の渡口眞清夫人である。
沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)「大久保孝三郎」
2005年3月 伊是名村教育委員会・名嘉正八郎『銘苅正太郎関連資料集』伊是名村教育委員会
仲田清一郎 2020-2良く存じ上げています。沖映寮で3年ほど一緒でした。浦添のお宅にお邪魔したこともあります。早く亡くなられたのは残念です。「中山世鑑」の研究にも造詣が深かったのではと思っています。正八郎さんの「図説沖縄の城」もいただいています。
国吉 多美子 わたしも少しお手伝いをしたのですが、名嘉さんがいらっしゃらなかったら、「歴代宝案」は世に出ませんでした。名嘉さんの企画です。その後、名嘉さんにはいろいろお世話になりました。「歴代宝案」の件で一緒に(4名)中国に行ったことも今は懐かしい思い出です。面倒見の良い方でしたね。
2019年7月 真栄平房昭『旅する琉球・沖縄史』ボーダーインク
沖縄県沖縄史料編集所
1955年12月1日ー沖縄市町村長会『地方自治七周年記念誌』□印刷・琉球新報社 □デザイン安谷屋正義 □編集ー比嘉春潮、伊豆味元一、神村朝堅
□1947年ー沖縄美術家協会/沖縄民主主義文化連盟(瀬長亀次郎、屋部憲、池宮城秀意、名渡山愛順、仲村渠)/沖縄文芸家協会 (山城正忠、仲泊良夫、仲村渠、國吉眞哲ら)
1956年6月20日ー琉球政府文教局(真栄田義見)『琉球史料』第1集(政治編)□印刷・ひかり印刷所
1964年6月30日ー琉球政府文教局『琉球史料』第10集(文化編2)□印刷・岸本印刷所
□文教局教育研究課
1965年6月30日ー琉球政府文教局『琉球史料』第9集(文化編1)□印刷・サン印刷所
□文教局教育研究課
1965年3月3日ー琉球政府『沖縄県史』第11巻資料編1(上杉県令関係日誌)□印刷・ひかり印刷所(松本武浩)
□資料編編集担当者/金城英浩、親泊輝昌、名嘉正八郎、仲地哲夫、田港朝和、照屋以都子、玉那覇協子、
上原民江
1971年4月28日ー琉球政府『沖縄県史』第8巻各論編7(沖縄戦通史)□印刷・サン印刷所(宮城清徳)
□沖縄県史編集担当・琉球政府立沖縄史料編集所
「沖縄戦はすべての県民を戦火にまき込み、16万余の非戦闘員と11万余の日本軍の生命を奪いました。多くの青壮年男子と男女青少年学徒がことごとく軍隊に編入され、戦火の渦中にほうり込まれて死んでいってます。慶良間列島では、住民が日本軍による食料獲得のため自殺を強要され、集団自殺を遂げています。このような惨禍をもたらした沖縄戦とはどのようなものだったのでしょうか。本巻は戦時体制社会から戦火を経て敗戦にいたるまでの沖縄戦の実相を明らかにしていきます。」(1969年6月「沖縄県史全24巻総目録」)