粟国/ソテツ2014-8






粟国小中校の二宮金次郎像と蘇鉄




2013年10月 ソテツ葉で遊ぶ ひより


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徳之島金見(かなみ)集落にあるソテツトンネル。 ソテツの樹齢は約300年~350年。 もともとは、金見集落の畑の境界線と北風による暴風対策のために植えられたソテツが、ゆっくりと時間をかけて成長し、自然とアーチができあがった。 約250m続くトンネルの中は、南国ムード満載。



1976年7月 雑誌『青い海』通巻55号 榮喜久元「蛇身の美しい男と女の恋」

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蘇鉄/榮喜久元『蘇鉄のすべて』
2004年1月31日『沖縄タイムス』新城栄徳(書評)ー榮喜久元『蘇鉄のすべて』南方新社/琉球学の巨人・東恩納寛惇の史料ノート(1926年)に蘇鉄極楽と題し「昔は『蘇鉄世』と云う語があった。金はあっても食いものがなかったのである」「蘇鉄地獄と云うのは食いものはあっても金のない事を意味する」と記されている。題からして寛惇は蘇鉄地獄の名称がお気に召さなかったようである。
『鹿児島大百科事典』で「蘇鉄(奄美)」を見ると榮喜久元氏が書いている。私は1970年前後に収集し今でも手元にある『与論島の民謡と生活』『奄美大島与論島の民俗』の著者として榮氏の名前は知っていた。
本書は『南海日日新聞』に連載したもので前記の著書でも蘇鉄については触れられている。榮氏は与論島で生まれている。そして「蘇鉄は島の生活のなかで大切なものです。いつしか(略)蘇鉄が地球上にあらわれた時代はいつであるか、ということも知りたいと思うようになりました」と本書を書き出している。国内の蘇鉄の巨木、蘇鉄の名前の語源、方言や、蘇鉄を素材にした文芸から民謡、蘇鉄の精虫、蘇鉄葉の輸出、「ソテツ地獄」などを面白く紹介している。

2012年3月30日ー沖縄県立博物館・美術館「田中一村展ー琉球弧で開花した美の世界」
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田中一村の絵によく蘇鉄が描き込まれている。一村の蘇鉄の絵は幻想的というか神秘的でもある。

私の故郷・粟国島は「ソテツの島」とも言われている。『奄美郷土研究会会報』第34号の徳冨重成論文には蘇鉄が「与論島には粟国島から、多良間島には慶良間から移植されたという伝承がある」と紹介されている。那覇市久茂地で「居酒屋ひさみ」の経営かたわら「世界のソテツを守る会」を主宰する玉寄貞夫さんは粟国島の先輩でもある。その居酒屋で佐竹利子さんを紹介された。
佐竹さんは精米機・製粉機メーカー「サタケ」の代表者。父君の佐竹利彦は『植物研究雑誌』に「ソテツの変異株」などを発表するソテツ博士である。


アントニオ猪木、新里粟国村長、玉寄貞夫さん/2017年5月4日『沖縄タイムス』「ソテツ新たな活用に光」

八重山の蘇鉄

那覇市資料館の川満洋子さんに「蘇鉄」を検索してもらうと「ソテツ」「そてつ」を合わせて1万5百件もある。本書はその大量の蘇鉄情報への案内書、または埋め立てなどの環境破壊の波が押し寄せている「琉球弧」への過去からの問いにもなっている。

1914年1月ー横山健堂『薩摩と琉球』中央書院

2018年2月27日~3月4日 那覇市民ギャラリー「緑の至宝フクギ写真展」


2月28日「粟国島の福木」写真をバックに照屋寛孝氏(福木ひろめる会会長)、右が新城栄徳(粟国島出身)

沖縄・烽火ネットワーク連絡会/島袋和幸 電話:03-3695-9276②
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大城盛和 (大和印刷 〒101-0032 東京都千代田区岩本町2-5-2 ☏3863-3236 FAX3863-3247

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中村文雄 (渡嘉敷村字前島・前島復興住民の会会長ー渡嘉敷村字前島76番地 携帯090-8290-6361)右は島袋和幸氏

沖縄・烽火ネットワーク連絡会では、沖縄祖国復帰40周年(2012年5月15日)を契機に与論島で烽火を上げるべく地元の各団体に呼びかけを行っている。今年中には具体化していく模様。
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1,3、4は与論遠見台/2は与論城遺跡脇の烽火上げ地。沖縄復帰運動時に辺戸と呼応して烽火を上げた場所

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