01/06: 1973年1月 『やぽねしあ』6号 「儀間比呂志版画集」 儀間比呂志「民衆の絵を彫り続けて」
1973年1月 犬塚昭夫『やぽねしあ』6号 「儀間比呂志版画集」 儀間比呂志「民衆の絵を彫り続けて」
犬塚昭夫
「陶さんの_つれづれ草」2007年1月ブログに「●追悼 犬塚昭夫」「犬塚昭夫作品集リスト」が載っている。
○犬塚昭夫が死んだ。2007年が明けて3日のことという。六十四才だった。
私がそれを知ったのは、1月7日のこと、前日6日、彼の家に2度ほど電話をしたが留守であった。正月で外出しているのかと思い、Faxを流して私の用件を伝えた。「蒼生舎通信68号からはじまる今年の誌面(巻頭)に貼り絵と詩をお願いしたい。」という内容である。7日朝十時に、再び電話をした。奥さんが出られた。「Faxでお願いしたことですが……」と私は切り出した。電話口の向こうで、ちょっと沈黙する様子があってのち「実は、犬塚は亡くなりました日、葬式をすませたところです。」という声が返ってきた。私は動顛した。〈いつ、どこで、どうして、なぜ……〉相手の気持も考えず、矢継ぎ早に興奮して問いかけた。奥さんの要を得た説明があって、私は沈黙する他はなかった。
蒼生舎通信は、
2003年から梟(詩とエッセイ)、
2004年続・梟(詩とエッセイ)、
2005年続々・梟(詩とエッセイ)、
2006年詩人の肖像
と犬塚昭夫の詩作品を飾って来た。私はそれが誇りであり、犬塚作品を巻頭に置いて読者に蒼生舎通信という冊子を届けることの喜びを味わって来た。犬塚昭夫との事は、私が二十歳ちょっとの若者で、大阪を彷徨っていた頃に結んだ友誼だが、30代〜40代の長い断絶のあと再び取り戻した代えがたい宝である。私は今、自分が失ったものの大きさに打ち据えられている。 (2007.1.7 蒼生舎・太田光昭)
1983年10月4日~10日 沖縄物産センター「儀間比呂志 版の世界展」