○任期満了に伴い伊良皆賢哲教育長退任し、新教育長に末吉良治氏(元 琉大付属中学校副校長、与那原中学校長)。


伊良皆賢哲・教育長、右が新城岳祐・吟士正師範(2014年9月28日-JA真和志農協ホール「粟国郷友会/第45回敬老会」)
    
トゥージ(石の水槽)

沖縄県立博物館・美術館入口のトゥージ(粟国島)
沖縄県立博物館・美術館のトゥージ




粟国のトゥージ

ガジャン
江戸期の俳人で月並み俳諧の本家とも言われた高桑闌更の手紙の中に「琉球は分けてあたたかなる國にして、冬、蚊の聲を聞くといへば」とあるように、沖縄のガジャン(蚊)はヤマトまで鳴り響いていた。古波蔵保好『沖縄物語』に「蚊帳のよさが『うちなあ』では、シアワセな夜をもたらすことになっていた」と記し、続けて「ガジャンは蚊帳で防ぐことができても、蚤には手をやいたのである」とし、そして狂歌「蚤虱殺(くる)ち、がじゃん羽摘(ち)みてぃ、浮世穏(なだ)やしく渡いぶしゃぬ」「がじゃん羽ちみて、蚤の足(ふぃさ)くんち、浮世楽々とぅ暮らしぶしゃぬ」の歌を紹介した。和歌山の作家・神坂次郎は「俺は夏草 麦門冬ー末吉安恭の人生」で後の狂歌を引用している。

私が幼年期を過ごした粟国島では殆どが天水で、水タンクやトゥージ(石の水槽)があってそこにはボウフラがいつも居た。衛生的には問題があるようだが別に気にしたことはない。蚊帳と蚊取り線香はどの家にもあった。戦前、琉球絵師の金城安太郎さんの住んでいたところは蚊阪(ガジャンビラ)という。東恩納寛惇『南島風土記』を見ると、蚊とは関係なさそうである。考えてみれば沖縄はどこでも蚊は多い。

加藤新一『アメリカ移民百年史』にフロリダ開拓余話と題して「蚊群の襲来すさまじく、ひとたびメキシコ湾から西風が吹きはじめると一面もうもうとして天日が曇るほど。牛は大口あけて走り、蚊が口にいっぱい入って窒息するのだという」と記されている。イナガキタルホの一行詩「竹林ー七賢が酒と琴をもって竹林へはいったが、大へんな蚊のためにすぐ追い出されてしまった」。


 人間がいなくなると、その不在によって直接の恩恵を被るものの一つが蚊だ。人間中心の世界観では、人間の血は蚊の生存に不可欠だと考えたくなるが、実際には蚊は融通のきく美食家で、ほとんどの温血の哺乳類、冷血の爬虫類、そして鳥からさえ血が吸える。私たちがいなくなれば、おそらく自然界の野生動物は大挙してその空白を埋めようとし、人間が放置した場所に棲みつくだろう。(略)人間がいなくなれば、以前なら幼虫のうちに死んでいた何十億匹ものうるさい羽虫たちが生き延び、蚊の卵と幼虫を食物連鎖の大きな環とする多くの淡水魚も二次的に恩恵を被る。そのほかに恩恵を受けるには、花だ。血を吸わないとき、蚊は花の蜜を吸う。花蜜はすべての雄の蚊の主食だが、血が大好きな雌の蚊も吸う。そのため、蚊は受粉媒介者となり、私たちのいない世界ではより多くの花が咲き乱れることだろう。→2009年7月 アラン・ワイズマン/鬼澤忍・訳『人類が消えた世界』早川書房




2016-6-11 沖縄県立博物館・美術館