1972年2月 沖縄の雑誌『青い海』10号 「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」

『キューポラのある街』は、早船ちよの小説で、1962年(昭和37年)4月8日に公開された浦山桐郎監督の日本映画/2018年6月『東京人』<特集・アジアンタウンTokyo>与那原恵「中国・埼玉県西川口 故郷と変わらない暮らし、生活者のためのチャイナタウン」/1964年4月24日『沖縄タイムス』「本土就職へ118人出発」

1964年4月、私は集団就職。白雲丸で那覇港から上京、晴海桟橋に着く。後に知るが、後の芥川賞作家・東峰夫も乗船していた。途中、暴風で船は和歌山の串本に避難したのが熊野との出会いである。鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた埼玉県川口市を舞台とした映画「キューポラのある街」、主演が吉永小百合で1962年に上映された。その西川口工場で半年、あと錦糸町の工場に移る。1972年2月 『青い海』10号に「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」が載っているが、この号には大阪の沖縄関係資料室も紹介され私の名前も出ているから、7年ぶりの誌上を通じての再会となる。


西川口がある川口市は近年、全国で最も中国人が増えた自治体だ。市内の中国人は2012年末~17年6月末で6222人増え、1万8898人に達した。市民の3.2%が中国人だ。これらの中国人は横曽根、芝といった地区に特に集住している。そしてその核を成すのが、JR西川口駅を中心とする半径300メートルに形成されているチャイナタウンだ。→2018年2月『週刊東洋経済』

1998年6月『東京人』№129 松田哲夫「『ガロ』の神保町時代」
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宮城一春×松田哲夫「ブックトーク」ジュンク堂那覇店 2月14日

松田哲夫マツダ・テツオ
1947(昭和22)年東京生れ。編集者、書評家。1970年に筑摩書房入社後、浅田彰『逃走論』、赤瀬川原平『老人力』、天童荒太『包帯クラブ』、『ちくま文学の森』など数々のベストセラーを生み出し、〈ちくま文庫〉を創刊する。著書に『印刷に恋して』『「本」に恋して』『縁もたけなわ』などがある。


ちくま文庫

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妹尾河童 せのお-かっぱ
1930- 昭和後期-平成時代の舞台美術家,随筆家。
昭和5年6月23日生まれ。小磯良平に師事。藤原義江歌劇団にはいり,昭和29年「トスカ」の舞台美術を担当し注目される。33年フジテレビに入社,映像美術を担当。55年独立,以後オペラ,バレエ,演劇の舞台美術を手がけた。名はあだ名からの正式な改名。平成9年小説「少年H」(毎日出版文化賞)が大ベストセラー。兵庫県出身。神戸第二中学卒。著作に「河童が覗いたヨーロッパ」など。(→コトバンク


大濱聡■2019年3月ー先月下旬、埼玉の女性と結婚してさいたま市に住む息子を訪ねた折り、大宮駅前で大々的にPRしていたのが映画「翔んで埼玉」だった。予告編では「ここ日本には最も虐げられた県があった」「前代未聞!愛と爆笑の“埼玉ディスり映画”」「邦画史上最大の茶番劇」「どうか寛大な心で劇場へ」と言いたい放題の文言が並ぶ。
■公開初日のTVには主演の二階堂ふみ、GACKTが出演して番宣をしていたが、なぜか二人とも沖縄出身。
このなかで「関東住みたい街ランキング2018」で大宮と浦和が初めてベスト10入りしたことが紹介されていた。今回、浦和駅前のホテルに泊まり、所用のあった大宮に出向いたが、どちらも住みやすそうな街との印象を受けた。
■因みに、「日本で最も虐げられた県」は埼玉のみに非ず、米軍基地の過重な負担に苦しめられている沖縄も然り。その共通項といい、埼玉の方と縁戚関係になったことといい、ますます埼玉との縁が深くなった。近々、映画を観に行こう。



1972年2月 沖縄の雑誌『青い海』「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」/1972年5月 青い海出版社編『はだか沖縄ージャンプ・イン≪沖縄≫青春広場』六月社書房


1980年9月 東峰夫『オキナワの少年』文春文庫/『沖縄タイムス』1983年8月1日「新城卓監督の『オキナワの少年』関係者招き特別上映会」/『日刊ゲンダイ』1988年11月26日「あの人は今こうしているー東峰夫さん」


2004年7月 東峰夫『貧の達人』たま出版

 『琉球新報』2017年5月14日ー沖縄県出身の芥川賞作家・東(ひがし)峰夫さん(78)が、「民主文学」6月号(日本民主主義文学会発行)に新作「ダチョウは駄鳥!?―九段論法による神の存在証明」を発表した。新作発表は、2003年以来14年ぶり。同号でインタビューにも応じている。「ダチョウは―」は、精神科医・ユングの自伝を抜粋しながら「夢」や「意識」について描いている。書きためた作品の一部で、長編を抜粋した内容となっている。
東さんは今年初めごろ、「民主文学」を発行している日本民主主義文学会に入会した。6月号で、インタビュー「『オキナワの少年』を書いた頃」の中で半生を振り返り、沖縄の基地問題について「まだ続いている。あのころからずっと同じ状況で、同じたたかいをたたかっている。そういう感じです」と述べた。
また、戦争の原点について「考え続けて、軍隊とは何か、米軍はどこからお金をもらって戦争するのだろうとか、そんなことばかり考え続けて」「頑張ってアメリカをやっつけたいです」などと語っている。東さんは1972年に「オキナワの少年」で芥川賞を受賞した。


 大阪の岸政彦氏から『同化と他者化ー戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)が贈られてきた。本書に10年前、私と出会ったことも書いてある。一見し佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』が頭に浮かんだ。佐野は言う「物事を『説く』には『大文字』言葉が便利だが、物事を『語る』には『小文字』言葉を身につけなければならない。『語って説かず』。それがノンフィクションの最大の要諦だ。」と強調。
 岸氏も「本土就職者たち」への聞き取り調査で得た、その生活史を本書で語らせていて説得力がある。私もかつて1964年白雲丸で「集団就職」の一員として上京した経験がある。その生活史は『沖縄を深く知る事典』(日外アソシエーツ)に収録してある。本書が「大城勲少年」を取り上げ紹介したのも意義深いものがある。欲を言えば、「本土就職者たち」の同世代の留学生たちの生活史についても調査し研究テーマを完成してもらいたい。


2019年9月8日『しんぶん赤旗 日曜版』「新作『図書室』中編小説と自伝エッセー/社会学者 岸政彦さん」

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2003年2月 『沖縄を深く知る事典』(日外アソシエーツ)新城栄徳「ヤマト風のスタイルへのなじみ方ー系列化ー」

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