03/09: 1974年7月 沖縄の雑誌『青い海』35号 川満信一「儀間比呂志の世界」
1974年7月 沖縄の雑誌『青い海』35号 川満信一「儀間比呂氏の世界」
1975年4月『沖縄読書新聞』創刊号 川満信一(詩人)岡本恵徳(琉球大学助教授)「対談・文学と思想としての戦後」
写真左から真久田正氏、中里友豪氏、川満信一氏、新川明氏/左から比嘉康文氏、川満信一氏、新城栄徳
岡本恵徳
岡本恵徳氏は私の顔を見るたび「もっと奄美資料を発掘してくれ」が口癖であった。私は伯父や伯母の連れ合いが奄美出身であったから特に奄美を意識したことがないが、琉球文化には当然に奄美も入っていると思っている。奄美の図書館は島尾敏雄氏に会ってみたいと2回行ったが何時も休館だった。島尾敏雄氏には会えなかったが、その代わりといっていいか分からないが山下欣一氏に出会った。
2006年8月6日『琉球新報』岡本恵徳氏が死去 近現代沖縄文学研究で功績 71歳
近現代沖縄文学研究の基礎を築いた琉球大学名誉教授で琉球新報児童文学賞選考委員の岡本恵徳(おかもと・けいとく)氏が5日午後7時25分、肺がんのため、那覇市立病院で死去した。71歳。平良市(現宮古島市)出身。自宅は那覇市首里大名町2ノ76。告別式の日程は未定。喪主は長女亜紀(あき)さん。
「琉大文学」の創刊メンバーの1人で、米軍政に対する抵抗の文学を目指した。「琉球弧の住民運動」「けーし風」など草の根の市民運動にも参加。1982年から琉球大学教授。「現代文学にみる沖縄の自画像」(96年)で伊波普猷賞受賞。琉球新報短編小説賞2次選考委員。
著書に「現代沖縄の文学と思想」(81年)、「沖縄文学の地平」(81年)、「『ヤポネシア論』の輪郭」(90年)、「沖縄文学の情景」(2000年)など。
1954年3月 九年母短歌会『九年母』第1号~1978年3月 通巻第88号で休刊
1954年3月 九年母短歌会『九年母』第1号~1978年3月 通巻第88号で休刊 『九年母』第1号 会員住所録 呉我春男ー真和志市安里2区1班/兼城弘ー与那城村照間区7班/名渡山兼一-北谷村謝苅劇場前/嘉陽安男ー那覇商業高校/知念良秀ー真和志市松尾区3班/阿波根昌輔ー那覇市2区14組
1954年11月『九年母』第1巻第8号は<西幸夫特集>巻頭の島袋全発の写真は大城立裕撮影。東恩納寛惇「全発君の事ども」、原田貞吉「早や一周忌か」、山田有功「濤韻氏のことども」、島幸太「兄幸夫の文学活動」、山里永吉「島袋全発さんを憶ふ」、前川守人「西先生とカシガーヅボン」、呉我春男「西先生のこと」、阿波根昌輔「西先生を憶う」、松田守夫「最後のおはがき」
『九年母』照屋寛善「琉球大学の方々へ」〇お贈り下されし琉大文学、有難く拝見。左に感想を述べます。琉大文学は羊頭狗肉の文学です。クサムニー集とでもした方が良いでしょう。七号一冊しか見ていませんが、恐らく初号より今日まで、創作に於いて、小説、戯曲、コント、エッセイ等は全巻の十分の一にも足らないでしょう。そして見るべきものは一つも無いでしょう。徒にクサムニーばかり繰り返している様だが他人批判より自己批判が先決です。評論必ずしも否定する理でありません。批評精神の無い沖縄では活発化さるべきでしょうが、琉大文学のあり方も反省して良いでしょう。
新川明の編集では然うなるのも当然です。彼は良い感覚と、文学への情熱をもっている男の様ですが、惜しむらくは文学をする態度が全然なっていません。疑は批判に通ずべきで、いきなり否定に直結するのは愚者のすることです。短歌否定は琉球芸能否定を意味し、東洋文化の抹殺に通じます。日本文学や琉球芸能の中から短歌を除いたら一体何が残ると言うのです。
照屋寛善
1920年1月沖縄県首里に生まれる。1942年九州医専(現久留米大学)卒業。内科の軍医になり南洋のナンボン島などに駐留。1946年復員、九州医専で勉強、後沖縄に帰る。宜野座の松田診療所勤務。沖縄には医師が少なく過労気味であったので1950年にそのことを訴えた。この反響は大きかった。既に始まっていた医学部留学制度は、50年には2回も募集があり、また、本土で勉強している沖縄出身の医師も帰還した人もいる[1]。真和志診療所勤務。1951年2月結核発病。コザ病院に入院。治癒。1956年琉球衛生研究所所長。同年11月宮古島でソテツ中毒が発生。報告する。1960年2月訪問中の日本医師会武見太郎会長に直訴し、日本の厚生省や医師会からの医療援助を取りつける[2]。1960年3月30日学位論文「琉球列島におけるハブ咬症の疫学的研究 」東京大学に受理。1961年琉球政府厚生局次長。1963年政府立那覇看護学校校長。1973年沖縄県公害衛生研究所医監。1978年琉球大学保健学部教授。1979年同学部長。1981年琉球大学医学部教授。1985年同退官。琉球大学名誉教授。1990年老人保健施設オリブ園施設長。2004年没。→ウィキペディア
写真左から平山良明氏、照屋寛善氏
沖縄の古典芸能研究[編集]『<民俗芸能資料>「くていぶし」について』まつり通信 88. 1968
『しゅんだう考――その解釈と鑑賞』 沖縄芸能歴研究 1, 1976
『琉球古典舞踊打組踊「しゅんだう」について』 沖縄タイムス 1977年11月29日
『琉歌と唱謡法―その間投詞を中心に』沖縄芸能史研究 6, 1982
『【特集】沖縄の芸能・批判と提言《提言》一藝能史研究者の発言』 新沖縄文学 第58号 1983
『十七八節について』青い海 136 October 1984.
『続・琉球古典舞踊、打組踊「しゅんどう」について』 掲載 窪徳忠先生沖縄調査二十年記念論文集 沖縄の宗教と民俗 1988
照屋寛善著『沖縄の古典芸能』 南島文化叢書 9 1989
『組踊所感』 小野重朗先生傘寿記念論文集 南西日本の歴史と民俗 1990
1953年7月 『琉大文学』創刊
2002年7月25日『琉大ジャーナル』第53号□撮影・新城栄徳/写真左から真久田正氏、中里友豪氏、川満信一氏、新川明氏