1934年8月ー大阪商船「沖縄航路案内」(大野麦風「守礼門」)



大野麦風 おおの ばくふう
洋画家。東京生。名は要蔵。白馬会・太平洋画会に学ぶ。兵庫県に住した。昭和51年(1976)歿、87才。 (美術人名辞典)

村松乙彦 むらまつ-おとひこ
1912-1983 昭和時代の日本画家。
大正元年9月26日生まれ。児玉希望に師事。昭和16年新文展で「珊瑚礁(さんごしょう)の渚」が初入選。戦後は日展に出品,24年「浮嶋の朝」,26年「快晴」がともに特選となる。昭和58年10月13日死去。71歳。愛知県出身。日本美術学校卒。(→コトバンク)


画家・北野以悦
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北野以悦 昭和5年 「琉歌」 帝国美術院第11回美術展覧会出品(①耕三寺博物館に現存)
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北野 恒富  明治13/5/28-昭和22/5/20  1880-1947  石川県出身
 師 稲野年恒
 日本画家、北野以悦は子息。明治34年大阪新報社に入社、新聞小説の挿絵を担当。
 43年文展で「すだく虫」が初入選、翌年も「日照雨」で三等賞を受賞。
 画壇の悪魔派と呼ばれ、退廃的画風の美人画家として注目を浴びる。
 大正3年からは院展に出品・入選をかさね、6年日本美術院同人。
 また大正美術会、大阪美術会を結成して地元大阪画壇の振興にも尽力し、画塾白耀社では
 木谷千種、島成園など個性的な後進を育成。後年親交を結んだ谷崎潤一郎の小説挿絵でも
 知られる。大阪を拠点に、浪速情緒にあふれた艶麗な美人画を描いた。
 代表作に「願ひの糸」「星」「阿波踊」など。本名は富太郎。別号に夜雨庵。→西村美術人名辞典