写真・1978年8月ー那覇市一銀通りの琉球書院(琉球文化社)と青い海出版社の看板が見える。

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1974年5月ー『琉球の文化』第五号 星雅彦「安次嶺金正の芸術とその背景」


1974年5月ー『琉球の文化』第五号<沖縄戦と終戦直後の生活>
琉球文化社(編集発行人・大城精徳)本社〒那覇市牧志町1-944-6 編集局〒902那覇市安里425丸清ビル2階
関西連絡所ー大阪市東淀川区西中島町5-62青い海出版社内(新城栄徳)
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1974年3月23日~6月2日 大阪万博記念公園エキスポランド「大沖縄展」


「沖縄文庫」/ 左が新城栄徳、平良幸春氏(日展会友)
会場内の沖縄文庫で沖縄本を販売する新城栄徳。いつも岡本太郎の太陽の塔を見ながら、民博はまだできていない。/このときの陶器コーナーではシーサー造りの名人・島常賀翁と、陶芸家で駆け出しの平良幸春氏とは一緒に陶芸の用具や釉薬などの材料の店、常賀翁のシーサー造りを2カ月以上観てきた。常賀翁の三線模合仲間の宮城美能留(宮城 稔)沖縄歌舞団団長の宿泊先のホテルに、一緒に見舞いに行ったこともある。



『青い海』1974年5月号「大沖縄展3/23~6/2」





1981年9月 沖縄の雑誌『青い海』106号 大城精徳「中国現地にみる 琉球文化のルーツ」



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太陽(太郎)の塔の前でポーズするさやか

今の若者は一部では「オタク」と自称する。オタクとほぼ同義語として「マニア」というのがある。特定のモノに拘り社会的評価を全く気にしない人は嘗てマニアと呼ばれた。マニアにも様々な人がいる。特定のモノを収集するものを、コレクションマニア(収集家・コレクター)、美術品マニア・カーマニアといったような様々なモノを収集する人もいる。これがモノにかかわらず私みたいに「情報」に指向した収集も存在する。オタクは1980年代からアニメ、SFファンの間で使われたという。それ以前は似た言葉として「ネクラ」があった。また「オタク市場向け商品」が商売として成り立っているために、ニッチ(隙間市場)な分野も色々に生まれている。彼らの持つ知識を呼称して「オタク趣味」といっている。ネットでオタクの部屋の画像を見る。パソコンとフィギュア、ポスター、コミックと、清潔感があって整理整頓も行き届いていた。



小学館『大日本百科事典』


講談社『大図典』