03/02: 1971年5月 沖縄の雑誌『青い海』「あるグループ/沖青友の会」
マンガ青年・仲宗根正順
1969年4月ごろ、沖青友の会会員の高幸雄(21)にこんな相談がもちかけられた。「マンガの勉強をしていた兄が、アパートを出たまま1年以上も行方がわからない。なんとか協力してくれないか」
そのマンガ青年が、宮古出身の仲宗根正順さん(当時26才)だった。具志川から出てきた妹さんの訴えによると、仲宗根さんは、働きながらマンガを勉強、マンガ同人誌「フェニックス」を編集していた。ところが、69年5月中旬、大阪・吹田市のアパートから突然姿を消し、1年以上も行方がわからない。妹さんは大阪で働きながら、友人関係などを訪ね、さがしまわったが、手がかりさえつかめないという。
沖青友の会は、仲宗根さん捜しに会員全員でとり組んだ。マンガ雑誌や新聞に投書をしたり、全国の沖縄関係者に協力を呼びかけた。3万円近く集まったカンパでチラシをつくり、目抜きの交番に貼った。刑事まがいの聞き込みをして歩いたりもした。毎日新聞が、社会面トップで仲宗根さんの蒸発を伝えると、文字通り全国から多くの反響が寄せられた。
だが、仲宗根さんは自殺をしていた。吹田署が改めて身元不明の変死体を調べたところ、69年5月15日夜、市内の道路ワキで石油をかぶって焼身自殺した青年が、持っていた部屋のカギから、仲宗根さんにほぼ間違いないと確認したのである。悲しいことだったが、もし沖青友の会がとり組んでいなければ、仲宗根さんは永遠に無縁仏となっていたかもしれない、と思うと『ボク達が役にたてた』という自信も湧いてきた。
(略)大阪には沖青友の会のようなグループが四つある。全国には、おそらく10余のグループがあるのではないか、という。(会長の)嘉陽君らは、思想、信条の違いがあってもいいから、それらのグループとヨコのつながりだけでも持って、共通の悩みを解決し合いたいと思っている。(沖青友の会連絡先・大阪市港区市岡元町2-16-3、程野方、嘉陽宗博)
『青い海』マンガ関係目録
1971年4月 創刊号 マンガ「仲宗根正順遺作展」/5月 第2号「仲宗根正順遺作展②」、きしゃばせいじ「マンガ」/6月 第3号 仲宗根正順「マンガ・ぜいたくはすてきだ」
8月 第4号 仲宗根正順マンガ/毛利泰房「青い海漫画集」/9月 第5号 砂川しげひさ「マンガ寄らば斬るド」「漫画家・砂川しげひさ」/10月 第6号 読者のページ まえむらいくお「マンガ・しまった!」/11月 第7号 きしゃばせいじ「マンガ」/12月 第8号 当間直己「漫画アンデパンダン展」、前村郁夫「マンガ・星を見ないで」
砂川しげひさ
1972年1月 第9号 たらま由紀夫「マンガ・ガールハント」、山里和男「マンガ」、仲本エイ子イラスト・嶋美枝詩「夕暮れ」(あしあと3号)、へしきよしのり「マンガ・ラブレータ」、石川文一・柳光観画「三山の覇王」/2月 10号 当間直己「マンガ・魚の愛情?」、平敷善和イラスト・弦子詩/3月 第11号 大嵩茂芳「マンガ・先生と生徒」、きしゃばせいじ「マンガ・サッカーク」、具志堅正雄「マンガ・コンピューター時代」/5月 第12号 新屋敷幸繁・安室二三雄え「民話の沖縄」/6月 第13号 きしゃばせいじ「現代くん」、真栄城徳秋「マンガ」/7月 第14号 へしきよしのり「頑張らなくっちやあ漫画青春」/8月 第15号 伊波南哲「庶民の描いた美しい夢と諷刺」
1972年5月 青い海出版社『はだか沖縄』六月社(大阪)□へしきよしのり・あすなろプロダクション「蟻ーありー」
1973年12月 第28号 「グラビア守礼門」
1974年12月 第38号 津野力男『表紙写真「守礼門」
1975年9月 第45号 おおば比呂司「あわもりの酔心地」
1977年6月 第64号 安良城考「目次イラスト」/8月 第65号 安良城考「目次イラスト・カット」、具志堅政正「ありったけの地獄ー沖縄戦を描く」/9月 第66号 波平やすし・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・アカインコ」/10月 第67号 登野城匠・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし」/11月 第68号 登野城匠・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・ニヌファブシの娘」/12月 第69号 登野城匠・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・お正月の猫」
1978年1月 第70号 座間味朗・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・はなよめ石」/4月 72号 安良城考「目次イラスト」/6月 第73号 中城健吉・安良城考イラスト「創作沖縄昔ばなし・双子王子」
1983年8月 第125号 へしき・よしのり・琉漫画工房「黒潮源流」/12月 第128号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」④
1984年1月 第129号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑤ 3月 第130号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑥ 4月 第131号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑦ 6月 第133号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑧ 8月 第135号 スタジオ南洋少年・へしきよしのり「黒潮源流」⑨ 9月 第136号 へしき・よしのり・スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑩ 10月 第137号 へしき・よしのり・スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑪ 11月 第138号 へしき・よしのり・スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑫ 12月 第139号 スタジオ南洋少年「黒潮源流」
1985年3月 第140号 スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑭ 4月 第141号 スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑮ 7月143号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」
『今日の琉球』マンガ(挿絵)目録
1958年 12月 目次絵「コマまわし」、真栄城勇「B円切手とドル切手」、「守礼門復元落成」
1960年 11月 徳田安周「沖縄千一夜」⑮とかしきただお挿絵、保志門幸子「スクちゃん」(4コマ、60年9月から)
1961年6月 金城康雄「ホンワカ君」/7月 とかしきただお「ノンカー一家」③、「タロ坊」/11月 表紙・守礼門ほか/
1962年11月 「沖縄観光事業は有望」(写真・守礼門)
1963年 8月 とかしきただお「のんかー一家」/10月 とかしきただお「のんかー一家」、「結核予防シール」(写真・川平朝申とキャラウェー高等弁務官)
1965年 5月 とかしきただお「ターボー」~
1966年 1月 「中国古銭収集のジョン・A・ノバック」/12月 裏表紙写真「守礼門と夜空の花火」
1968年3月13日ーデイゴの会(大阪沖縄連帯の会)発足
嘉陽宗博「ふるさとからの友の手紙で」
鶴嶋雪嶺, 1969, 「『デイゴの会』の誇りと悩み」『思想の科学』第5次 (96), 44-51.
□→「大阪沖縄連帯の会(デイゴの会) - Arsvi.com」
1969年4月ごろ、沖青友の会会員の高幸雄(21)にこんな相談がもちかけられた。「マンガの勉強をしていた兄が、アパートを出たまま1年以上も行方がわからない。なんとか協力してくれないか」
そのマンガ青年が、宮古出身の仲宗根正順さん(当時26才)だった。具志川から出てきた妹さんの訴えによると、仲宗根さんは、働きながらマンガを勉強、マンガ同人誌「フェニックス」を編集していた。ところが、69年5月中旬、大阪・吹田市のアパートから突然姿を消し、1年以上も行方がわからない。妹さんは大阪で働きながら、友人関係などを訪ね、さがしまわったが、手がかりさえつかめないという。
沖青友の会は、仲宗根さん捜しに会員全員でとり組んだ。マンガ雑誌や新聞に投書をしたり、全国の沖縄関係者に協力を呼びかけた。3万円近く集まったカンパでチラシをつくり、目抜きの交番に貼った。刑事まがいの聞き込みをして歩いたりもした。毎日新聞が、社会面トップで仲宗根さんの蒸発を伝えると、文字通り全国から多くの反響が寄せられた。
だが、仲宗根さんは自殺をしていた。吹田署が改めて身元不明の変死体を調べたところ、69年5月15日夜、市内の道路ワキで石油をかぶって焼身自殺した青年が、持っていた部屋のカギから、仲宗根さんにほぼ間違いないと確認したのである。悲しいことだったが、もし沖青友の会がとり組んでいなければ、仲宗根さんは永遠に無縁仏となっていたかもしれない、と思うと『ボク達が役にたてた』という自信も湧いてきた。
(略)大阪には沖青友の会のようなグループが四つある。全国には、おそらく10余のグループがあるのではないか、という。(会長の)嘉陽君らは、思想、信条の違いがあってもいいから、それらのグループとヨコのつながりだけでも持って、共通の悩みを解決し合いたいと思っている。(沖青友の会連絡先・大阪市港区市岡元町2-16-3、程野方、嘉陽宗博)
『青い海』マンガ関係目録
1971年4月 創刊号 マンガ「仲宗根正順遺作展」/5月 第2号「仲宗根正順遺作展②」、きしゃばせいじ「マンガ」/6月 第3号 仲宗根正順「マンガ・ぜいたくはすてきだ」
8月 第4号 仲宗根正順マンガ/毛利泰房「青い海漫画集」/9月 第5号 砂川しげひさ「マンガ寄らば斬るド」「漫画家・砂川しげひさ」/10月 第6号 読者のページ まえむらいくお「マンガ・しまった!」/11月 第7号 きしゃばせいじ「マンガ」/12月 第8号 当間直己「漫画アンデパンダン展」、前村郁夫「マンガ・星を見ないで」
砂川しげひさ
1972年1月 第9号 たらま由紀夫「マンガ・ガールハント」、山里和男「マンガ」、仲本エイ子イラスト・嶋美枝詩「夕暮れ」(あしあと3号)、へしきよしのり「マンガ・ラブレータ」、石川文一・柳光観画「三山の覇王」/2月 10号 当間直己「マンガ・魚の愛情?」、平敷善和イラスト・弦子詩/3月 第11号 大嵩茂芳「マンガ・先生と生徒」、きしゃばせいじ「マンガ・サッカーク」、具志堅正雄「マンガ・コンピューター時代」/5月 第12号 新屋敷幸繁・安室二三雄え「民話の沖縄」/6月 第13号 きしゃばせいじ「現代くん」、真栄城徳秋「マンガ」/7月 第14号 へしきよしのり「頑張らなくっちやあ漫画青春」/8月 第15号 伊波南哲「庶民の描いた美しい夢と諷刺」
1972年5月 青い海出版社『はだか沖縄』六月社(大阪)□へしきよしのり・あすなろプロダクション「蟻ーありー」
1973年12月 第28号 「グラビア守礼門」
1974年12月 第38号 津野力男『表紙写真「守礼門」
1975年9月 第45号 おおば比呂司「あわもりの酔心地」
1977年6月 第64号 安良城考「目次イラスト」/8月 第65号 安良城考「目次イラスト・カット」、具志堅政正「ありったけの地獄ー沖縄戦を描く」/9月 第66号 波平やすし・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・アカインコ」/10月 第67号 登野城匠・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし」/11月 第68号 登野城匠・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・ニヌファブシの娘」/12月 第69号 登野城匠・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・お正月の猫」
1978年1月 第70号 座間味朗・安良城考イラスト「沖縄昔ばなし・はなよめ石」/4月 72号 安良城考「目次イラスト」/6月 第73号 中城健吉・安良城考イラスト「創作沖縄昔ばなし・双子王子」
1983年8月 第125号 へしき・よしのり・琉漫画工房「黒潮源流」/12月 第128号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」④
1984年1月 第129号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑤ 3月 第130号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑥ 4月 第131号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑦ 6月 第133号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」⑧ 8月 第135号 スタジオ南洋少年・へしきよしのり「黒潮源流」⑨ 9月 第136号 へしき・よしのり・スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑩ 10月 第137号 へしき・よしのり・スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑪ 11月 第138号 へしき・よしのり・スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑫ 12月 第139号 スタジオ南洋少年「黒潮源流」
1985年3月 第140号 スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑭ 4月 第141号 スタジオ南洋少年「黒潮源流」⑮ 7月143号 へしき・よしのり・琉漫工房「黒潮源流」
『今日の琉球』マンガ(挿絵)目録
1958年 12月 目次絵「コマまわし」、真栄城勇「B円切手とドル切手」、「守礼門復元落成」
1960年 11月 徳田安周「沖縄千一夜」⑮とかしきただお挿絵、保志門幸子「スクちゃん」(4コマ、60年9月から)
1961年6月 金城康雄「ホンワカ君」/7月 とかしきただお「ノンカー一家」③、「タロ坊」/11月 表紙・守礼門ほか/
1962年11月 「沖縄観光事業は有望」(写真・守礼門)
1963年 8月 とかしきただお「のんかー一家」/10月 とかしきただお「のんかー一家」、「結核予防シール」(写真・川平朝申とキャラウェー高等弁務官)
1965年 5月 とかしきただお「ターボー」~
1966年 1月 「中国古銭収集のジョン・A・ノバック」/12月 裏表紙写真「守礼門と夜空の花火」
1968年3月13日ーデイゴの会(大阪沖縄連帯の会)発足
嘉陽宗博「ふるさとからの友の手紙で」
鶴嶋雪嶺, 1969, 「『デイゴの会』の誇りと悩み」『思想の科学』第5次 (96), 44-51.
□→「大阪沖縄連帯の会(デイゴの会) - Arsvi.com」