2016年7月30日 写真左が新城良一氏、山田勉氏


2016年7月30日 左から玉城よし子さん、呉屋周子さん、新城良一氏、輝広志氏


2016年7月24日 末吉家にて左が末吉安允氏、新城良一氏

2016年9月2日『琉球新報』新城良一「ティータイム/200年前の英語学者」


1915年4月9日『琉球新報』麦門冬「眞栄平房昭ー百年前の語学者」

1924年5月『沖縄教育』末吉麦門冬「百年前の英語通ー眞栄平房昭」

□西暦一千八百十六年、即ち今を去ること百八年前、英國の船長ベーシルホール(言語学者チャンバーレン氏の祖父)が率いる探見隊を乗せた二隻の英鑑が朝鮮から琉球へと回航した。キャンプテン、ベージルホールの塔乗した船はメーフラワー號と云ふのであった。此メ―フラワー號乗組員が探見した朝鮮琉球に関した記録が「朝鮮の西海岸及び大琉球探見記」と云ふ浩澣な本となって、英國で出版された。其の原本は沖縄図書館にも一部蔵されている。その琉球の部分だけは先年伊波月城氏に依って飜訳せられ沖縄毎日新聞に連載されたから、記憶された方もあろうかと思ふ。この本は極めて面白く琉球の風土文物が記述描写せられてあるので、言語学者のチャンバーレン氏も、幼い時から、殊に祖父さんがこしらへた本として飜閲愛翫したそうである。チャンバーレン氏が後年日本に渡り文科大学に教鞭を執るようになり、更にわが琉球に来り、言語風俗を調査し、其の有名な琉球語の文法書等を著すようになったのも、動機を溯ればこの本が与えた刺激からであったといふ。

扨て私が茲に紹介せんとする眞榮平房昭とは何人かと云ふに、ベージルホール、チャンバーレン氏の探見記に活躍している一人物メーデーラーのことである。メーフラワー號の乗組員中にヘンリー、ホップナーと云ふ青年学者がいた。この人が調べた琉球語の研究が探見記の巻末に載っているが、ホップナーはメーデーラー即ち眞榮平房昭の助力によりて、あれだけの語彙を蒐集したのである。其の時メーデーラーも又帳面と矢立とを携えて、頻りにホップナーに就いて英語を教わり、双方交換教授をしたといふことである。(以下略)


 1928年ー市河三喜編輯『岡倉先生記念論文集』に豊田實が「沖縄英学史稿」を寄せている。豊田は沖縄県の依頼で1928年3月22日から28日まで英語講習のため那覇に滞在した。そこで沖縄県立沖縄図書館長の真境名安興などの協力を得て沖縄英学史を調べたのが前出の沖縄英学史稿として結実した。中に末吉麦門冬の「百年前の英語通」も引用し真栄平房昭の家譜を書いている。(2011年11月)


2016年7月24日 屋部家にて右が屋部憲次郎氏(夢華書道・琉訳聖書教室主宰)、新城良一氏

○1996年5月11日 リウボウ「おきなわ聖書展」ミニ講演会/屋部憲次郎
ベッテルハイム「琉訳聖書」と琉球語ー沖縄の伝統文化の一つである組踊の中に、キリスト教あるいは聖書と何らかの意味でひじょうに関係のある作品が一編ありまして、ここでご紹介したいと思います。『大川敵討』(忠孝婦人またはムラバルーとも称する)と題する組踊(戯曲)でありますが、これから興味深い台詞を二つ引用します。まず満納という悪役の台詞「はあ、面付もかはて悪魔やな女、夫喰ゆる悪生切支丹。鬼見ちやる人の此の世界にをゆめ。是ど鬼やゆる。・・・」(読み方「ハー、ツィラツィチンカワティ アクマ ヤナイナグ、ウトゥクヮユル アクショー キリシタ。ウニンーチャルフィトゥヌ クヌシケーニ ウユミ。クリドゥウニヤユル」)でして、キリシタン、悪魔、鬼などの語に注目されます。この組踊は1838年、尚育王冊封の重陽の宴で演じられましたが、当時の異国船がひんぱんに渡来したいわば不安な世相をよく反映しているといえましょう。ベッテルハイムが来沖したのは実にその十年後でした。・・・




7月22日ー國吉貴奈さん、新城良一氏、中島アリサさん


7月22日ー崎原恭子さん、大湾ゆかりさん、新城良一氏

琉球が載っている古地図(上は複製)

林子平「三国通覧図説」付図「琉球三省并三十六島之図」

『バジル・ホール琉球航海記』最も大きいのが初版(1818年)で、小さいのが3版(1826年)
2005年5月 新城良一・編『ビジュアル版 日本・琉球の文明開化ー異国船来航の系譜』天久海洋文学散歩会



7月22日ー江戸幕末の洋書で手が汚れた