1923年1月1日ー『日本及日本人』852号□末吉麦門冬「月徘徊」
3月 島倉龍治ら内務省より沖縄神社創立許可を得る
3月 嘉数南星『赤光』地響詩社(ホノルル市)
春  本部朝基、関西大学、警察などで空手を指導 
5月 高嶺朝光、沖縄朝日新聞社に記者として入社
6月 眞境名安興、島倉龍治『沖縄一千年史』日本大学
1923年6月15日ー『日本及日本人』864号□末吉麦門冬「黒坊ー近松門左衛門作、天鼓にー」「助兵衛(1)」(南方熊楠と関連)
1923年7月1日ー『日本及日本人』865号□末吉麦門冬「色情狂の所為」「遠目鏡(1)」(南方熊楠と関連)

1923年7月15日ー『日本及日本人』866号□末吉麦門冬「遠目鏡」「支那人と豚」(南方熊楠と関連)

7月 折口信夫、第二回沖縄採訪(~8月28日)
□沖縄採訪記ー末吉安恭「ふうる」「豚の化けた話」「赤身と白身との話」「かわかまぢぃ?」「火玉」「幽霊」「城人」「馬交を見せた話ー馬をつるませて、女たちに見せた話は、尚灝王にもある。」(●安恭の話は1918年5月の熊楠宛書簡でもふれている。)「うすぢ」「ならびち・くくんざけ」「蚤の船」「三比等のとんち」「<人の犯す事ある動物>儒艮を犯すれふしが時々ある。濱などにしんでいるのをさうするのである。又えいを犯す者も漁夫には多い。豚を犯して、豚が孕んで生んだ子を、人に悟られぬ様に埋めて了うたといふ話も聞く。」

1923年8月1日ー『日本及日本人』867号□末吉麦門冬「助兵衛(2)」(南方熊楠と関連)


8月11日『沖縄タイムス』莫夢生「老榕の鬚ー俳諧に現はれたあらぬ戀」

9月1日 関東大震災
    下地玄信、高安重正、普久原朝喜ら来阪



10月1日『沖縄タイムス』莫夢生「安楽椅子ー」
10月 又吉康和、『沖縄教育』編集専任幹事
10月 山城善三、大阪市堀江小学校教員
10月 岩元禧、沖縄県知事(1933年、鹿児島市長)
10月27日 柳田国男、ジュネーブのエスペラントの会で沖縄の話をする



11月15日『沖縄タイムス』莫夢生「おもろに現はれた中頭の四人衆(10)」

12月27日 摂政裕仁、難波大助に狙撃される
12月31日 下國良之助、来沖




佐渡島/島倉龍治(1870年5月2日~1929年2月10日)
島倉伊平次、千代の二男として佐渡郡真野町新町で生まれる。小学校を卒業するとすぐ上京。あらゆる職業を転々としたのち働きながら東京法学院(中央大学の前身)に通う。1893年に卒業。94年、神奈川県人石渡かよと結婚。このころ島倉は東京向島言間付近に住んでいた。妻かよは東京女子職業学校を卒業していて毛糸の編み物、針仕事で生計を助けていた。島倉が勉学に必要な書物を上野図書館から借りだし人通りの少ない夜道を往復した。1900年、島倉は判検事試験に合格。司法官試補として若松、徳島などの裁判所勤務。05年、司法省嘱託となってアメリカの訴訟、執行、監獄の制度を視察するため渡米。

1908年、検事として宇都宮、東京控訴院、千葉、浜松勤務。1921年、那覇裁判所検事正。29年、大審院判事。
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写真ー左は真境名安興に協力して日本大学に出版させた『沖縄一千年史』/右は島倉龍治

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