08/11: 2015年7月22日~8月31日 古代出雲歴史博物館「琉球王国ー東アジア交流の盛華」
2015年7月22日~8月31日 古代出雲歴史博物館「琉球王国ー東アジア交流の盛華」琉球王国のすべてが出雲に集結
出雲/島根県と沖縄
前列左から前田所長、當間次長、兵庫県人会婦人部ー大城一史の作品を背景に
沖縄県大阪事務所は前田所長、當間次長のとき(1980年)島根県ビルから大阪駅前第3ビルに移転してきた。だから梅田に行くと島根県事務所もよく寄るが、島根(出雲)はまだ行ったことがない。
○森鴎外記念館もりおうがいきねんかん 島根県津和野町町田イ238 電話番号 0856-72-3210
営業時間 9時~16時45分 定休日 12月~3月中旬の月曜(祝日の場合は翌日)
料金 入館600円(森鴎外旧宅の見学料含む) アクセス JR津和野駅→石見交通バス鴎外旧居・長野行きで7分、バス停:鴎外旧居前下車、徒歩3分
森鴎外旧宅に隣接して立つ記念館。軍医であり、文学者でもあった鴎外の生涯を、遺品や直筆の原稿、ハイビジョン映像などで紹介している。鴎外は、幼くして『論語』や『孟子』を学び、天才少年の誉れ高かった。7歳から2年間、養老館で学び、10歳で上京し、その後、鴎外は陸軍軍医となり総監に就任。そのかたわら『舞姫』『山椒大夫』『阿部一族』など多くの小説を著した。鴎外が妻や子どもたちに宛てた書簡や、日記も展示。
○安部榮四郎記念館ー〒690-2102 島根県八束郡八雲村東岩坂1754 ☎FAⅩ(0852)54-1745
安部栄四郎 あべ-えいしろう
1902-1984 昭和時代の和紙製作家。
明治35年1月14日生まれ。出雲国(いずものくに)製紙伝習所で修業し,家業の和紙づくりにはげむ。昭和6年柳宗悦(むねよし)と出あい民芸運動に参加,雁皮紙(がんぴし)の特色をいかした出雲民芸紙を創作。43年人間国宝。昭和59年12月18日死去。82歳。島根県出身。著作に「出雲民芸紙譜」「和紙三昧(ざんまい)」など。(コトバンク)
2020年5月 上江州敏夫『写真資料集・勝 公彦ーその紙漉き人生』勝公彦記念琉球紙振興基金実行委員会
安藤三蔵(仁義社)
平成4年12月「第125回国会予算委員会」
○北村哲男君 別の質問に移りますが、証人は地元島根県の右翼団体尊皇塾仁義社というものを知っておられますでしょうか。あるいはそこの代表者の安藤三蔵という方を知っておられますでしょうか。
○証人(竹下登君) 安藤三蔵さんは亡くなられた方でございますが、北方四島、特に島根県は竹島問題がございますので、それのキャンペーンをたびたびやっておられた団体であり、そしてその要望書を一日内閣のときか何かに、私から渡してもらえぬかというようなお話があったことを覚えております。
○北村哲男君 もう一点ですが、その安藤さんの団体に対して竹下事務所から相当の援助がなされておった、あるいは会費、協賛金のようなものが出されておった、あるいはその安藤さんの一家に対して酒屋の免許を与えるとかという便宜を図られたとか、そういう親しい関係、あるいは逆に、安藤さんは竹下親衛隊と言われたぐらい竹下さんの立場をお守りになっておった右翼団体であるというふうなことを御存じでしょうか。
○証人(竹下登君) 安藤さん、仁義社というのは、私は、右翼団体という言葉が適切であるかどうか別といたしまして、国家主義、民主主義を標榜する政治結社の一つであるという認識はあります。が、それに対して私が特別な援助をするとかいう立場にはなかったというふうに思います。
1982年8月『政経情報』№52□荻堂盛進「流転の名鐘(安国寺の鐘)」
終戦の混乱が漸く収まった昭和24,5年頃、みろく寺の檀家が集まり、戦争のため国に供出した寺鐘の代わりに新しい鐘を鋳造しようと議が持ち上がり、何処かに鐘の鋳造をしているところはないものかと皆が駆け回っていた頃、檀家の一人から広島市のある鉄工所に戦争中全国各地から供出された鐘がまだ潰されずに残っており、それを売っているところがあるとの情報を持ってきた。(略)鳥取県は県庁所在地の鳥取市が昭和27年の大火で市の大半が焼失、財政的には苦しい状況にあり、時の石破知事①が沖縄県最後の島田知事と友人であった事から死んだ友人のため出来るだけのことはしてやりたいとの友情で、当時の金で百万余の予算を計上され、昭和37年8月に沖縄を出てから約20年近くを転々流浪を続けた名鐘は沖縄に還ってきた。
○昭和三十七年〔西暦一九六二年〕
鳥取県の弥勒寺より、安國寺が保管、先の大戦で軍事献納していた天王寺の天竜精舎乃鐘が南方同胞援護会の協力により沖縄に戻り、県立博物館へ移管する。
①石破 二朗(いしば じろう、1908年(明治41年)7月29日 - 1981年(昭和56年)9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。正三位勲一等。参議院議員(2期)。鳥取県知事(第39代)。鈴木善幸内閣において、自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)。前自由民主党幹事長・石破茂の父。
右ー1999年2月5日 南風原文化センターで左が池原正雄氏、
池原正雄氏発行のミニコミ紙『てんさぐから あなたへ』
『琉球新報』2002年11 月5日 □「沖縄遊学レポート」出版/鳥取県の池原正雄さん
鳥取県で長年、沖縄を紹介するミニ文庫「てぃんさぐぬ花」を開き、沖縄好きが高じて県内の大学で2年間学んだ池原正雄さん(56)=鳥取ピース・クロス世話人=がこのほど「爆音の中の平和学-私の沖縄遊学レポート」と題した冊子をまとめた。沖縄に住んで実感した爆音などの基地被害、本土と違う沖縄ハンセン病事情、県内各地の祭りなどをエッセーや写真でまとめた。
池原さんは「爆音や普天間基地移設をめぐる動きなど沖縄で起こる問題は鳥取にも通じる普遍的なもの。でも住んでいないと見えないこともある。大事なことが大きな流れの中で忘れられないか、問う作業を続けたい」と話している。鳥取県職員として勤める傍ら被爆者支援やハンセン病問題に取り組んだ池原さんは、学生時代に復帰前の沖縄を訪れ、関心を持った。1983年には自宅の一室にミニ文庫を開き、鳥取で沖縄の問題を考える場を13年間提供。基地問題などを紹介する通信を年8回発行してきた。99年に沖縄へ短期移住。沖国大、沖大で2年間学んだ。冊子の「基地の町のカジマヤー」では北谷町砂辺を取り上げ、花で飾ったオープンカーに乗るおばあさんの様子や容赦なく襲う米軍機の爆音を描写し、「平和への取り組みと、人々の強い絆(きずな)に裏打ちされた祝賀が子供たちに命のメッセージを送っている」と書いている。
『日本海新聞』2016年11月30日
沖縄本など3000冊寄贈 韓国・富川市からお礼の盾
平和、人権問題に取り組んでいる倉吉市湊町の池原正雄さん(71)が収集していた沖縄関係の本など約3千冊が、韓国の富川(プチョン)市に寄贈される。池原さんには同市から記念の盾が贈られた。関係者は韓国、日本、沖縄の交流に期待している。
池原さんは、沖縄が本土に復帰する前の1969年に沖縄に行き、生の沖縄を体感。99年から2001年には、沖縄国際大で聴講した。1984年から95年まで自宅の一室に沖縄を中心にした家庭文庫「てぃんさぐぬ花文庫」を開設。これら本の処分を、沖縄関係の古本や出版物を扱う、榕樹書林(沖縄宜野湾市)の武石和美社長に相談。武石社長が9月、池原さんの蔵書を見学に訪れ、武石社長の人脈で韓国への寄贈が実現した。武石社長は「沖縄と韓国は、研究活動の交流があまりなかったので、一つの契機になれば」と期待を込める。
池原さんが富川市に送るのは、沖縄関係だけでなく水木しげるさんや広島、平和に関する本など。輸送料は同市が負担し、展示専用の建物も用意するという。池原さんの本だけでなく、岡山大の元教授で岡山市在住の上原兼善さん=那覇市出身=も1万冊、榕樹書林も約300冊を寄贈する予定で、合わせて1万3千冊余りの本が富川市に送られる。池原さんは「鳥取、沖縄、韓国富川市との国際交流のトライアングルができたことは大きな喜び」と話した。(加嶋祥代)
出雲/島根県と沖縄
前列左から前田所長、當間次長、兵庫県人会婦人部ー大城一史の作品を背景に
沖縄県大阪事務所は前田所長、當間次長のとき(1980年)島根県ビルから大阪駅前第3ビルに移転してきた。だから梅田に行くと島根県事務所もよく寄るが、島根(出雲)はまだ行ったことがない。
○森鴎外記念館もりおうがいきねんかん 島根県津和野町町田イ238 電話番号 0856-72-3210
営業時間 9時~16時45分 定休日 12月~3月中旬の月曜(祝日の場合は翌日)
料金 入館600円(森鴎外旧宅の見学料含む) アクセス JR津和野駅→石見交通バス鴎外旧居・長野行きで7分、バス停:鴎外旧居前下車、徒歩3分
森鴎外旧宅に隣接して立つ記念館。軍医であり、文学者でもあった鴎外の生涯を、遺品や直筆の原稿、ハイビジョン映像などで紹介している。鴎外は、幼くして『論語』や『孟子』を学び、天才少年の誉れ高かった。7歳から2年間、養老館で学び、10歳で上京し、その後、鴎外は陸軍軍医となり総監に就任。そのかたわら『舞姫』『山椒大夫』『阿部一族』など多くの小説を著した。鴎外が妻や子どもたちに宛てた書簡や、日記も展示。
○安部榮四郎記念館ー〒690-2102 島根県八束郡八雲村東岩坂1754 ☎FAⅩ(0852)54-1745
安部栄四郎 あべ-えいしろう
1902-1984 昭和時代の和紙製作家。
明治35年1月14日生まれ。出雲国(いずものくに)製紙伝習所で修業し,家業の和紙づくりにはげむ。昭和6年柳宗悦(むねよし)と出あい民芸運動に参加,雁皮紙(がんぴし)の特色をいかした出雲民芸紙を創作。43年人間国宝。昭和59年12月18日死去。82歳。島根県出身。著作に「出雲民芸紙譜」「和紙三昧(ざんまい)」など。(コトバンク)
2020年5月 上江州敏夫『写真資料集・勝 公彦ーその紙漉き人生』勝公彦記念琉球紙振興基金実行委員会
安藤三蔵(仁義社)
平成4年12月「第125回国会予算委員会」
○北村哲男君 別の質問に移りますが、証人は地元島根県の右翼団体尊皇塾仁義社というものを知っておられますでしょうか。あるいはそこの代表者の安藤三蔵という方を知っておられますでしょうか。
○証人(竹下登君) 安藤三蔵さんは亡くなられた方でございますが、北方四島、特に島根県は竹島問題がございますので、それのキャンペーンをたびたびやっておられた団体であり、そしてその要望書を一日内閣のときか何かに、私から渡してもらえぬかというようなお話があったことを覚えております。
○北村哲男君 もう一点ですが、その安藤さんの団体に対して竹下事務所から相当の援助がなされておった、あるいは会費、協賛金のようなものが出されておった、あるいはその安藤さんの一家に対して酒屋の免許を与えるとかという便宜を図られたとか、そういう親しい関係、あるいは逆に、安藤さんは竹下親衛隊と言われたぐらい竹下さんの立場をお守りになっておった右翼団体であるというふうなことを御存じでしょうか。
○証人(竹下登君) 安藤さん、仁義社というのは、私は、右翼団体という言葉が適切であるかどうか別といたしまして、国家主義、民主主義を標榜する政治結社の一つであるという認識はあります。が、それに対して私が特別な援助をするとかいう立場にはなかったというふうに思います。
1982年8月『政経情報』№52□荻堂盛進「流転の名鐘(安国寺の鐘)」
終戦の混乱が漸く収まった昭和24,5年頃、みろく寺の檀家が集まり、戦争のため国に供出した寺鐘の代わりに新しい鐘を鋳造しようと議が持ち上がり、何処かに鐘の鋳造をしているところはないものかと皆が駆け回っていた頃、檀家の一人から広島市のある鉄工所に戦争中全国各地から供出された鐘がまだ潰されずに残っており、それを売っているところがあるとの情報を持ってきた。(略)鳥取県は県庁所在地の鳥取市が昭和27年の大火で市の大半が焼失、財政的には苦しい状況にあり、時の石破知事①が沖縄県最後の島田知事と友人であった事から死んだ友人のため出来るだけのことはしてやりたいとの友情で、当時の金で百万余の予算を計上され、昭和37年8月に沖縄を出てから約20年近くを転々流浪を続けた名鐘は沖縄に還ってきた。
○昭和三十七年〔西暦一九六二年〕
鳥取県の弥勒寺より、安國寺が保管、先の大戦で軍事献納していた天王寺の天竜精舎乃鐘が南方同胞援護会の協力により沖縄に戻り、県立博物館へ移管する。
①石破 二朗(いしば じろう、1908年(明治41年)7月29日 - 1981年(昭和56年)9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。正三位勲一等。参議院議員(2期)。鳥取県知事(第39代)。鈴木善幸内閣において、自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)。前自由民主党幹事長・石破茂の父。
右ー1999年2月5日 南風原文化センターで左が池原正雄氏、
池原正雄氏発行のミニコミ紙『てんさぐから あなたへ』
『琉球新報』2002年11 月5日 □「沖縄遊学レポート」出版/鳥取県の池原正雄さん
鳥取県で長年、沖縄を紹介するミニ文庫「てぃんさぐぬ花」を開き、沖縄好きが高じて県内の大学で2年間学んだ池原正雄さん(56)=鳥取ピース・クロス世話人=がこのほど「爆音の中の平和学-私の沖縄遊学レポート」と題した冊子をまとめた。沖縄に住んで実感した爆音などの基地被害、本土と違う沖縄ハンセン病事情、県内各地の祭りなどをエッセーや写真でまとめた。
池原さんは「爆音や普天間基地移設をめぐる動きなど沖縄で起こる問題は鳥取にも通じる普遍的なもの。でも住んでいないと見えないこともある。大事なことが大きな流れの中で忘れられないか、問う作業を続けたい」と話している。鳥取県職員として勤める傍ら被爆者支援やハンセン病問題に取り組んだ池原さんは、学生時代に復帰前の沖縄を訪れ、関心を持った。1983年には自宅の一室にミニ文庫を開き、鳥取で沖縄の問題を考える場を13年間提供。基地問題などを紹介する通信を年8回発行してきた。99年に沖縄へ短期移住。沖国大、沖大で2年間学んだ。冊子の「基地の町のカジマヤー」では北谷町砂辺を取り上げ、花で飾ったオープンカーに乗るおばあさんの様子や容赦なく襲う米軍機の爆音を描写し、「平和への取り組みと、人々の強い絆(きずな)に裏打ちされた祝賀が子供たちに命のメッセージを送っている」と書いている。
『日本海新聞』2016年11月30日
沖縄本など3000冊寄贈 韓国・富川市からお礼の盾
平和、人権問題に取り組んでいる倉吉市湊町の池原正雄さん(71)が収集していた沖縄関係の本など約3千冊が、韓国の富川(プチョン)市に寄贈される。池原さんには同市から記念の盾が贈られた。関係者は韓国、日本、沖縄の交流に期待している。
池原さんは、沖縄が本土に復帰する前の1969年に沖縄に行き、生の沖縄を体感。99年から2001年には、沖縄国際大で聴講した。1984年から95年まで自宅の一室に沖縄を中心にした家庭文庫「てぃんさぐぬ花文庫」を開設。これら本の処分を、沖縄関係の古本や出版物を扱う、榕樹書林(沖縄宜野湾市)の武石和美社長に相談。武石社長が9月、池原さんの蔵書を見学に訪れ、武石社長の人脈で韓国への寄贈が実現した。武石社長は「沖縄と韓国は、研究活動の交流があまりなかったので、一つの契機になれば」と期待を込める。
池原さんが富川市に送るのは、沖縄関係だけでなく水木しげるさんや広島、平和に関する本など。輸送料は同市が負担し、展示専用の建物も用意するという。池原さんの本だけでなく、岡山大の元教授で岡山市在住の上原兼善さん=那覇市出身=も1万冊、榕樹書林も約300冊を寄贈する予定で、合わせて1万3千冊余りの本が富川市に送られる。池原さんは「鳥取、沖縄、韓国富川市との国際交流のトライアングルができたことは大きな喜び」と話した。(加嶋祥代)