10/26: 人種の混合/2016年10月26日 国際通り「世界のウチナーンチュ大会前夜祭パレード」
2015年12月8日~13日 沖縄県立博物館・美術館 県民ギャラリー「城間いさみ写真展ー世界のウチナーンチュの祈り」
写真ー城間いさみ氏
写真左が城間いさみ氏、新城栄徳
2012年5月10日/琉球ロマン「琉球国旗」
最近、沖縄県立図書館で照屋正賢氏に出会った。氏は20年前から、「琉球王国ではダメだ、琉球国でなけでば」と強調していた。後田多敦さんのHP「海邦小国」でも同様な主張であった。では琉球国の旗はどうなるのかということになる。
那覇市の喜納クン、『オキナワグラフ』5月号を見て「琉球に国旗があったか」とムキになっていた。ということで、グラフを見ると「旗」と題し琉球王国旗、琉球藩旗、沖縄旗、琉球船舶旗として図が載っていた。琉球藩旗については40年前の記憶が蘇った。沖青友の会機関誌『石の声』№8に嘉陽宗博が屋良朝陳『巴旗乃曙』を参照し「琉球のシンボル 旗」を書いている。
那覇市歴史博物館所蔵「巴旗」/左ー新城栄徳
1946年3月 屋良朝陳『巴旗乃旗』文化琉球人会(奈良市)/1971年9月 『石の声』№8
□ちなみに巴紋。平成5年発行の『日本家紋総鑑』を見ると、右三つ巴、左三つ巴、三つ盛り右巴、竪三つ並び右巴、陰渦巻き巴、巴が8個もある八曜巴など様々だ。
□『沖縄語新聞』の沖縄語普及協議会のバッジ「ふぃるみらなしまくとぅば」も赤、青・黄の巴だ。
○沖縄県史料編集室に行く途中のバスで金城功さんと出会った。史料編集室で小野まさ子さん、野村直美さんを煩わして琉球国旗について調べてもらったが、アカデミックな研究者の世界では「無い」ということであった。『オキナワグラフ』は学術雑誌ではないから娯楽としては良い。後日、喜納クンに会うと「娯楽雑誌や果ては小説までも、史実と誤認する人もいるから問題だ。また、テンペストを見て、ナゼ琉球史研究者は孫寧温という偉大な人物を研究しないのかと言う人もいる」とさらにムキになった。
琉球ロマン「琉球の旗ー巴旗」
1946年3月発行の屋良朝陳『琉球秘史劇・巴旗乃曙』に「那覇港内には山原船の帆柱、なほ唐船の二三艘が浮かんでいる。大小の琉球船にはすべて帆船といはず、てんま船と言はず、巴旗が掲げられて、翻々と風になびいている。遠く近く船歌などの流れて来る。海運國の活気を呈しながら、また何といふ太平の姿であらう。港町にあり勝な喧嘩沙汰などもここでは見られないし、生活難など薬にしたくもないので、廃頽的なものはこの港にかぎってないことが保証される。生活即芸術といふ人類の理想生活は実に琉球王國によって始めて実現しているやうで、よくその情景を呈している。」と始まり巻末には「琉球國旗ー巴旗」が載っている。これを実際の旗にしたのが、那覇市歴史博物館に2旗所蔵されているが、学芸員の話では誰がいつ寄贈したのかも、何に使用されたのかも不明という。
山田真山の描く「古琉球之旗」
写真ー「琉球の旗ー巴旗」右端が新城栄徳(5月18日、那覇市歴史博物館入口にて)