1926年11月『民族』末吉安恭「沖縄の猿の話」


末吉安久・筆写(1926年『民族』末吉安恭「沖縄の猿の話」)

○猿は現在はもう沖縄には居らぬが、以前は居たものと考えられて居る。或は島人の先住地に居たことを意味するのかも知れぬが、兎に角に口碑としては残って居るのである。
 沖縄人の口碑では、猿は人間から化生したものとなって居る。或処に金持ちの藍染屋の腹のよくないのと、貧乏な老人夫婦の心の正しいのとが、鄰(となり)合って住んで居た。歳の暮に貧乏人の方は食う物が無く、空腹を抱えて居ると、神様が現れて、先ず湯を沸かして淋浴をせよと命ぜられ、其の湯の中に薬をふり入れて下さって、それで湯を使うと忽ち身も若返った。次には鍋釜を洗えと命ぜられ、それにも薬をかけて下さると、うまい食物が自然に煮えて出て来た。二人がそれを食って年を取ったのを、腹黒の藍染屋も羨ましく思い、まだ遠くへは行くまいと神様に追い付いて御願いをした。若返るつもりで淋浴をすれば忽ち猿になって、きやっきやっと鳴いて山へ行ってしまった。其跡の家へは以前の老人夫婦が入って住み裕福に暮らすことになったが、元主人の猿が毎日やって来て邪魔をする。それを神に御願いすると、黒い石を焼いて戸口に置けと教えられる。猿はやって来て焼け石とは知らずに腰をかけ、尻に焼けどをしてきやっきやっと叫んで遁げ去った。猿の尻の今も赤いのは、焼け石がくっついて離れない故である。
 次には猿の滅亡伝説である。慶良間(ケラマ)島は今でも鹿の産地だが、以前は猿も此の島に住んで居た。猿は横着物で鹿の背に乗って乗りまわすので、始めは我慢もしたが後には鹿もたまらなくなり、猿を載せたまま海に入っては、水を潜って猿を溺らせてしまった。鹿は水泳ぎが達者だが、猿には水心が無いので、遂には慶良間にも猿が一疋も居なくなってしまった。




1978年 初詣阪急沿線 初詣  門戸厄神