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1950年4月 『おきなわ』創刊号
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1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「金井喜久子」
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1954年7月 金井喜久子『琉球の民謡』音楽之友社

川平朝建/金井喜久子
1944年3月20日午後6時「金井喜久子交響作品発表会 並びに琉球古典音楽と舞踊の夕」日比谷公会堂
1951年4月ー川平朝建『琉球歌謡集』
1951年7月ー川平朝建「最新那覇市地図」
1954年7月3日ー『沖縄新聞』川平朝建「辻街の追懐」①

1956年11月14日ー『琉球新報』「死亡広告ー川平朝建、療養中の処11月11日12時20分死去致しました。告別式は首里博物館入口自宅に於いて相営みます。  妻 川平イシヲ/母 川平オミト/長男 川平朝雄/次男 川平朝□/長女 友寄道子/孫 下地春男/孫 下地春次/妹 多嘉良カナ/妹 金井喜久子/親戚代表 川平朝敏/伊江朝幹/川平朝申/金井げん四郎/来間泰一/友人代表 当間清弘/小牧薫」

昭和59年4月ー金井喜久子『愛のトゥバルマーある歌姫の物語』



1954年7月 雑誌『おきなわ』崎濱秀明「意気蛸の如し」
1984年2月 崎濱秀明『蔡温全集』本邦書籍
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2004年12月13日『琉球新報』崎浜秀明さん死去 沖縄法制史研究の第一人者
沖縄法制史研究の第一人者として、関係史料の収集などに尽力した崎浜秀明(さきはま・しゅうめい)氏が12日午前10時4分、脳卒中のため、東京都中野区南台5ノ23ノ19ノ自宅で死去した。92歳。国頭村出身。告別式は、17日午前11時から正午まで、杉並区梅里1ノ2ノ27、堀ノ内斎場で。喪主は長男秀一(ひでかず)氏。
崎浜氏は1912年生まれ。日大、中央大学などで法制史を学び、沖縄法制史研究の第一人者として研究に情熱を注いだ。一方で、法制史関係史料の収集と刊行にも傾注し、今日の沖縄法制史研究の基礎を築いた。沖縄文化協会顧問、沖縄国際大学南島文化研究所特別研究員なども務めた。92年には琉球新報社の東恩納寛惇賞を受賞した。


1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「仲村隆夫」
1951年4月 雑誌『おきなわ』仲村隆夫「山原から那覇まで」


1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』

1965年1月ー左から太田直治、比嘉良明、松本三益、喜久村絜秀。後列左から上地栄、宮原邦男

1994年7月15日 『おきなわの声』第175号 松本三益「比嘉良明氏を偲んで」


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1950年4月 『おきなわ』創刊号①