03/06: 世相ジャパン 2025④
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3月14日 なるみ堂で、左から店主の翁長良明さん、屋良朝信さん、スウェーデン出身のヘンリック・ホカンソンさん/沖縄県立博物館・美術館館で里井洋一館長、屋良朝信さん/左から與那覇政直美術館副参事、屋良朝信さん、前田比呂也美術館班長/真栄里泰山さん、屋良朝信さん
大石あきこ れいわ新選組 衆議院議員 3-11 費用は増えない→増えた メタン爆発しない→爆発した チケット売れる→売れない 個人情報抜かない→抜ける リング護岸が浸食⬅️イマココ 万博行ったらダメ???? 中止するべき。責任者出てこい。万博の大屋根リング護岸が浸食被害 海水注入後に強風影響か | 毎日新聞
3-10 日本共産党の山添拓議員は7日の参院予算委員会で、海上自衛隊が紛争当事国であるウクライナとの多国間軍事演習に参加していた事実を防衛省が公表していなかった問題を取り上げ追及しました。同軍事演習「シーブリーズ」は米国とウクライナが共催する多国間演習で、昨年9月はウクライナ南部とクリミア半島に面し緊張が高まるブルガリア沖の黒海で実施。海自は米軍、ウクライナ軍などと機雷の水中処分などの訓練を行ったとされていますが公表されていませんでした。中谷元・防衛相は、同演習について自衛隊は2021年にオブザーバーとして初参加し、22年はウクライナ情勢勃発により中止、23年から本参加を開始し、24年には英国での演習に1人、ブルガリアに10人派遣したと説明しました。

3月8日 小島摩文鹿児島純心大学教授(父小島瓔禮/祖父又吉康和) 那覇日誌 /沖縄県立博物館・美術館 民家前/新城良一さん、小島教授/古美術なるみ堂で右から店主の翁長良明さん、小島教授、松島弘明さん

斎藤 陽子ーー7【思い出のアルバム】
57年まえ航空便はべらぼうに高価で、フライト便も少ない頃、貨客船の最終運航便 プレジデント ライン社のクリーブランド号に乗り込んで、横浜港から2週間をかけて、朝日に映える早朝のゴールデンゲイト・ブリッジの下を抜け、サンフランシスコ港に到着した日を思い出しています。

57年前の当時1ドルが360円の時代、日本人は日本国から円の持ち出しも規制される貧しい日本の国力でした。
当時サンフランシスコでアパートを借りて、大学へ通学する日本人の留学生には、授業料免除の恩典を得ても、生活する上では経済的には苦しいものでした。
当時のほとんどの留学生はサンフランシスコの富裕層の家に寄生し、5時頃までには急いで帰宅し、寄生している家の夕食準備の手伝いと後片付けなどに従事し、朝は早朝に起きて犬の散歩と家族の朝食作りをこなして、学業の一日が始まります。土曜日は寄生している大きな家の掃除や洗濯アイロンがけやシルバー食器磨きなどでのメイド業で一日過ごし、夜は家人がパーティーなどへ出かけると、子どもたちのシッターをする等で、留学中の「屋根と食事」が保証されるという生活を得て、勉学をする日々でした。
これがほとんどの日本人留学生の生きる方法で、そういう学生はスクールガールまたはスクールボーイと呼ばれ、大学の昼食時間には日本人学生同士が出会うと、寄宿先の主人の悪口を言ってウサ晴らしをしたものです。
日本で大学も修め、天職とする獣医師にもなって、この地でお手伝いさんのようなメイド業の労働をしなくてはならない自分の姿に、気持ちの沈むこともありましたが、若いということはそれまで経験したことのないメイド業までも、面白がっている自分を楽しんだ面もありました。
当時は日本とは随分格差の有ったアメリカの生活でしたから、生活文化の面では随分学ぶことも多く、後の私のアメリカでの永住生活に、この頃アメリカの生活習慣を学んだことは、後々とてもプラスになっています。
渡米と同時にアメリカ人の家庭に飛び込むことは、アメリカの生活文化や語学にも、かえって素早く慣れて良かった面もありました。学生ビザの身分では正規に働けない外国人学生ですから、日曜日は富裕層の家を周り、屋内の掃除などをするアルバイトが有ればで、小遣い稼ぎもしたものです。
現在の学生は春、冬、夏休みやは帰国するか、アメリカ国内旅行などで、時間を使っているようですが、私の時代は円とドルの格差が大きく皆が貧乏学生で、時間のある長い休みの時には富裕層の家庭の、大掃除などのアルバイトをしているという生活で過ごしたものです。
サンフランシスコの大抵の富裕層はユダヤ系の人で占めていて、十代の頃にユダヤ人強制収容所で、腕に刺青の通し番号を入れられ、あのアウシュビッツ強制収容所から奇跡の生還をし、アメリカに戦後渡り、富をなしたが家族をアウシュビッツで失った悲しい歴史の話をする、苦労人のお婆ちゃんもいました。
アウシュビッツ強制収容所で何時ガス室に送られるか分からない、過酷な経験をした人に比べると、未来のための今の学生生活は苦労のうちには入らないと思えて、帰路のサンフランシスコの坂道を歩いていたものです。この街は「1日に四季のある町」と言われるように、朝は春めいて、昼は初夏になり、夕方から夜にかけては冬が来たような気温の街です。57年まえの当時はビートルズの「ヘイ・ジュード」(Hey Jude)の歌が大はやりで、どこへ行っても ♪♪~Hey Jude don't make it bad~♪♪が聞こえて来て、徴兵でベトナムの戦線に送られてゆく若者もいて、戦争はごく身近なものであり、若者のベトナム反戦のデモンストレーション集会が至る所であり、髪に花飾りをして若者は平和を歌っていたものです。
日本での大学1年は60年安保闘争で迎えられ、暗い学生生活が東京での幕開けでした。
東京の学生生活と研修時代は、人々は経済成長にガムシャラに働き詰めの、暗い日々を送っていた後だけに、サンフランシスコの街はヒッピー文化花ざかりで、ベトナムでの戦時中でありながら、自由を謳歌しながら明るく反戦の意思表示をしている若者が、Hey Judeを歌い溢れて、その風景は余りにも日本との温度差に、戸惑いを感じたのも確かです。
1ドルが360円という為替レートの厳しい時代、海外からの貧乏留学生の生活はいろいろと言い難い辛苦もありましたが、いまでは生涯のいい体験にもなりました。84歳になった今も、この歌を聞くたびにサンフランシスコで青春を過ごした日々を思い出します。
そして今も変わらないのはサンフランシスコのビクトリア風の、街並みのたたずまいです。
私にとってアメリカ生活最初のサンフランシスコは、青春の日々を時間を惜しんで、勉学と労働とを必死にこなし、切磋琢磨した地でもあり、サンフランシスコはアメリカ 57年前の、出発点でもあります。

沖縄県の米軍北部訓練場返還地で米軍廃棄物を回収する活動を巡り公務執行妨害や火薬類取締法違反など複数の罪に問われている同県東村のチョウ類研究者、秋乃さん(46)の判決公判が6日、那覇地裁(佐藤哲郎裁判長)で開かれた。佐藤裁判長は被告の研究者に懲役3年、執行猶予4年、罰金30万円(求刑懲役4年、罰金45万円)を言い渡した(怒)。公務執行妨害罪については無罪とした。
斎藤 陽子3-6 トランプ大統領がメキシコとカナダに25%の関税を昨日3月4日から導入したことを受けて、アメリカでの食料品は2%ほど、値上がりするとされています。価格の上昇で人がどんどん買わなくなり、アボカドはメキシコから来ているので、値段があがる一方で、ロスアンゼルスに多いメキシコ料理店のメニュー表の価格も値上りすることでしょう。
アメリカは輸入する果物の53%、野菜の89%をメキシコとカナダに頼っています。
研究機関の試算では、関税導入の影響で食料品は最大2%ほど値上がり、ひと家庭当たりの生活費は年間2000ドル=30万円ほど増えるとしていて、トランプ大統領の荒っぽい政策の被害はアメリカの家庭に大きく影響して来るでしょう。
また、自動車の価格への影響も大きく、新車は最大180万円ほど値上がり、平均価格は5万ドル=750万円を超える見込みです。既に中古車にシフトする消費者が増え始め、中古車価格も上がると予想されています。
南カリフォルニアの雨季のシーズンは3月で終わりとなりますが、今年は雨が少ない雨季でしたが、水の好きな沖縄から来た月桃は、気丈夫に頑張り緑の葉をつやつやと輝かせ、ビワの木は枝の先に新芽を作り、ひと回りおおきくなっています。

大濱 聡 3-5■3.3「不二出版刊『沖縄・八重山 五十年史―沖縄返還交渉から「オール沖縄」まで―』刊行記念 三木 健さんトークイベント」(ジュンク堂書店 那覇店)、無事終了しました。
■担当者の話では、参加者120名(過去にもない人数か)、準備した著書28冊は高価本(6,820円)にもかかわらず完売したとのことです。あらためて三木さんの人脈、人気の高さに驚かされました。■ご来場いただきました皆様、まことにありがとうございました(拙い進行役で失礼しました)。


2025年3月3日(月)14時~ 不二出版刊 『 沖縄・八重山 五十年史―沖縄返還交渉から「オール沖縄」まで』 刊行記念 著者・三木 健さん トークイベント/ジュンク堂書店那覇店B1Fイベント会
場/ゲスト・河原千春さん(信濃毎日新聞記者)★進行 大濱聡さん(元NHKディレクター・プロデューサー)




3月14日 なるみ堂で、左から店主の翁長良明さん、屋良朝信さん、スウェーデン出身のヘンリック・ホカンソンさん/沖縄県立博物館・美術館館で里井洋一館長、屋良朝信さん/左から與那覇政直美術館副参事、屋良朝信さん、前田比呂也美術館班長/真栄里泰山さん、屋良朝信さん
大石あきこ れいわ新選組 衆議院議員 3-11 費用は増えない→増えた メタン爆発しない→爆発した チケット売れる→売れない 個人情報抜かない→抜ける リング護岸が浸食⬅️イマココ 万博行ったらダメ???? 中止するべき。責任者出てこい。万博の大屋根リング護岸が浸食被害 海水注入後に強風影響か | 毎日新聞
3-10 日本共産党の山添拓議員は7日の参院予算委員会で、海上自衛隊が紛争当事国であるウクライナとの多国間軍事演習に参加していた事実を防衛省が公表していなかった問題を取り上げ追及しました。同軍事演習「シーブリーズ」は米国とウクライナが共催する多国間演習で、昨年9月はウクライナ南部とクリミア半島に面し緊張が高まるブルガリア沖の黒海で実施。海自は米軍、ウクライナ軍などと機雷の水中処分などの訓練を行ったとされていますが公表されていませんでした。中谷元・防衛相は、同演習について自衛隊は2021年にオブザーバーとして初参加し、22年はウクライナ情勢勃発により中止、23年から本参加を開始し、24年には英国での演習に1人、ブルガリアに10人派遣したと説明しました。



3月8日 小島摩文鹿児島純心大学教授(父小島瓔禮/祖父又吉康和) 那覇日誌 /沖縄県立博物館・美術館 民家前/新城良一さん、小島教授/古美術なるみ堂で右から店主の翁長良明さん、小島教授、松島弘明さん



斎藤 陽子ーー7【思い出のアルバム】
57年まえ航空便はべらぼうに高価で、フライト便も少ない頃、貨客船の最終運航便 プレジデント ライン社のクリーブランド号に乗り込んで、横浜港から2週間をかけて、朝日に映える早朝のゴールデンゲイト・ブリッジの下を抜け、サンフランシスコ港に到着した日を思い出しています。

57年前の当時1ドルが360円の時代、日本人は日本国から円の持ち出しも規制される貧しい日本の国力でした。
当時サンフランシスコでアパートを借りて、大学へ通学する日本人の留学生には、授業料免除の恩典を得ても、生活する上では経済的には苦しいものでした。
当時のほとんどの留学生はサンフランシスコの富裕層の家に寄生し、5時頃までには急いで帰宅し、寄生している家の夕食準備の手伝いと後片付けなどに従事し、朝は早朝に起きて犬の散歩と家族の朝食作りをこなして、学業の一日が始まります。土曜日は寄生している大きな家の掃除や洗濯アイロンがけやシルバー食器磨きなどでのメイド業で一日過ごし、夜は家人がパーティーなどへ出かけると、子どもたちのシッターをする等で、留学中の「屋根と食事」が保証されるという生活を得て、勉学をする日々でした。
これがほとんどの日本人留学生の生きる方法で、そういう学生はスクールガールまたはスクールボーイと呼ばれ、大学の昼食時間には日本人学生同士が出会うと、寄宿先の主人の悪口を言ってウサ晴らしをしたものです。
日本で大学も修め、天職とする獣医師にもなって、この地でお手伝いさんのようなメイド業の労働をしなくてはならない自分の姿に、気持ちの沈むこともありましたが、若いということはそれまで経験したことのないメイド業までも、面白がっている自分を楽しんだ面もありました。
当時は日本とは随分格差の有ったアメリカの生活でしたから、生活文化の面では随分学ぶことも多く、後の私のアメリカでの永住生活に、この頃アメリカの生活習慣を学んだことは、後々とてもプラスになっています。
渡米と同時にアメリカ人の家庭に飛び込むことは、アメリカの生活文化や語学にも、かえって素早く慣れて良かった面もありました。学生ビザの身分では正規に働けない外国人学生ですから、日曜日は富裕層の家を周り、屋内の掃除などをするアルバイトが有ればで、小遣い稼ぎもしたものです。
現在の学生は春、冬、夏休みやは帰国するか、アメリカ国内旅行などで、時間を使っているようですが、私の時代は円とドルの格差が大きく皆が貧乏学生で、時間のある長い休みの時には富裕層の家庭の、大掃除などのアルバイトをしているという生活で過ごしたものです。
サンフランシスコの大抵の富裕層はユダヤ系の人で占めていて、十代の頃にユダヤ人強制収容所で、腕に刺青の通し番号を入れられ、あのアウシュビッツ強制収容所から奇跡の生還をし、アメリカに戦後渡り、富をなしたが家族をアウシュビッツで失った悲しい歴史の話をする、苦労人のお婆ちゃんもいました。
アウシュビッツ強制収容所で何時ガス室に送られるか分からない、過酷な経験をした人に比べると、未来のための今の学生生活は苦労のうちには入らないと思えて、帰路のサンフランシスコの坂道を歩いていたものです。この街は「1日に四季のある町」と言われるように、朝は春めいて、昼は初夏になり、夕方から夜にかけては冬が来たような気温の街です。57年まえの当時はビートルズの「ヘイ・ジュード」(Hey Jude)の歌が大はやりで、どこへ行っても ♪♪~Hey Jude don't make it bad~♪♪が聞こえて来て、徴兵でベトナムの戦線に送られてゆく若者もいて、戦争はごく身近なものであり、若者のベトナム反戦のデモンストレーション集会が至る所であり、髪に花飾りをして若者は平和を歌っていたものです。
日本での大学1年は60年安保闘争で迎えられ、暗い学生生活が東京での幕開けでした。
東京の学生生活と研修時代は、人々は経済成長にガムシャラに働き詰めの、暗い日々を送っていた後だけに、サンフランシスコの街はヒッピー文化花ざかりで、ベトナムでの戦時中でありながら、自由を謳歌しながら明るく反戦の意思表示をしている若者が、Hey Judeを歌い溢れて、その風景は余りにも日本との温度差に、戸惑いを感じたのも確かです。
1ドルが360円という為替レートの厳しい時代、海外からの貧乏留学生の生活はいろいろと言い難い辛苦もありましたが、いまでは生涯のいい体験にもなりました。84歳になった今も、この歌を聞くたびにサンフランシスコで青春を過ごした日々を思い出します。
そして今も変わらないのはサンフランシスコのビクトリア風の、街並みのたたずまいです。
私にとってアメリカ生活最初のサンフランシスコは、青春の日々を時間を惜しんで、勉学と労働とを必死にこなし、切磋琢磨した地でもあり、サンフランシスコはアメリカ 57年前の、出発点でもあります。



沖縄県の米軍北部訓練場返還地で米軍廃棄物を回収する活動を巡り公務執行妨害や火薬類取締法違反など複数の罪に問われている同県東村のチョウ類研究者、秋乃さん(46)の判決公判が6日、那覇地裁(佐藤哲郎裁判長)で開かれた。佐藤裁判長は被告の研究者に懲役3年、執行猶予4年、罰金30万円(求刑懲役4年、罰金45万円)を言い渡した(怒)。公務執行妨害罪については無罪とした。
斎藤 陽子3-6 トランプ大統領がメキシコとカナダに25%の関税を昨日3月4日から導入したことを受けて、アメリカでの食料品は2%ほど、値上がりするとされています。価格の上昇で人がどんどん買わなくなり、アボカドはメキシコから来ているので、値段があがる一方で、ロスアンゼルスに多いメキシコ料理店のメニュー表の価格も値上りすることでしょう。
アメリカは輸入する果物の53%、野菜の89%をメキシコとカナダに頼っています。
研究機関の試算では、関税導入の影響で食料品は最大2%ほど値上がり、ひと家庭当たりの生活費は年間2000ドル=30万円ほど増えるとしていて、トランプ大統領の荒っぽい政策の被害はアメリカの家庭に大きく影響して来るでしょう。
また、自動車の価格への影響も大きく、新車は最大180万円ほど値上がり、平均価格は5万ドル=750万円を超える見込みです。既に中古車にシフトする消費者が増え始め、中古車価格も上がると予想されています。
南カリフォルニアの雨季のシーズンは3月で終わりとなりますが、今年は雨が少ない雨季でしたが、水の好きな沖縄から来た月桃は、気丈夫に頑張り緑の葉をつやつやと輝かせ、ビワの木は枝の先に新芽を作り、ひと回りおおきくなっています。

大濱 聡 3-5■3.3「不二出版刊『沖縄・八重山 五十年史―沖縄返還交渉から「オール沖縄」まで―』刊行記念 三木 健さんトークイベント」(ジュンク堂書店 那覇店)、無事終了しました。
■担当者の話では、参加者120名(過去にもない人数か)、準備した著書28冊は高価本(6,820円)にもかかわらず完売したとのことです。あらためて三木さんの人脈、人気の高さに驚かされました。■ご来場いただきました皆様、まことにありがとうございました(拙い進行役で失礼しました)。


2025年3月3日(月)14時~ 不二出版刊 『 沖縄・八重山 五十年史―沖縄返還交渉から「オール沖縄」まで』 刊行記念 著者・三木 健さん トークイベント/ジュンク堂書店那覇店B1Fイベント会
場/ゲスト・河原千春さん(信濃毎日新聞記者)★進行 大濱聡さん(元NHKディレクター・プロデューサー)
