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1940年8月25日『沖縄朝日新聞』


2015年12月 「『月刊文化沖縄』解説・総目次・索引」不二出版
目次 カラ―口絵 表紙総覧
『月刊 文化沖縄』原本と復刻版の対照表
Ⅰ 解題 1940年代前半の沖縄の雑誌『月刊 文化沖縄』について・・・・・・・粟国恭子
   解説 1940年代前半の沖縄の雑誌『月刊 文化沖縄』と『沖縄教育』・・近藤健一郎
   解説 映画・演劇から見る『月刊 文化沖縄』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・世良利和
   解説 画人・安太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新城栄徳
Ⅱ  総目次
   総目次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・作成・新城栄徳
Ⅲ  索引
不二出版株式会社 東京本社 郵便番号 :113-0023. 住所 :東京都文京区向丘1-2-12
電話番号 :03-3812-4433 .FAX :03-3812-4464

 私は1996年7月発行の『自治おきなわ』に「関西におけるウチナーンチュの歩み」を書き、その末尾に「最後にー私は大阪で創刊された雑誌『青い海』を全冊、合本し愛蔵していて、その中に載っている事項や人名に解説、注釈を加えてみたいと常に思っていた。『関西沖縄年表』はその過程の副産物でもある。最近またぞろ、自分は安全な所(戦争最高責任者の追及は棚に上げる)に身を置いてウチナーンチュの戰爭責任だの、加害者だのと騒ぎ立てる、クサレヤマトーのインテリ(インチキとハッタリ)文化人が目立ちはじめた。」と書いたが、亡くなられた牧港篤三さんなんかは沖縄戦に新聞人として加担したと自虐的に自分を責めておられた。山里永吉もその意味では戦争協力に加担していたことは否めない。友人の伊佐眞一氏などは伊波普猷や山之口貘の戦争責任も追及している。だが、こういったことはウチナーンチュ自身が追及し反省することで、やまとぅーはやまとぅーで自分の住んでいるところのハエでも追えば良い問題である。しかし現実のニホンはアメリカ属国である。ニホン国民は戦争の出来る核大好きアベ政治(それを支える日米利権官僚)、大阪ではアベ政治の別働隊・日の丸大好き維新を誕生させたので戦争の反省や戦争責任問題が出るような環境にはない。

戦時体制下の沖縄/1941年3月 『月刊文化沖縄』「口絵写真」





□新たなる闡明ー地方文化の振興急務が叫ばれる。新体制政治下の翼賛運動に重要な役割を帯ぶるからである。わが沖縄の文化を再検討し、強調・是正するに絶好の機会は到来したのである。殊に吾が沖縄は古来特種の文化國であり、他県の追随を許さぬものが多い。是を昴揚してわが地方性を振興、新國民文化の建設発展に、合流せしめねばならぬ。而して此の目的遂行のためには県民各自の職域奉公による協力を必要とする。

県民生活の水準を文化的に高めしめる。之れ特にわが県下に於いて緊急要項たる事は、識者の誰しもが痛感する所であらう。『月刊文化沖縄』微力たりと雖も、此の重大使命を擔って邁進せんを誓ひ、茲に態度を闡明して新たなる声明を送る。単なる文藝運動なりと誤解してはならぬ。県民の文化生活への啓蒙運動をも兼ねるは勿論、併せて新國民たる堅実思想の培養、指導の実を擧げんとするものである。


新崎寛直①作家の浅川純は子息。父母をモデルにした小説『憧れし日本へ逃れて』(1999年4月/実業之日本社)がある。

前澤末弥
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前澤末弥自画像

1936年11月ー前澤末弥、海南歯科内で「スタンプエハガキ」


1937年7月 発行・沖縄文化事業社


1938年4月ー前澤末弥、山形屋ウラで沖縄文化事業社 スタンプの店


1938年8月ー前澤末弥、改め末麿。沖縄文化事業社の東京進出

1938年12月 山城正忠『歌集 紙銭を焼く』冬柏発行所/印刷者・前澤末麿
○上山草人ー跋 私は山城さんが、沖縄文壇の巨匠であられる事を早くから聞いて居りましたが二人の友情をかうしたところに迄進めた機縁に前澤末彌君が存在します。前澤君は現在沖縄の首都那覇で沖縄文化の為めに、日夜奮闘をつづけて居る方です。沖縄の奥さんを貰はれすっかり沖縄の人になって居られますが、以前は私共と組んで、黎明期の東都劇壇に演劇革新の大旆を翳し、華華しい新劇運動を闘い抜いた闘士の一人でした。元より歳は私よりずっと若く、私共が新劇から映画へ志を転向して亜米利加へ渡ってから後でも、引き続き同志を糾合して一路新劇開拓のために尽力して居られた模様でした。
 此前澤君が山城さんと親交があって、2、3年前丁度山城さんが上京された折、浅草の騎西屋で佐藤惣之助氏御夫妻をはじめ、十数名の方々がお集まりになって、其の歓迎会を開いた事がありましたが、此時私は出席して御紹介を受けまして御懇意となり、前澤君を通じて当時おもうけになったばかりの、御子さんの御名前を求められたのであります。

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山城正忠の歌集『紙銭を焼く』

1939年5月 山城正忠『歌集 紙銭を焼く』(戦時体制版)冬柏発行所/印刷者・前澤末麿

1940年11月ー『月刊文化沖縄』の東京支社主任に前澤末弥




『月刊文化沖縄』
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