09/12: 関西/沖縄県人会兵庫本部と儀間比呂志
沖縄県人会兵庫県本部 機関紙『榕樹』第431号 2017年10月「亡き先人に捧げるー大正区でエイサー祭り」「儀間比呂志版画展~沖縄への思い 立命館大学国際平和ミュージアムで11月1日から」
1970年1月 沖縄県人会兵庫本部『沖縄県人会だより』
1995年9月 『島を出た民の戦争体験集』沖縄県人会兵庫本部/2017年5月『榕樹』第426号
1982年6月 上江洲久『ここに榕樹あり 沖縄県人会兵庫県本部35年史』儀間比呂志「扉及び見返し版画」
那覇港近くのバーで写真左から新城栄徳、永峰眞名さん、当山忠氏(島尻雅彦撮影)
沖縄県人会兵庫本部機関紙『榕樹』〒660-0805 兵庫県尼崎市西長洲町2丁目26-12 中央ビル601 ☎06-6487-0535 FAX06-6482-4048
沖縄県人会兵庫県本部で機関紙『榕樹』担当の永峰眞名さん/沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さん
新城栄徳日記メモー1995年1月1日ー奈良東大寺大仏初詣/1月17日午前5時過ぎに京都で大きな揺れ。東大阪の息子に電話。午後2時23分電車で京阪淀から近鉄経由で布施。/1月24日、尼崎市の兵庫沖縄県人会事務所。沖縄県からのビニールシートが届いていたので配送を手伝う。息子名義で見舞金を贈ったとき宮城幹夫氏も来所し見舞金を贈られた。挨拶をした。1月30日、西宮からバスで三宮。午後8時に帰宅。1月31日、大正区へよって、阪神青木から東灘区へ。
「阪神大震災」関連資料
1951年7月11日ー宮城久隆『球陽新報』創刊
沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さんに『球陽新報』の情報を流すと、県人会機関紙『榕樹』で紹介した。次々と関係者が現れた。大阪の県人会長の諸喜田さんは印刷に関わった。久隆の子息で生駒市在住の宮城敬さんからは久隆に関する情報が寄せられた。作家の宮城聡は敬さんの祖父の弟である。1961年4月10日の『沖縄タイムス』に宮城久隆の死亡記事「沖縄タオル社長、琉球大学理事、中央教育委員。10日あさ8時、首里大名町の自宅で死去。58歳、国頭村出身」。
□→2001年3月ー『史料編集室紀要』第26号□納富香織「在本土沖縄県人紙についてー『大阪球陽新報』『球陽新報』『内報』『自由沖縄』目録ー」 ○2010-5-20記
写真ー宮城久隆・琉大理事
1952年6月 雑誌『おきなわ』 宮城久隆「関西の人々」
1960年1月『今日の琉球』弟4巻第1号
1995年2月4日ー(財)兵庫沖縄協会臨時理事会、玉城要成沖縄県大阪事務所所長も参加。□私は玉城所長を沖縄県大阪事務所で山城賢孝氏に紹介された。子息は私の息子と同級生だということは後に知る。
1995年2月7日ー兵庫沖縄協会『榕樹』第159号「阪神大震災」
1995年3月7日ー兵庫沖縄協会『榕樹』第160号「県人会結成50年記念事業 ネーネーズ公演は中止」「大田昌秀沖縄県知事が県人会を訪問、宮城久幸会長に見舞金。大田知事と旧知の上江洲名誉会長も同席した」「阪神大震災義捐金ー拓南グループ50万円、オリオンビール100万円、久米島の久米仙100万円・・・大城立裕10万円・・・」(拓南は宮城幹夫氏が持参。のちに大城立裕氏は義捐金についてー当時、津野創一氏追悼講演の謝礼金にプラスして贈ったものと語った。)
沖縄県人会兵庫県本部機関紙『榕樹』〒660-0805 尼崎市西長洲町2-26-12 中央ビル601
2001年7月『榕樹』