この「龍柱」は那覇市と中国福州市が、昭和56年(1981年)の友好都市締結から平成23年(2011年)で30周年を迎え、今後の両市の友好・交流を記念して建設されたものであるので、正式には「那覇・福州友好都市交流シンボル像」と云う味も素っ気もない名称だ。だから私は下記のようなことも踏まえて若狭「龍柱」を若狭「龍神」とした。
 
2014/首里城写真
最近、首里城にちなむ映像写真が話題となっている。4月21日の新報、タイムスの「焼失前の首里城カラー映像」や、5月4日の新報、タイムスの東京在住の写真収集家の「明治の沖縄29枚」である。来る5月20日~6月22日、沖縄県立博物館・美術館で「麗しき琉球の記憶ー鎌倉芳太郎が発見した美」が始まる。首里城関係写真も多い。

首里城北殿の階段
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今の所、写真で古いと思われるものは伊藤勝一コレクションの「首里城」である。龍柱が本来の高さで正面向きだ。


今回東京で見つかった明治の沖縄写真は、沖縄写真史の基礎資料とも云うべき『青い目が見た「大琉球」』(1987年8月ニライ社)を見ると1893年3月に来沖したバジル・ホール・チェンバレンの「琉球紀行」で使われた写真にあるから、殆どがチェンバレンが関わっていると思われる。

バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850年10月18日 - 1935年2月15日)は、イギリスの日本研究家。東京帝国大学文学部名誉教師。アーネスト・サトウやウィリアム・ジョージ・アストン(William George Aston)とともに、19世紀後半~20世紀初頭の最も有名な日本研究家の一人。彼は俳句を英訳した最初の人物の一人であり、日本についての事典"Things Japanese"や『口語日本語ハンドブック』などといった著作、『古事記』などの英訳、アイヌ[1]や琉球[2]の研究で知られる。→ウィキペディア


1997年11月 川平朝申『終戦後の沖縄文化行政史』月刊沖縄社
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□現在の大龍柱は沖縄神社拝殿の名残を留めて向き合っている。本来は正面向きである。みーぬしんは下方に付いていて、うなーを見下ろすようになっている。真ん中の写真は現在は沖縄県立博物館・美術館にある龍柱で、暑がりの息子が立っている。


2015年12月6日

 8日の産経ニュースは「姿を現した2体の龍柱 那覇で設置工事完了 「翁長市政」で推進 中国向け?事業に批判も」と、右派らしく判で押したように報じていた。
若狭
□1979年6月ー邦光史郎・日竎貞夫『丹後若狭路』(カラーブック467)保育社□邦光史郎「若狭・丹後の旅ー敦賀湾の美しさを手放しで礼讃できないのは、この半島に建設された原子力発電所があるからで、福井県は世界でも例を見ない、原子力発電所のメッカで、ずらりと各種タイプの原子炉や、高速増殖炉が並んでいて、不気味である。原子力発電の安全性は保証つきだと政府や電力会社が囃し立て、一基について十億円を超える金が地元に落ちるというので、市町村は原子力発電所の誘致に熱心だが、もし万一事故が起こったら、死の灰に汚染されないとも限らないのである。(略)美しい北陸の海岸は、原子炉の墓標の立ち並ぶ死の海と化しかねない。目先の欲に釣られて、郷土の美を売るようなことはしたくないものである。」



2015年11月22日ー若狭に完成間近の龍柱
 那覇市の若狭緑地で市が建設を進めている「龍柱」事業は本体の石材設置作業が22日までに完了し、2体のうちの1体は、覆っていたブルーシートの上半分が外された。前足を掲げた龍の顔面などを見ることができる。1体は海に向かって右側の柱。 現在、周辺整備などの外構工事を進めており、12月25日までに終了する予定。中国福州市との友好都市締結30周年を記念し、計画された。 同事業は当初、一括交付金2億6700万円を使って進めていたが、工事が遅れるなどして活用を断念。市の単独予算を持ち出し工事を再開していた。6月に会計検査院の実施検査を受けたが、「不適切」などの指摘はなかった。→11月23日沖縄タイムス

日本共産党の志位和夫委員長は3日、国会内で記者会見し、
 戦後の米軍による土地の強奪、「銃剣とブルドーザー」を用いた無法な基地拡張が沖縄の基地問題の原点であり、「海上の銃剣とブルドーザー」による辺野古新基地を許すのか、この間の一連の選挙で示された新基地建設は許さないという民意を無視することが許されるのかと、知事が問題提起したことの重要性を強調しました。
(略)知事の問題提起に対し、国側代理人が「政治的議論をする場ではない」と言い放ったことについて、志位氏は「沖縄の基地問題について聞く耳を持たない、議論もしないという態度は許し難い。まさにごう慢、強権を象徴するような発言です。いまの安倍政権の姿勢が表れている」と批判。

 上記の志位和夫委員長の発言の通りアベ政治はアメリカ黒人大統領オバマ軍の協力も得て下記の通り「まさにごう慢、強権を象徴」粛々と沖縄県民の怒りをかっている。次の選挙で自公は壊滅させねば沖縄の未来は無い。



 最近はアベ政治の崇拝者たちが『はだしのゲン』にイチャモンをつけている。この漫画は中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画。同漫画を原作として実写映画やアニメ映画・テレビドラマも製作されている。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。いまごろ、戦争を知らない世代がことさらにこの漫画を攻撃しているのはやはり核大好きアベ政治が影響しているのか。アベ政治は粛々とオキナワにあと百年も残る新基地をつくろうとしている。

1988年7月『似島ー廣島とヒロシマを考える』広島市教職員組合
1990年7月『似島ー廣島とヒロシマを考える』広島市教職員組合

処置をされた人は原爆投下後20日間で、約1万人とも言われています。
しかし、懸命の治療のかいもなく、ほとんどの方がこの地(似島)で亡くなられ、葬られました。
戦後、発掘調査により多くの遺骨が収集されました。ここでは、原爆と似島のかかわりについて紹介していきます。
閲覧の際、被爆された負傷者の方々、原爆死没者の方々の写真が掲載されています。広島(似島)で実際にあったことですが、
お子様がご覧になる際は、ご配慮をお願いいたします。そして、戦争の恐ろしさ、平和の尊さを是非話してあげてください.→ 広島市似島臨海少年自然の家