私と熊楠(熊野)との関わりを述べる。1964年4月、私は集団就職で白雲丸に乗船し那覇港から上京、後に知るが、芥川賞作家・東峰夫も乗船していた。途中、暴風で船は和歌山の串本に避難したのが熊野との出会いである。熊野そのものの南方熊楠、その熊楠が書いた文から私は末吉安恭を日比谷図書館で知ることになる。1972年2月 『青い海』10号に「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」が載っているが、この号には大阪の沖縄関係資料室も紹介され私の名前も出ているから、7年ぶりの誌上を通じての再会となる。


1972年2月 沖縄の雑誌『青い海』「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」/1972年5月 青い海出版社編『はだか沖縄ージャンプ・イン≪沖縄≫青春広場』六月社書房


1980年9月 東峰夫『オキナワの少年』文春文庫/『沖縄タイムス』1983年8月1日「新城卓監督の『オキナワの少年』関係者招き特別上映会」/『日刊ゲンダイ』1988年11月26日「あの人は今こうしているー東峰夫さん」


2004年7月 東峰夫『貧の達人』たま出版

 『琉球新報』2017年5月14日ー沖縄県出身の芥川賞作家・東(ひがし)峰夫さん(78)が、「民主文学」6月号(日本民主主義文学会発行)に新作「ダチョウは駄鳥!?―九段論法による神の存在証明」を発表した。新作発表は、2003年以来14年ぶり。同号でインタビューにも応じている。「ダチョウは―」は、精神科医・ユングの自伝を抜粋しながら「夢」や「意識」について描いている。書きためた作品の一部で、長編を抜粋した内容となっている。
東さんは今年初めごろ、「民主文学」を発行している日本民主主義文学会に入会した。6月号で、インタビュー「『オキナワの少年』を書いた頃」の中で半生を振り返り、沖縄の基地問題について「まだ続いている。あのころからずっと同じ状況で、同じたたかいをたたかっている。そういう感じです」と述べた。
また、戦争の原点について「考え続けて、軍隊とは何か、米軍はどこからお金をもらって戦争するのだろうとか、そんなことばかり考え続けて」「頑張ってアメリカをやっつけたいです」などと語っている。東さんは1972年に「オキナワの少年」で芥川賞を受賞した。