08/01: 2015年7月31日 「南風原文化センター」見学
南風原文化センター(沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武257番地 TEL:098-889-7399 FAX:098-889-0529 )は、南風原・沖縄に関する歴史資料や沖縄戦に関する展示,そして移民やむかしの暮らし等の展示を行っています。常設展示のほか企画展や講演会、音楽会、交流会なども行っています。
文化センター運営の基本
1.みんなで創り、みんなを結ぶ/2.学校や地域・他機関の要求や課題に応える/3.足元を深く掘り起こし、世界に広がる
文化センター活動の柱
1.資料の収集・記録保存・調査研究/2.資料・情報の公開と提供/3.歴史・文化の継承と創造/ 4.人と文化の交流
7月31日ー南風原文化センターで写真左から、新城栄徳、平良次子さん(南風原文化センター)、久部良和子さん(沖縄空手会館展示担当)、真喜志康徳氏(沖縄コレクター友の会)、与那城昭広氏(沖縄ブラジルネットアミーゴ会長)
1993年12月 『けーし風』創刊号 平良次子「ものを見る目ー真喜志康徳」
写真左から南風原文化センターの平良次子さん、大城和喜氏。真喜志康徳氏、神坂次郎①氏
①神坂 次郎(こうさか じろう)は、日本の小説家。本名、中西久夫。三田文学会員。社団法人日本ペンクラブ理事。
1927年3月2日、和歌山県和歌山市出身。1943年4月、陸軍航空学校に入校し、鹿児島県知覧特攻基地を経て、航空通信隊員として愛知県小牧飛行基地で任務時に終戦を迎える。終戦に際し、日本陸軍の暗号書等の重要書類を処分する役目を荷った。書類を燃やしながら涙が止めどなく流れたと後に回想している。
戦後、演劇関係の仕事に就き、長谷川伸と知り合い、時代小説を書き始める。1982年、『黒潮の岸辺』にて第2回日本文芸大賞受賞。1987年、『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』で第1回大衆文学研究賞(評伝部門)受賞。1992年の皇太子徳仁親王熊野行啓に際し、自著『熊野御幸』を2時間半に渡って進講。自らの特攻隊員としての体験や、地元和歌山の偉人を取り上げた作品を執筆し ている。→ウィキペディア
芸能/2003年4月28日~5月15日 南風原文化センター「貧しくも楽しい『うちなー芝居』の時代」
中央ー真喜志康忠優
2003年4月28日ー南風原文化センター「貧しくも楽しい『ウチナー芝居』の時代」
右が平良次子さん、新城栄徳
2003年4月30日『沖縄タイムス』□新城栄徳と真喜志康徳氏が写っている。
2016年8月5日 南風原文化センターでの新城良一氏
大城和喜『南方見聞録』新星出版
文化センター運営の基本
1.みんなで創り、みんなを結ぶ/2.学校や地域・他機関の要求や課題に応える/3.足元を深く掘り起こし、世界に広がる
文化センター活動の柱
1.資料の収集・記録保存・調査研究/2.資料・情報の公開と提供/3.歴史・文化の継承と創造/ 4.人と文化の交流
7月31日ー南風原文化センターで写真左から、新城栄徳、平良次子さん(南風原文化センター)、久部良和子さん(沖縄空手会館展示担当)、真喜志康徳氏(沖縄コレクター友の会)、与那城昭広氏(沖縄ブラジルネットアミーゴ会長)
1993年12月 『けーし風』創刊号 平良次子「ものを見る目ー真喜志康徳」
写真左から南風原文化センターの平良次子さん、大城和喜氏。真喜志康徳氏、神坂次郎①氏
①神坂 次郎(こうさか じろう)は、日本の小説家。本名、中西久夫。三田文学会員。社団法人日本ペンクラブ理事。
1927年3月2日、和歌山県和歌山市出身。1943年4月、陸軍航空学校に入校し、鹿児島県知覧特攻基地を経て、航空通信隊員として愛知県小牧飛行基地で任務時に終戦を迎える。終戦に際し、日本陸軍の暗号書等の重要書類を処分する役目を荷った。書類を燃やしながら涙が止めどなく流れたと後に回想している。
戦後、演劇関係の仕事に就き、長谷川伸と知り合い、時代小説を書き始める。1982年、『黒潮の岸辺』にて第2回日本文芸大賞受賞。1987年、『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』で第1回大衆文学研究賞(評伝部門)受賞。1992年の皇太子徳仁親王熊野行啓に際し、自著『熊野御幸』を2時間半に渡って進講。自らの特攻隊員としての体験や、地元和歌山の偉人を取り上げた作品を執筆し ている。→ウィキペディア
芸能/2003年4月28日~5月15日 南風原文化センター「貧しくも楽しい『うちなー芝居』の時代」
中央ー真喜志康忠優
2003年4月28日ー南風原文化センター「貧しくも楽しい『ウチナー芝居』の時代」
右が平良次子さん、新城栄徳
2003年4月30日『沖縄タイムス』□新城栄徳と真喜志康徳氏が写っている。
2016年8月5日 南風原文化センターでの新城良一氏
大城和喜『南方見聞録』新星出版