08/19: 1990年6月 『新沖縄文学』84号 新垣安子「フィリピンと日本のはざまに生きる人たち」
1990年6月 『新沖縄文学』84号 山城達雄・又吉盛清・新垣安子・我部政明(司会)「座談会・もうひとつの戦争体験―台湾・フィリピン・南陽群島ー」/新垣安子「フィリピンと日本のはざまに生きる人たち」
1991年11月27日~12月1日「マニラ日本人学校訪問ツアー」
2019年啄木忌・茶話会4月13日午前11時~那覇市西・真教寺 新垣安子さん
1937年12月 海外研究所(所長・大冝味朝徳)『海外人事録』①
大宜味朝徳・序ー我国の移植民事業は今後益々積極的に遂行しなければならぬ重要な国策の一つである。この海外発展の實を挙げるには、移民地の地誌文化民情等知悉することも必要であるが現に之等の植民地に邦人は如何なる人物がいるか、夫等の人々は如何にして今日の地位を築き上げたかを知ることは我国海外発展上極めて重要な問題である。まして之等の邦人と相提携して通商貿易其他の上に益々連絡の必要ある今日に於いてをやである。然るに移植民を国是とする我国に於いて海外人事に関し権威ある人事録の無かった事は吾人の久しく遺憾とした所であった。我海外研究所はこの点に着目しこの要求を充たす可く兼ねて海外人事録の発刊を企圖し、之が取材に努力して来たのである。ここに比律賓及南洋群島を纏めて公にしたのが本書である。本書は更に布哇、北米、南米、満洲等漸次調べ上げ之が完璧を期すつもりである。
本書はありふれた人事録と異なり、植民地に活躍する邦人を努めて各層に亘り之を網羅し其閲歴の如きも植民人としての苦心、奮闘した点に力を注いで紹介し以って後進の指導発奮の資に供することにした。万里の異郷に於いて孤軍奮闘して之等多くの植民人の来歴を見る時に涙なくして聞くことの出来ぬ悲痛の物語の主もあり、一面「日本人ここにあり」を如実に体現し国士的な風格に於いて尊敬すべき人物も多い。之等多くの難関を突破し今日の地位を築き上げ邦人の進路を開拓した植民の先覚者に対し吾々は心からの感謝を捧ぐるものである。この意味に於いて本書は我国移民事業の生きた歴史であり植民史上後世に伝ふ可き金字塔である。
南洋群島
左から上地安傳、仲本興正、國場長昌/備瀬知信、大濱賢介、西平守模①/安次富長光、仲里常一、比嘉賀春/儀間榮造、古堅宗全、野原朝碌
西平守模①大正6年、県立一中卒。大正15年、専修大学経済科卒。琉球新報記者、沖縄県庁農林課、昭和5年、南洋日々新聞編輯主幹。1945年、首里市労務課長、産業課長となり48年、琉球新聞社専務、50年、首里バス監査役、57年に沖縄飼料常務、61年に文化財専門委員。63年に沖縄外地引揚者協会長をつとめた。