沖縄の雑誌『青い海』98号 太田良博「ジョン万次郎外伝ー摩文仁からはじまった開国の曙光」

写真左から嘉陽安男氏、新城栄徳、太田良博氏


1986年9月 井伏鱒二『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』新潮文庫(万次郎漂流記の初出は1937年で、木村毅の蒐集したジョン万資料に拠る/1938年(昭和13年)、「ジョン萬次郎漂流記」で第6回直木賞受賞、『文学界』誌の同人となる。)〇・・・そこで短艇に積んでいた台所道具を運んで来て、牛豚の肉を料理して前夜以来の空腹を充たし、コーヒーも飲んだ。そうして食後の休息をしていると、そこへ土人が来て手真似で3人を案内しながら番所のような仮小屋に連れて行った。土人等は彼等3人を外国の漂流人と思っていた。この島(沖縄島マブニマギリ)の土人等は漂流人の取扱い方が上手であった。親切に飲水を汲んで来てくれるものもあるし、甘藷を持って来てくれるものもあった。米を持って来てくれるものもあった。・・・


2016年1月12日-新年の挨拶がてら金城先生を訪ねた。-写真左から、音楽家の大城政明氏、歯科医の金城竹治氏、和田達雄氏(NPО法人ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会広報部長/携帯 090-2143-6306)

2016年12月16日 バジル・ホール来琉200周年記念碑除幕式での大城政明氏

写真左から大城政明氏、渡口彦邦氏

2017年1月8日『琉球新報』渡口彦邦「声ー沖縄の『独立』は当然」


写真左から大城政明氏、安仁屋眞昭氏


「中濱萬次郎 家系図」(部分)NPО法人ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会広報/和田ジョンたつお

2001年7月発行の川澄 哲夫 (著), 小沢 一郎 (監修), 阿川 尚之『ジョン万次郎とその時代』:廣済堂出版を見た。和田さんに聞くと、政治家の小沢氏と同一人物という。また沖縄のジョン万次郎団体と小沢氏の関わりを話してくれた。


1851年2月2日 ジョン万次郎、琉球(大度浜)上陸/具志弘輝「ジョン万次郎、琉球(大度浜)上陸」


2017年1月10日 ジョン万次郎、琉球上陸の地を訪ねる。そこで、雑草を刈っていた和田達雄氏(NPО法人ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会広報部長)に遭遇。 写真ー新城栄徳、右が和田達雄氏(高知県吾川郡いの町越裏門出身)。下記は和田氏のジョン万次郎資料


2018年2月20日『琉球新報』「ジョン万次郎碑 建立」


国際ジャーナリスト、ジョン万次郎研究家 北代 淳二
北代 淳二(きただい じゅんじ)高知市生まれ。コロンビア大学大学院卒。東京放送(TBS)記者、 ワシントン特派員、ニューヨーク支局長、在米 TBS インターナショナル 社長等を経て、現在ジョン万次郎研究に従事。土佐史談会会員。2003 年、河田小龍の『漂巽紀略』 を永国淳哉氏と英訳し米国で出版。東京在住。


山本 一力(やまもと いちりき、本名:健一、1948年2月18日 - )は、日本の小説家。高知県高知市生まれ。東京都立世田谷工業高等学校電子科卒業。生家は高知市の大地主であったが没落、14歳の時に上京。通信機輸出会社、大手旅行会社(近畿日本ツーリスト)、コピーライターなど十数回の転職を経て、1997年に『蒼龍』でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。2002年には『あかね空』で直木賞を受賞。他に『大川わたり』などの時代小説がある。バブル時代、借金を億単位で抱え込み、その返済のために小説を発表した。自転車愛好家で、外出時は一家で自転車を用いる。テレビのコメンテーターの活動も行っている。→ウィキ


江本 孟紀(えもと たけのり、1947年7月22日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)生まれ、同県高知市出身の元プロ野球選手(投手)。現役引退後は野球解説者、野球評論家、政治家、タレント、俳優、実業家として活動している。元民主党高知県連顧問、元スポーツ平和党副代表、元参議院議員(2期)(スポーツ平和党→自由の会→フロムファイブ→民政党→民主党)。株式会社江本エンタープライズ代表取締役、政治団体「エモヤンサポーターズクラブ」代表、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督。→ウィキ


中濱京[ナカハマキョウ]
中濱万次郎(ジョン万次郎)直系5代目。1982年金城学院短期大学部国文科卒業後、富士通(株)名古屋支店入社。米国留学し、1992年オレゴン州レインコミュニティーカレッジ卒業。現在(株)富士通システムズ・ウエスト勤務。(財)ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター評議員。「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会評議員。「土佐ジョン万会」名誉顧問。2009年ニューヨーク日本商工会議所より日米特別功労賞受賞。


和田達雄氏 撮影「雲」



2912年8月 撮影「彩雲」

2017年1月10日 上記の写真撮影場所から新城栄徳が撮影


1970年12月 沖縄エジソン商会へ半年出向で、右端が和田達雄氏