1905年ー北大路魯山人、版下書きを志し、岡本可亭(伊勢の人。籐堂藩に仕えた儒者岡本安五郎の二男)に師事。福田可逸を名乗る。息子の岡本一平を知る。可亭のもとからの出向で帝国生命保険会社の文書掛となる。
1910年-岡本一平、かの子(21歳)、和田英作の媒酌にて結婚。8月31日入籍
1912年-岡本一平、朝日新聞社員となる。

1917年-岡本一平、かの子と植村正久を訪ねる。かの子、のちに親鸞『歎異鈔』に傾倒する。
1927年-岡本かの子、仏教研究家として世に知られる。

1938年
4月28日『琉球新報』「世界の藤田画伯来県」/『沖縄日報』「きのう雨の港大賑わい、ようこそ!藤田さんー久米町で借家住まい」
5月1日『琉球新報』「藤田画伯に物を訊く座談会」連載
5月10日『琉球新報』「二高女で藤田画伯講演『為にならぬ面白い話』」
5月15日『琉球新報』「南陽薬品で藤田嗣治画伯作品観賞会」
5月19日『琉球新報』「藤田画伯きょう帰京」
5月20日『琉球新報』藤田嗣治「沖縄へ送る讃美」
5月25日『琉球新報』我部政達「藤田先生と其の絵」連載
6月20日『帝国大学新聞』藤田嗣治「首里の尚順男」

1941年-11月6日ー銀座三越で「岡本太郎滞欧作品展」ーパンフレットに藤田嗣治の「岡本太郎君」

1945年-岡本太郎『沖縄文化論ー忘れられた日本』□私が沖縄に強くひかれた、そもそものはじまりは、そういうクラシックを見てからだった。終戦後間もない頃、偶然の機会に、」その時分はまだひどく珍しかった沖縄料亭に案内された。そこで見た踊りに、すっかりイカレてしまったのだ。空間的で、自由で、優美、それは異様なリズムだった。しかしはじめてふれる私の心にも無条件に喰い入ってくる。(略)「沖縄」は私にとって踊りの代名詞のようなものであった。

1956年10月ー岡本太郎『日本の伝説』光文社
1958年2月22日『琉球新報』「パリの藤田嗣治画伯」
1959年11月17日『沖縄タイムス』「岡本太郎画伯、二科会沖縄支部の招きで来島ー沖縄はあこがれの島」(写真・大城皓也氏の出迎えをうけた岡本太郎氏)

1960年1月1日『琉球新報』「沖縄を料理するー毒舌ことはじめ大宅壮一・岡本太郎」/1月12日『琉球新報』岡本太郎「沖縄の再発見」@

1961年1月1日『沖縄タイムス』岡本太郎「絵と文・忘れられた日本」

1966年12月25日『琉球新報』「岡本太郎画伯が来沖ーイザイホーの研究で」/12月29日『琉球新報』「関係者の見たイザイホー 岡本太郎」

1967年ー福田清人/平野睦子『岡本かの子ー人と作品』清水書院/3月ー岡本太郎『今日をひらく 太陽との対話』講談社□日本発見ー神々の島 久高島

1968年2月ー岡本太郎『原色の呪文』文藝春秋□「何もないこと」の眩暈-沖縄文化論

1971年3月29日『琉球新報』「沖縄文化への提言ー岡本太郎氏を囲み座談会」(池宮城秀意、山里永吉)/3月30日『沖縄文化を語るー岡本太郎・豊平良顕』/10月28日『琉球新報』「沖縄で初めての潮講演会ー開高健、岡本太郎」(潮出版社・琉球新報社共催)

1980年7月24日ー那覇市山形屋で「岡本太郎の世界展」(沖縄タイムス社主催・琉球放送後援)/7月24日『沖縄タイムス』「目みはる作品ズラリー『岡本太郎の世界展』開幕」/7月25日『沖縄タイムス』「岡本太郎氏が来沖ー展示会通し沖縄を触発」/7月27日『沖縄タイムス』「沖縄タイムスホールで岡本太郎氏が講演ー藝術は全身で感じるもの」

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2001年4月ー岡本太郎『疾走する自画像』みすず書房

2006年
2月10日『沖縄タイムス』「藤田画伯の『孫』、沖縄県が約4千万で購入」

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2007年10月ー山田和『知られざる魯山人』文藝春秋/2008年5月ー林洋子『藤田嗣治 作品をひらく』名古屋大学出版会

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2007年ー『沖縄文化の軌跡1872-2007』沖縄県立博物館・美術館□新城栄徳「麦門冬の果たした役割」/『沖縄・プリズム1872-2008』東京国立近代美術館

2011年1月1日『沖縄タイムス』「藝術は爆発だー岡本太郎生誕100年」/1月1日『日本経済新聞』「岡本太郎生誕100年」

null写真ー戦前の大城皓也作品

null写真上ー平野政吉美術館館長と新城栄徳/大城皓也の子息・青次氏と新城栄徳

□藤田嗣治
1943年2月『新美術』「大東亜戦争記録画譜」
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藤田嗣治「12月8日の真珠湾」

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藤田嗣治「シンガポール最後の日(ブキテマ高地)」

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伊原宇三郎「マンダレー入城とビルマ人の協力」□伊原は柳田国男、折口信夫の肖像画を描いたことで知られる。1949年3月10日、藤田が羽田発パンアメリカン機で渡米のとき宮本三郎、土門拳(1942年から藤田を撮る)らと見送った。

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□岡本太郎
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岡本太郎ー原爆がサクレツしたという事実と、平和の問題は言うまでもなく別個の秩序である。平和運動はあの激しい現実をみつめたところから始まる。それは戦争よりももっと積極的に、強烈に闘いとるものなのだ。この町も、ここに集る人も、平和・平和とお題目に泳いでしまっているのではないか。あのあまりにも美しく、あまりにも不吉な現代の象徴に、惰性のムードやごまかしではなく、猛烈な自覚と情熱で、純粋に対決しなければならない。(1963年8月『私の現代美術』「瞬間」)

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1968年6月『藝術新潮』「岡本太郎・万国博のヴィジョン」

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1970年3月「日本万国博覧会公式ガイドマップ」/太陽の塔内部の命の樹

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1979年5月『世界の博物館22 国立民族学博物館』講談社□岡本太郎「人間文化を見すえようーミューゼ・ド・ロンムと国立民族学博物館」