09/16: 浦添市美術館「南への風~沖縄・台湾~近代沖縄の美術・工芸展」
浦添市美術館連続講座「近代沖縄の美術・工芸」
沖縄県物産販売斡旋所と沖縄県工業指導所
1926(大正15)年
10月1日ー沖縄県大阪物産斡旋所・東京物産斡旋所設置
1930年3月7日ー沖縄県大阪物産斡旋所で「漆器宣伝会」
沖縄県物産販売東京斡旋所(西村所長)東京駅前丸の内ビルディング内
1934年3月20日ー沖縄県大阪物産斡旋所が神戸大丸百貨店で「沖縄県漆器見本展示会」
1937年9月1日ー『大阪球陽新報』安慶名宜良「本県物産斡旋所の沿革と事業に就いて」
1938年11月1日ー『大阪球陽新報』「沖縄県漆工藝組合が11月1日より阪急百貨店6階で琉球漆器陳列会」
1939年
4月1日ー『大阪球陽新報』「大阪物産斡旋所主任、安慶名宜良氏が本県糖業主事として栄転」
11月1日ー『大阪球陽新報』奥里将建「美術館の創設と沖縄の工藝政策」連載
1940年
3月1日ー『大阪球陽新報』「漆の配給は見込みが薄いー屋嘉那覇市勧業課長談」
6月20-『大阪球陽新報』「6月25日から三越大阪支店で山田真山画伯陶作即売会」
8月15日ー『大阪球陽新報』「去る14日から南海高島屋7階で沖縄民芸品と物産即売会並びに古芸品展」
沖縄県工業指導所
1926年8月14日ー『琉球新報』「商工省助成費の看板は工業指導所/計画の試験場は取止め、大蔵省は無事通過か」
1927年8月ー沖縄県工業指導所、島尻郡真和志村に設置。組織は所長事務取扱の井田憲次、窯業部の金沢武雄、染色部の光安源次郎、漆器部の生駒弘、機織部の4部門で構成。
1929年
赤間文三所長□(1899年5月31日生まれ。福岡県出身。1925年、東京帝国大学独法科卒業、岡山、山梨、愛知大阪各府県勤務。徳島県経済部長、商工省、大臣官房から燃料局醸造工業部長を経て1947年4月から3期12年にわたって大阪府知事を皆勤12年。1951年2月15日の北恩加島小学校で開かれた沖縄諸島日本復帰要望大会(豊川忠進会長)では熱弁を振う。
8月10日ー『琉球新報』「所員間の醜き暗闘をー赤間所長戒む/明るく正しくあれと工業指導所刷新に着手」
9月3日ー『沖縄朝日新聞』「芭蕉布団地ー県外に販路拡張」
沖縄県工業指導所門前。戦前、工業指導所に居られた具志堅以徳氏、牧港篤三氏によれば、門から入って本館があってそこには陳列室があり左側には所長室があった。それを通って行くと、右には宿直室、その隣には漆器の模様入れの作業場、向かいの左側に漆器部がある。その裏側に紅房が出来る。さらに奥のほうの左側に染織部、図案部があり、その右側に窯業部があり煙突がついていた。
1930年
8月6日ー『沖縄朝日新聞』生駒弘「琉球塗の特質」
1930年2月18日『大阪朝日新聞附録九州朝日』「琉球紹介の沖縄県物産館生る」