2019年7月13日~10月13日 沖縄県立博物館・美術館「沖縄美術の流れ」


〇當原昌松/略歴→沖縄県立博物館・美術館
1903年 11月2日、具志川村字山里生まれ
1923年 沖縄県師範学校卒業
1926年 東京美術学校図画師範科卒業
1926年 鹿児島県立指宿中学校教授嘱託
1927年 大分県立杵築高等女学校教授嘱託
1928年 沖縄県師範学校教諭兼訓導
1931年 横須賀市立実科高等女学校教授嘱託
1931年 東京美術学校研究科修業
1931年 横須賀市立実科高等女学校教諭
1932年 「第1回沖縄美術協会展」(神田三省堂画廊)出品
1934年 「二人展」(さいか屋/横須賀市)
1936年 「国画会(国展)」『このしろ舟』入選。12月29日、逝去(享年33歳)


沖縄県立博物館・美術館収蔵品「當原昌松作品8点」


1931年6月『沖縄県師範学校創立五十周年記念誌』當原昌松「亡師(西銘生楽先生)と亡友(竹島景明兄)と」

當原昌松と海音寺潮五郎

1937年6月28日『沖縄日報』海音寺潮五郎「當原昌松君の圭角」/當原晟麿「父 當原昌松と久米島と私」〇父の友人は皆良い人ばかりで、皆故人ですが、鹿児島の島袋盛範さん、歴史小説で有名な海音寺潮五郎さん、熊本高校校長をされた仲村昌信さん、画家の天井陸三さん、千葉の山昌里英さん等がおります。みな父を知らない私達兄弟を暖かく接して下さり、海音寺さんからは私が給料取りになってからもお小遣いを頂きました。


1968年2月3日 『沖縄タイムス』「海音寺潮五郎氏と宮里栄輝氏の歴史対話」/1969年1月15日『琉球新報』海音寺潮五郎「沖縄との縁」



かいおんじちょうごろう【海音寺潮五郎】 1901‐77(明治34‐昭和52)
歴史小説家。鹿児島生れ。本名末富東作。1926年(昭和1)国学院大学高等師範部を卒業,旧制中学の国語教師を務めながら《サンデー毎日》の懸賞小説に応募し当選,34年鎌倉に居を構えて作家生活に入る。36年,豊臣秀吉とその女性たちを描いた《天正女合戦》などで直木賞を受賞する。以後,《明治太平記》(1952),《蒙古来る》(1954),《平将門》(1955),《武将列伝》(1959‐63),上杉謙信を描いた《天と地と》(1962),《西郷隆盛》(1969)などの長編歴史小説に,その特色をあますところなくみせている。 (→コトバンク)

 海音寺潮五郎/司馬遼太郎『日本歴史を点検する』講談社文庫 〇1969年ー海音寺潮五郎/アメリカの政治の悪い真似をして、それがどうにも手のつけようがないほど悪い面を出しているのは、政治献金ですよ。アイゼンハワーが軍需産業業者と軍部との悪因縁について警告を発していましたね。前大統領の警告ですからね、よくよく見るに見かねるものがあるのですよ。日本の政治献金の制度はその真似ですよ。あんなものを法律で許している。だから、合法的ではあるが、本質的には犯罪ですね。当然、汚職につらなるんですからね。合法的汚職といってよい。あんなものがあるから、政治家・官僚と企業家との腐れ縁が続き、あらゆる公害が跋扈し、政治家や官僚の腐敗がさかんになり、政治が混濁し、不潔になるのですよ。学生騒動の最も根本的なものは、学生らは現実に即して考える能力を欠いているから気がつかないかも知れないが、実はここにあるのかも知れない。現行の政治資金法は、現代日本の万悪の根元といってよい。(略)大学生諸君が、もしその点を目標にしてゲバるのなら、わたしは欣然として参加したい気持ですよ。(笑)





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1979年7月 雑誌『青い海』85号 もろさわようこ「世界一美しい海」

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大濱 聡2012年5月4日■ジャーナリストの三木健さん、信濃毎日新聞の河原千春記者の3人で「志縁の苑 うちなぁ」(南城市)にもろさわようこさん(女性史研究家・長野出身)を訪ねました。3人は、まわりまわってつながった関係。河原記者は、もろさわさんをずっと継続して取材していて、もろさわさん曰く「(記憶力も衰えてきたので)私以上に私を知っている」。今回は休暇で来沖とのこと。
■私の「うちなぁ」訪問は3度目、もろさわさんとは3、4年ぶり。御年96歳、年齢を気遣って1時間くらいで退出するつもりでしたが、逆に1時間半もほとんどお一人で話し続けられたのには驚かされました。
■歌人の与謝野晶子が大正期に書いた女性論を中心にまとめた『激動の中を行く』(1970年刊)の新編がこの3月、51年ぶりに出版されましたが、もろさわさんが編集・解説を担当しています。
■三木さんは、郷里石垣とマスコミ界の大先輩です。これまで沖縄関係の本を30冊くらい著していますが、去年8月に出版したのが『眉の清(ちゅ)らさぞ神の島 上野英信の沖縄』。現在も複数冊(共著含む)の校正を並行して進めているとのこと。
■「やらなければいけない仕事がまだある。これからが本番」――帰り際、もろさわさんから発せられた言葉にまたまた驚嘆!80代、90代のおふたりに大いに刺激をいただきました。

沖縄県立博物館・美術館 愛称「OkiMu(おきみゅー)」と、マスコットキャラクター「おきみゅーちゃん」

 『琉球新報』11月2日ー沖縄県の那覇市おもろまちに開館して10周年を迎えた沖縄県立博物館・美術館(田名真之館長)の記念イベントが1日、同館で開催された。特別展「海の沖縄」「彷徨の海」の開会式が開かれたほか、記念式典では同館の愛称「OkiMu(おきみゅー)」と、マスコットキャラクター「おきみゅーちゃん」が公表された。関係者らは文化や芸術の振興をけん引してきた功績を振り返り、今後の発展を誓った。(略)同館によると10年間の総来館者数は約450万人。田名館長は「アジアへ広く目を向けた展示会を展開したい」と語った。