11/05: 1966年12月『今日の琉球』大里喜誠「米国への剣道修業旅行ー盛んな米国の剣道熱」
大里喜誠
1966年12月『今日の琉球』大里喜誠「米国への剣道修業旅行ー盛んな米国の剣道熱」
1975年10月『琉球新報』大里喜誠「『童景集』出版のころ」
1977年3月25日『沖縄タイムス』大里喜誠「ベトナム人の著した幻の『琉球血涙新書』」
1978年4月20日『琉球新報』大里喜誠「『童景集』『羽地仕置』出版の思い出」
1984年4月14日『沖縄タイムス』大里喜誠「富川」盛武の功績」
左ー新城栄徳宛の大里喜誠氏ハガキ/1991年6月3日『琉球新報』大里喜誠「岡倉天心と沖縄」
1957年10月 米国民政府渉外報道局出版課『今日の琉球』第1巻第1号
1957年12月『今日の琉球』□表紙(狛犬)・・・・山田真山
1958年3月、『今日の琉球』表紙(風景)・・・大嶺政寛/10月6日『琉球新報』『総仕上げ急ぐ守礼門ー四百年前の姿を再現/楼門に彩色をする琉大生」/10月16日『琉球新報』「きのう盛大に落成式!感激に涙する老婆も」(琉大生の一人が宮城篤正沖縄県立芸術大学学長)。
1959年2月 『今日の琉球』□表紙(樹木)・・・山田真山
1965年1月、『今日の琉球』(表紙写真・守礼門と琉装の女性)/9月、『守礼の光』「琉球文化財はかく保護されたー守礼門」
1969年12月 第13巻第12号□表紙(ブッソウゲ)・・・宮城健盛
1970年1月 第14巻第1号□表紙(イヌ年)・・・大嶺政寛
□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『今日の琉球』」
1959年1月 米国高等弁務官府『守礼の光』創刊号
1963年2月、『守礼の光』「琉球の文化財ー守礼門」
1964年10月、『守礼の光』「ナンシーさんの墨絵修行」(金城安太郎)
1967年1月、『守礼の光』(表紙・守礼門)/5月,『守礼の光』川平朝申「琉球の結核予防対策」(予防シール守礼門)/7月、『今日の琉球』(表紙・紅型模様の守礼門)
1968年1月、『守礼の光』川平朝清「全住民に奉仕する沖縄放送協会」
1972年5月、『守礼の光』「沖縄返還特別号」(表紙・守礼門)「琉球政府立博物館ー1966年当時のポール・W・キャラウェー高等弁務官の個人的関心と援助で設立された琉球政府立博物館がなかったとしたら、これらの多くは失われたかあるいは忘れ去られてしまったであろう。この美しい時代建築(博物館)は、那覇市の我那覇昇氏の設計、キャラウェー高等弁務官がこのためわざわざ招いた米国内務省の博物館設計の専門家による技術援助で建てられた」
1972年4月 第159号/1972年5月 最終号
□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『守礼の光』」
2009年1月 大谷利彦『異国往来 長崎情趣集』長崎文献社
蝶々夫人
蝶々と言えばミヤコ蝶々とか童謡ちょうちょを真っ先に浮かべる。蝶々夫人については映画もオペラも見聞きしたことはないが何となく知っている。
ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ(伊: Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini、1858年12月22日 - 1924年11月29日)は、イタリアの作曲家。その作品である『トスカ』、『蝶々夫人』、『ラ・ボエーム』などのオペラは今日でも上演の機会が多いことで知られる。イタリアのルッカに生まれ、ベルギーのブリュッセルで没した。 →ウィキ
1947年5月 三浦環遺稿 吉本明光・編『お蝶夫人』右文社(中央区銀座)
三浦環 1884〜1946(明治17年〜昭和21年)【声楽家】プッチーニが「世界でただ一人の蝶々」と讃えたソプラノ歌手。 日本人初の国際的プリマドンナ。明治〜昭和期のソプラノ歌手。東京都出身。日本オペラ創成期の世界的プリマドンナ。1904年(明治34)東京音楽学校卒。在学中の1903年日本人による初の歌劇「オルフォイス」に出演。1910年帝劇歌劇部専属歌手となる。1915年(大正4)ロンドンで世界的指揮者ヘンリー・ウッドに見いだされ、欧米各地で「蝶々夫人」を公演して好評を博した。作曲家プッチーニは「世界でただ一人の理想的な蝶々」と激賞した。→江戸・東京人物辞典
〇八千草 薫 蝶々夫人 Madama Butterfly(1954年)主役の「蝶々さん」役。
〇美空ひばり - 長崎の蝶々さん (1957) →動画 https://www.youtube.com/watch?v=JiGdsXagOXU
〇プッチーニ《蝶々夫人》「ある晴れた日に」マリア・カラス(1)動画https://www.youtube.com/watch?v=khPrm3aFxd4
〇プッチーニ《蝶々夫人》「ある晴れた日に」三浦環 動画 https://www.youtube.com/watch?v=0-2RkcOlhfo
1974年10月9日 那覇市民会館「二期会 オペラ蝶々夫人」
2018年2月 萩谷由喜子『「蝶々夫人」と日露戦争』中央公論新社〇1898年1月、アメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の弁護士兼作家、ジョン・ルーサー・ロング(1861~1927)がニューヨークの文芸雑誌『センチュリー・マガジン』に、日本の長崎を舞台とする短編小説『蝶々夫人(Madame Butterfly)』を発表した。
1966年12月『今日の琉球』大里喜誠「米国への剣道修業旅行ー盛んな米国の剣道熱」
1975年10月『琉球新報』大里喜誠「『童景集』出版のころ」
1977年3月25日『沖縄タイムス』大里喜誠「ベトナム人の著した幻の『琉球血涙新書』」
1978年4月20日『琉球新報』大里喜誠「『童景集』『羽地仕置』出版の思い出」
1984年4月14日『沖縄タイムス』大里喜誠「富川」盛武の功績」
左ー新城栄徳宛の大里喜誠氏ハガキ/1991年6月3日『琉球新報』大里喜誠「岡倉天心と沖縄」
1957年10月 米国民政府渉外報道局出版課『今日の琉球』第1巻第1号
1957年12月『今日の琉球』□表紙(狛犬)・・・・山田真山
1958年3月、『今日の琉球』表紙(風景)・・・大嶺政寛/10月6日『琉球新報』『総仕上げ急ぐ守礼門ー四百年前の姿を再現/楼門に彩色をする琉大生」/10月16日『琉球新報』「きのう盛大に落成式!感激に涙する老婆も」(琉大生の一人が宮城篤正沖縄県立芸術大学学長)。
1959年2月 『今日の琉球』□表紙(樹木)・・・山田真山
1965年1月、『今日の琉球』(表紙写真・守礼門と琉装の女性)/9月、『守礼の光』「琉球文化財はかく保護されたー守礼門」
1969年12月 第13巻第12号□表紙(ブッソウゲ)・・・宮城健盛
1970年1月 第14巻第1号□表紙(イヌ年)・・・大嶺政寛
□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『今日の琉球』」
1959年1月 米国高等弁務官府『守礼の光』創刊号
1963年2月、『守礼の光』「琉球の文化財ー守礼門」
1964年10月、『守礼の光』「ナンシーさんの墨絵修行」(金城安太郎)
1967年1月、『守礼の光』(表紙・守礼門)/5月,『守礼の光』川平朝申「琉球の結核予防対策」(予防シール守礼門)/7月、『今日の琉球』(表紙・紅型模様の守礼門)
1968年1月、『守礼の光』川平朝清「全住民に奉仕する沖縄放送協会」
1972年5月、『守礼の光』「沖縄返還特別号」(表紙・守礼門)「琉球政府立博物館ー1966年当時のポール・W・キャラウェー高等弁務官の個人的関心と援助で設立された琉球政府立博物館がなかったとしたら、これらの多くは失われたかあるいは忘れ去られてしまったであろう。この美しい時代建築(博物館)は、那覇市の我那覇昇氏の設計、キャラウェー高等弁務官がこのためわざわざ招いた米国内務省の博物館設計の専門家による技術援助で建てられた」
1972年4月 第159号/1972年5月 最終号
□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『守礼の光』」
2009年1月 大谷利彦『異国往来 長崎情趣集』長崎文献社
蝶々夫人
蝶々と言えばミヤコ蝶々とか童謡ちょうちょを真っ先に浮かべる。蝶々夫人については映画もオペラも見聞きしたことはないが何となく知っている。
ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ(伊: Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini、1858年12月22日 - 1924年11月29日)は、イタリアの作曲家。その作品である『トスカ』、『蝶々夫人』、『ラ・ボエーム』などのオペラは今日でも上演の機会が多いことで知られる。イタリアのルッカに生まれ、ベルギーのブリュッセルで没した。 →ウィキ
1947年5月 三浦環遺稿 吉本明光・編『お蝶夫人』右文社(中央区銀座)
三浦環 1884〜1946(明治17年〜昭和21年)【声楽家】プッチーニが「世界でただ一人の蝶々」と讃えたソプラノ歌手。 日本人初の国際的プリマドンナ。明治〜昭和期のソプラノ歌手。東京都出身。日本オペラ創成期の世界的プリマドンナ。1904年(明治34)東京音楽学校卒。在学中の1903年日本人による初の歌劇「オルフォイス」に出演。1910年帝劇歌劇部専属歌手となる。1915年(大正4)ロンドンで世界的指揮者ヘンリー・ウッドに見いだされ、欧米各地で「蝶々夫人」を公演して好評を博した。作曲家プッチーニは「世界でただ一人の理想的な蝶々」と激賞した。→江戸・東京人物辞典
〇八千草 薫 蝶々夫人 Madama Butterfly(1954年)主役の「蝶々さん」役。
〇美空ひばり - 長崎の蝶々さん (1957) →動画 https://www.youtube.com/watch?v=JiGdsXagOXU
〇プッチーニ《蝶々夫人》「ある晴れた日に」マリア・カラス(1)動画https://www.youtube.com/watch?v=khPrm3aFxd4
〇プッチーニ《蝶々夫人》「ある晴れた日に」三浦環 動画 https://www.youtube.com/watch?v=0-2RkcOlhfo
1974年10月9日 那覇市民会館「二期会 オペラ蝶々夫人」
2018年2月 萩谷由喜子『「蝶々夫人」と日露戦争』中央公論新社〇1898年1月、アメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の弁護士兼作家、ジョン・ルーサー・ロング(1861~1927)がニューヨークの文芸雑誌『センチュリー・マガジン』に、日本の長崎を舞台とする短編小説『蝶々夫人(Madame Butterfly)』を発表した。