〇秋道 智彌(あきみち ともや、1946年 - )は、日本の人類学者。総合地球環境学研究所名誉教授、国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。専攻は生態人類学、海洋民族学、民族生物学(英語版)。→ウィキ


2016年12月22日『琉球新報』「あしゃぎー大城和喜さん『伊佐や武士』とたたえる」

2016年12月17日 南風原文化センター「伊佐眞一『沖縄と日本の間で 伊波普猷・帝大卒論への道』タンカー祝えー」

右が南風原文化センター/南風原町立図書館
  
2016年3月 伊佐眞一『沖縄と日本の間で 伊波普猷・帝大卒論への道』上/2016年6月 伊佐眞一『沖縄と日本の間で 伊波普猷・帝大卒論への道』中/琉球新報社 2016年9月 伊佐眞一『沖縄と日本の間で 伊波普猷・帝大卒論への道』下 琉球新報社

上原誠勇氏(画廊沖縄)「かりー ちきやびら」〇ふぇーばるぬ 神里んちゅ 上原誠勇さん。そー うちなーんちゅぬ うちなーぐち し、うちなーんちゅや なまから ちゃーさんねー ならんでぃち いい話 そーいびーん。


山里勝己氏(名桜大学)「したいひゃー ゆーちばたん」〇山里さんのー やんばるぬ むぅとぅぶんちゅ。大学ぬ 学長やしが、からじん まっ黒ぅーるし 若さいびーんやー。


写真左からー新城栄徳、赤嶺政信氏(琉球大学)、高良勉氏(詩人)、新川明氏(ジャーナリスト)〇粟国ぬ 新城、ふぇーばる ちゃん(喜屋武)ぬ 赤嶺さん、たまぐすくぬ 勉さん、にしばるぬ 新川さん。んな じゅんに うちなーじら やいびーんやー たい。

2017年1月 『月刊琉球』12・1月合併号 高良勉「琉球差別と植民地主義」

粟国恭子さん、與那嶺義雄氏(西原町議会議員)〇みゃーくぬ粟国さんとぅ、にしばる 幸知ぬ 與那嶺さん。ぬーぬ 話どぅ さが わからんしが、笑らてぃ いりきさる ふーじ。

2017年1月 『月刊琉球』12・1月合併号 与那嶺義雄「琉球の自己決定権ー歴史認識とアイデンティティの観点から」

〇新報開発ぬ 社長 上間さん、記 者ぬ 米倉さんとぅ 伊佐さん。


写真右からー高良憲義氏、西村貞雄氏〇ひじゃいや よしかずさん。まんなかや 西村さん。首里城 むんだすいぬ 龍柱や めぇー 向からんねー ないびらんでぃち、じこー ちゅーじゅーく うぬ はなし さびとーたしが、ひゃくなー 直ぉーさんねー ふーじんねーんやー たい。たーが なまぬぐとぅ さるばーが?


〇右んかい うしぇー 石田さん。うんちょー ハワイ大学から うちなーんかい ち、なま 玉城ぬ 屋嘉部 うてぃ やーにんじゅ みっちゃい 暮らちょーいびーん。ひじゃいや 伊佐さんぬ とぅじぬ しーじゃぬ 池原さん みーとぅんだ。


〇司会そーたる うふぐしくぬ 和喜さん とぅじ 友子さん、うふぐしくぬ おさむさん、画廊沖縄ぬ うぃーばるさん、画家ぬ あらかち 安雄さん、公文書館ぬ 豊見山和美さん。うんちゅたーや んかしからぬ どぅしんちゃー。


山城みどりさん(左)、平良次子さん〇やまぐすく みどりさん、ふぇーばる 文化センターぬ 平良次子さん。豆腐、くぅーぶ、三枚肉、にぎり、ちゅふぁーら かでぃ、うっさそーん!?




平良次子2月16日〔私が南風原で働くきっかけを作ってくださった、赤嶺政信先生、赤嶺守先生の、最終講義です。〕



1971年1月 新垣恒篤『新編風土記ー首里城(周辺)』花城清用〇多和田真淳「序文」/稲福盛武「祝 発刊について」
〇虎頭山ー西森から東に続く連峰を、虎頭山と呼称している。虎頭と云う名称は、古老の話に依れば、石虎山(東部)に有る大岩は虎の頭に似ているから、其の名が生まれたと云う事で、又虎峰とも呼称している。其の虎峰山の北方には石虎山天慶院が有ったらしい。古図には為仙とあるから隠居寺であったと思うのであります。私等(恒篤)は小学時代に毎年先生と共に、此の虎頭山に、西森に又は弁の嶽にと遠足したものである。其の当時は松の大木が繁茂して、到る処涼しい風がそよぎ、松の下で「カーサ弁当」を食べる事が、一番楽しみとしたものであります。又先生が昔の琉歌を説明した事を、記憶に思い起こす事が有りますから紹介しましょう。
琉歌(虎頭山)-1、虎頭、松やまぬ 松ぬ葉の数に かきて、願やびら 首里ぬう果報
        2、虎頭やま出ぢる 秋の夜のお月 曇り無ん御代の かがみさらみ
2の歌は、虎頭山は旧7月迄は御月様は、東の弁の嶽から十五夜に鏡の如く揚がるのであるが、旧の八月十五夜に揚がる御月は平和な、即ち曇りも無く、東の虎頭山の方から、鏡の如く拝まれるとの意なり


新垣恒政 大正六年1917 醫院 臺南醫院 醫官補
新垣恒政 大正七年1918 醫院 臺南醫院 醫官補
新垣恒政 大正八年1919 醫院 臺北醫院 醫官補→「台湾総督府職員録系統」


新垣恒政宛の手紙と、新垣恒政『医療宣撫行』東亜公論社 昭和15

新垣恒政 『南十字星』 東亜公論社 昭和17
新垣恒政 『海外発展と衛生問題 : 特に伯剌西爾の衛生に就て』 外務省通商局 昭和8→「Webcat Plus」