10/08: 1912年2月ー太平洋画会の石川寅治、中川八郎、吉田博と丹青協会
1912年2月ー太平洋画会の石川寅治、中川八郎、吉田博と丹青協会
1912年2月15日 沖縄県庁倹徳館で太平洋画会・石川寅治、吉田博、中川八郎の「琉球写生画展覧会」油絵60余点、水彩画20数点
中川八郎 なかがわ-はちろう
1877-1922 明治-大正時代の洋画家。
明治10年12月2日生まれ。松原三五郎,小山正太郎にまなぶ。風景画を得意とし,文展と帝展の審査員をつとめた。明治34年太平洋画会の創立に参加。大正11年8月3日死去。46歳。愛媛県出身。作品に「北国の冬」「高原の花」「夏の朝」など。 →コトバンク
中川八郎「琉球の刳船」
中川八郎「琉球の山原船」
1912年3月『みづゑ』86号 中川八郎「沖縄土産」
吉田博 よしだ-ひろし
1876-1950 明治-昭和時代の洋画家,版画家。
明治9年9月19日生まれ。田村宗立(そうりゅう)に師事,のち小山正太郎の不同舎にまなぶ。明治32年中川八郎と渡米,翌年パリへわたる。34年帰国して中川らと太平洋画会を創立し,文展,帝展で活躍,山岳や渓谷の風景画で知られる。大正9年から木版画を制作。戦後,太平洋画会会長。昭和25年4月5日死去。73歳。福岡県出身。旧姓は上田。 →コトバンク
吉田博「崇元寺前」
吉田博「泉崎橋」
吉田博「糸満町市場」
吉田博「首里の市場」
吉田博「糸満町の刳船」
吉田博「雪崎から波上宮」
2015年12月21日ー若狭の大龍神を望んでの帰り、上空を見る
岐路(核の時代)/2015年12月 若狭に「大龍神」降臨
1955年4月12日『琉球新報』「半世紀前の沖縄風景ー明治初期洋画展を飾る 博文公と来島した山本芳翠画伯の絵が初公開」
冨名腰義珍と親しい小杉未醒が学んだ小山正太郎の「吉野山」「御嶽村遠望」などの作品もあった。大潮會の浦崎永錫会長の肖像画を描いた北連蔵②の「ハンモック」「静物」もある。
1986年12月 『大潮会50周年記念小史』/北連蔵画「浦崎永錫像」
②北蓮蔵 きた-れんぞう1876-1949 明治-昭和時代の洋画家。
明治9年生まれ。同郷の山本芳翠(ほうすい)にまなび,黒田清輝(せいき),久米(くめ)桂一郎の天真道場をへて,東京美術学校(現東京芸大)を卒業。帝国劇場背景部主任となり背景画に洋画を導入,国会議事堂の歴代議長肖像画もかいた。昭和24年12月21日死去。74歳。岐阜県出身。作品に「岩倉具視(ともみ)公病床行幸図」など。 →コトバンク
不同舎と太平洋画会コーナーに満谷国四郎「かりそめの悩み」がある。
満谷は岡山県生。はじめ二世五姓田芳柳に、のち小山正太郎に師事。吉田博らと大平洋画会を創立、海外の博覧会や文展に活躍する。のち大原孫三郎の後援を得てパリへ留学、褐色系を基調とした初期の画風から後期印象派の影響を受けた画風へと一変する。晩年は対象の平面的処理と豊かな色彩により装飾性の強い画風を確立した。帝国美術院会員。昭和11年(1936)歿、63才。 (→コトバンク)
1913年ー在パリ留学生たち(写真上左から長谷川昇、内藤丈吉、梅原龍三郎、水谷鉄也、小柴錦持、満谷国四郎、小林万吾、桑重儀一、沢部清五郎、藤川勇三、和田三造、柚木久太/下左から川島理一郎、小杉未醒、山本鼎、徳永仁臣、菅原精造)
1912年2月ー太平洋画会の石川寅治①、中川八郎②、吉田博③と丹青協会
①石川寅治
洋画家。高知県生。小山正太郎の不同舎に学び、太平洋画会を起こす。のちに示現会を創立。初期は婦人像を描いたがのちに風景画へ移行し、印象派風の明るい画風を示した。美術教育にも功績がある。日展参事。帝展・新文展審査員。日本芸術院賞恩賜賞受賞。昭和39年(1964)歿、89才。
②中川八郎 なかがわ-はちろう
1877-1922 明治-大正時代の洋画家。
明治10年12月2日生まれ。松原三五郎,小山正太郎にまなぶ。風景画を得意とし,文展と帝展の審査員をつとめた。明治34年太平洋画会の創立に参加。大正11年8月3日死去。46歳。愛媛県出身。作品に「北国の冬」「高原の花」「夏の朝」など。
③吉田博
洋画家。福岡県生。小山正太郎に学ぶ。文展・帝展・日展審査員。太平洋画会会員。昭和25年(1950)歿、73才。 以上コトバンク
1914年1月 横山健堂『薩摩と琉球』吉田博「琉球写生旅行」□那覇から約1里、旧都の首里がある。首里には今も王城が存してる。段々に高くなった、其の頂上に構へられてある。王城の建築は進歩したものでもない。彫刻にも大した物はない。内地では見ぬ形の龍の首、琉球によくある内地のコマ犬みた様な獅子、此等は彫刻としての眞の意味ではないが、珍しい変わって居るといふ意味で面白く感ずるのがある。殊に、此の王城を今では学校などに使ってる為、是を以て琉球に来た興味の中心とは思はれぬ。(略)35里離れた面白い処では、普天間の岩窟、中城の城跡、与那原、知念、金城、真玉橋、糸満、波上神社、雪ケ崎、泊、崇元寺、平村等がある。知念はハブの名産地で、糸満は趣味多き漁師町である。・・・
吉田博「榕樹のかげの市」
吉田博「旧式の琉球製糖法」
吉田博「琉球の墓」
吉田博の墓(島袋和幸 撮影)
1939(昭和14)年10月9日ー吉井小三郎(41歳)来沖
吉井小三郎
1899年、明治生まれ。帝展審査員、中川八郎に師事。大正11年、渡欧。パブロ・ピカソに師事。サロン・ドートンヌ入選。サロン・ド・プランタン入選。帝展、文展に入選。出品作品「湖畔」 は、バルビゾン風の作風。