07/08: うちなー芝居・映画史④
1975年11月 国映館「大地震」/グランドオリオン「別離」(エリザベステーラー)「ガンモール」(ソフイアローレン)/沖映本館「佐久の坂哀話・涙の子別れ」「三人片端」
1976年5月 沖映本館「女よ強くあれ」「たわむれの恋」
1976年12月 沖映本館「薄情」「浜辺の嘆き」
1977年1月 沖映本館「ガンチョー小」「月城物語」「瀬底情話」/国映館「キングコング」/東宝劇場「犬神家の一族」
1977年3月 琉映本館「日本の首領」(佐分利信)/沖映本館「夏時雨王女節」「淵」
1980年9月『青い海』96号「大阪の映画興行界を風靡した沖縄人館主たちー安里太次/翁長良孝/新城伝徳/大城菊信」
1981年3月『新沖縄文学』47号「特集・沖縄芸能界の現在」
1981年4月 「親泊元清芸道45周年記念」
1982年6月『新沖縄文学』52号「特集・島うたでつづる沖縄の昭和史」
1983年2月 雑誌『青い海』120号「特集・現代沖縄舞踊の魅力」
1983年12月『新沖縄文学』58号「特集・沖縄の芸能 批判と提言」
1984年5月 雑誌『青い海』132号「特集・新注釈『組踊五番』」
1984年7月 雑誌『青い海』134号「特集・玉城朝薫の世界」
1984年11月 雑誌『青い海』138号「特集・平敷屋朝敏の『謎』と『手水の縁』」
1984年12月『新沖縄文学』62号「特集・組踊の現在を問う―玉城朝薫生誕三百年記念ー」
映画関係資料(手元にあるもの)
1986年7月 「浜元澄子 芸能生活65周年記念公演」
1988年4月ーハワイ・ホノルル「那覇の物産と観光展」に新城あけみ琉舞で参加。
1994年4月27日『琉球新報』「映画百年ー日本の映画産業」
1994年5月11日『琉球新報』「映画百年ー世界の映画産業」
1992年3月 当間一郎監修『琉球芸能事典』那覇出版社 矢野輝雄「鑑賞と研究・実演のための座右の書として」/当間一郎「琉球芸能概観」/「沖縄のまつりと民俗芸能」
勝連繁男「琉球古典音楽」/嘉手川重喜「沖縄芝居・現代まで」/比嘉悦子「沖縄の民謡」「沖縄の楽器」
大城豊子師匠
1997年10月 大正区役所ホール「雅びの舞い/八重山民謡・沖縄民謡の集い」大城豊子琉舞研究所
2000年3月12日ーアゼリア大正ホール「第七回 琉球古典舞踊の夕べ」(主催・大城豊子琉舞研究所)
1980年の『沖縄商工名鑑』は沖縄興信所の発行である。「本土在住沖縄県人有志名簿」のところの沖縄県大阪事務所の広告に、前田朝助所長、當間成一次長の名前が見える。前田さんは1924年の大宜味生まれ、當間さんは1937年の豊見城生まれと、名鑑にある。また発行人の田中久雄のところには田中町子(1917年の宮古生まれ)、夫久雄(本書著者)とある。名鑑の序文に「名鑑は昭和26年8月に沖縄興信所の調査資料を基礎に第1版を発行以来、28版を迎えることになりま愛した」とあり、また「永年の高血圧で入院し本書の出版も遅くなりました」とする田中久雄の挨拶がある。
発行人が尼崎在住なので関西の県人広告が多い。昭和食品(安里嗣福)、宮城清市、山端立昌、大都設備工業(名嘉正成)、上進商会(上間平進)、屋良運送(屋良朝光)、丸一食品(仲間宗一)、琉球銀行大阪支店(山里正雄)、沖縄銀行大阪支店(嘉陽宗清)、有村産業大阪支店、諸喜田精肉店(諸喜田太栄)などがある。沖縄県大阪事務所は前田所長、當間次長のとき島根県ビルから大阪駅前第3ビルに移転してきた。1980年であった。同年3月発行の『青い海』は特集「ドギュメント琉球大学」で広告に県事務所から當間次長(第8期)、武島第二課長(第7期)がある。
1998年11月14日~15日 東町・沖縄県立郷土劇場「宮城亀郁 藝能生活四十五周年記念公演」
2004年9月 宜保榮治郎『組踊入門』沖縄タイムス社
2013年10月20日『琉球新報』「人類にメッセージを残した怪獣」
仲嶺眞永
10月10日昼過ぎ、那覇市公設市場よりの広場で大綱挽の支度ガーエーの演技を稽古している場面に出会った。指導しているのは仲嶺眞永さんであった。自ら刀を振り回し中山尚巴志王、南山他魯毎王役の青年に演技を指導していた。ブログの週刊上原直彦「浮世真ん中」によれば仲嶺さんはサイパンで生まれている。戦後、和歌山の田辺市にも住んでおられたようだ。
1976年5月 沖映本館「女よ強くあれ」「たわむれの恋」
1976年12月 沖映本館「薄情」「浜辺の嘆き」
1977年1月 沖映本館「ガンチョー小」「月城物語」「瀬底情話」/国映館「キングコング」/東宝劇場「犬神家の一族」
1977年3月 琉映本館「日本の首領」(佐分利信)/沖映本館「夏時雨王女節」「淵」
1980年9月『青い海』96号「大阪の映画興行界を風靡した沖縄人館主たちー安里太次/翁長良孝/新城伝徳/大城菊信」
1981年3月『新沖縄文学』47号「特集・沖縄芸能界の現在」
1981年4月 「親泊元清芸道45周年記念」
1982年6月『新沖縄文学』52号「特集・島うたでつづる沖縄の昭和史」
1983年2月 雑誌『青い海』120号「特集・現代沖縄舞踊の魅力」
1983年12月『新沖縄文学』58号「特集・沖縄の芸能 批判と提言」
1984年5月 雑誌『青い海』132号「特集・新注釈『組踊五番』」
1984年7月 雑誌『青い海』134号「特集・玉城朝薫の世界」
1984年11月 雑誌『青い海』138号「特集・平敷屋朝敏の『謎』と『手水の縁』」
1984年12月『新沖縄文学』62号「特集・組踊の現在を問う―玉城朝薫生誕三百年記念ー」
映画関係資料(手元にあるもの)
1986年7月 「浜元澄子 芸能生活65周年記念公演」
1988年4月ーハワイ・ホノルル「那覇の物産と観光展」に新城あけみ琉舞で参加。
1994年4月27日『琉球新報』「映画百年ー日本の映画産業」
1994年5月11日『琉球新報』「映画百年ー世界の映画産業」
1992年3月 当間一郎監修『琉球芸能事典』那覇出版社 矢野輝雄「鑑賞と研究・実演のための座右の書として」/当間一郎「琉球芸能概観」/「沖縄のまつりと民俗芸能」
勝連繁男「琉球古典音楽」/嘉手川重喜「沖縄芝居・現代まで」/比嘉悦子「沖縄の民謡」「沖縄の楽器」
大城豊子師匠
1997年10月 大正区役所ホール「雅びの舞い/八重山民謡・沖縄民謡の集い」大城豊子琉舞研究所
2000年3月12日ーアゼリア大正ホール「第七回 琉球古典舞踊の夕べ」(主催・大城豊子琉舞研究所)
1980年の『沖縄商工名鑑』は沖縄興信所の発行である。「本土在住沖縄県人有志名簿」のところの沖縄県大阪事務所の広告に、前田朝助所長、當間成一次長の名前が見える。前田さんは1924年の大宜味生まれ、當間さんは1937年の豊見城生まれと、名鑑にある。また発行人の田中久雄のところには田中町子(1917年の宮古生まれ)、夫久雄(本書著者)とある。名鑑の序文に「名鑑は昭和26年8月に沖縄興信所の調査資料を基礎に第1版を発行以来、28版を迎えることになりま愛した」とあり、また「永年の高血圧で入院し本書の出版も遅くなりました」とする田中久雄の挨拶がある。
発行人が尼崎在住なので関西の県人広告が多い。昭和食品(安里嗣福)、宮城清市、山端立昌、大都設備工業(名嘉正成)、上進商会(上間平進)、屋良運送(屋良朝光)、丸一食品(仲間宗一)、琉球銀行大阪支店(山里正雄)、沖縄銀行大阪支店(嘉陽宗清)、有村産業大阪支店、諸喜田精肉店(諸喜田太栄)などがある。沖縄県大阪事務所は前田所長、當間次長のとき島根県ビルから大阪駅前第3ビルに移転してきた。1980年であった。同年3月発行の『青い海』は特集「ドギュメント琉球大学」で広告に県事務所から當間次長(第8期)、武島第二課長(第7期)がある。
1998年11月14日~15日 東町・沖縄県立郷土劇場「宮城亀郁 藝能生活四十五周年記念公演」
2004年9月 宜保榮治郎『組踊入門』沖縄タイムス社
2013年10月20日『琉球新報』「人類にメッセージを残した怪獣」
仲嶺眞永
10月10日昼過ぎ、那覇市公設市場よりの広場で大綱挽の支度ガーエーの演技を稽古している場面に出会った。指導しているのは仲嶺眞永さんであった。自ら刀を振り回し中山尚巴志王、南山他魯毎王役の青年に演技を指導していた。ブログの週刊上原直彦「浮世真ん中」によれば仲嶺さんはサイパンで生まれている。戦後、和歌山の田辺市にも住んでおられたようだ。