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1972年5月 沖縄の雑誌『青い海』与那原徳男「焦点(鹿山正元兵曹長)踏みにじられた心情とは・・・」

『私の信念はお国の為であった』 (『サンデー毎日』続報「沖縄ソンミ事件」 1972・4・23号)
◇沖縄のソンミ事件とは◇
 久米島は沖縄本島から西へ約百㌔の離島。沖縄戦当時、鹿山正(かやま・ただし)兵曹長(当時32歳)指揮下の日本海軍守備隊四十人近くが駐屯していた。昭和二十年六月二十六日、米軍上陸後、鹿山隊は山岳地帯にたてこもったが、住民が米軍に通じることを恐れ、米軍上陸の翌二十七日、仲里村山城の郵便局員が米軍から投降文書を強制的に持ってこさせられたのをスパイ容疑で銃殺したのを皮切りに、具志川村北原区長ら四家族九人を集めて刺殺焼打ちするなど連続的に民間人を"処刑"。終戦後も朝鮮人の谷川昇さん一家七人や久米島を艦砲射撃から救い戦争犠牲を防止したといわれる仲村渠明勇さん一家三人を殺すなど、二十人を直接殺害、自殺や餓死を含めれば七十人近い民間人を犠牲にした。