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 沖野忠雄 生年: 安政1.1.1 (1854.1.29) 没年: 大正10.3.26 (1921)
明治期の土木技術者。但馬(兵庫県)の武家に生まれる。父春水。東京大学の前身である大学南校に明治3(1870)年に入学したが,明治8年から長くフランスに学び,土木工学を専攻,明治16年に,内務省の土木局に任官し,8年後大阪の土木監督署に赴任したのちは,大阪港の築港工事や淀川の治水工事など,大阪近辺の環境整備を手掛け,功績があった。のち内務省に帰任,技監を務めた。 (村上陽一郎・コトバンク)
 1916年4月13日『琉球新報』那覇築港竣工式に、功労者(内務技師監工学博士)として、近藤虎五郎(内務技師工学博士)と共に紀念品を贈呈された。
近藤虎五郎 こんどう-とらごろう□1865-1922 明治-大正時代の土木技術者。
慶応元年6月1日生まれ。アメリカ留学後,明治23年内務省にはいり,内務技師となる。河川改修や上下水道の普及につとめる。母校東京帝大の教授,鉄道省技師なども兼務した。大正11年7月17日死去。58歳。越後(えちご)(新潟県)出身。(コトバンク)
 那覇港湾施設(なはこうわんしせつ)は、沖縄県那覇市にある在日米軍基地で、アメリカ陸軍が使用している。尚、“軍港”と通称されているが、海軍の基地ではなく、陸軍の管理する港湾設備である。国場川の河口南側、明治橋の西側、那覇港フェリーターミナルの対岸に位置する。南側には陸上自衛隊那覇駐屯地がある。1945年(昭和20年)に米軍が沖縄を占領して以来、那覇軍港として陸軍によって整備が進められてきた。
 1972年(昭和47年)の沖縄の復帰に際して、名称が「那覇港湾施設」と改められ、1974年(昭和49年)の第15回日米安全保障協議委員会で、移設条件付き全面返還が合意された。その後、国道331号・国道332号の拡幅、那覇西道路の海底トンネル建設などのため、一部用地が日本側に返還された。(ウィキペディア)