大田昌秀氏の動画に「(大人の修学旅行)沖縄戦と現在の沖縄」がある。これは2016年2月13日に公開されたものだが、視聴回数273回と少なすぎる。県民葬の前に見てほしいものだ。前半の1高女・師範学校女子部の野田校長の話しや、中間部の沖縄の高齢者の精神病理に係わる話し、また後半部の辺野古に係わる部分はとても貴重なものであるとおもう。(石川和男)

 『日本経済新聞』6月13日ー元沖縄県知事として基地問題の解決に尽力し、参院議員も務めた大田昌秀(おおた・まさひで)氏が12日午前11時50分、肺炎と呼吸不全のため那覇市内の病院で死去した。この日が92歳の誕生日だった。告別式は15日午後2時から沖縄県浦添市伊奈武瀬1の7の1のいなんせ会館。喪主は妻、啓子さん。沖縄県久米島生まれ。沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員されて沖縄戦に身を投じた。戦後、早大教卒。琉球大教授などを経て1990年に沖縄県知事選で初当選。2期8年を務めた。知事時代の95年に起きた米兵による少女暴行事件をきっかけに爆発した県民の怒りを背景に、政府と鋭く対立。米軍用地の強制使用の代理署名を拒むなど政府に基地問題の解決を迫り、日米両政府は96年に米軍普天間基地の返還で合意した。
 普天間基地の移設先についても「県外」を求める姿勢を貫いた。政府との関係悪化により沖縄振興策が滞り「県政不況」が指摘され、98年の知事選で地元経済界が推す稲嶺恵一氏に敗れた。知事在任中に、沖縄戦などの戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」を建設した。2001年には社民党から参院選に立候補して当選し、1期6年務めた。政界引退後は沖縄国際平和研究所の理事長を務めていた。


1969/01/25 大田昌秀『醜い日本人』サイマル出版会
70年代、私は大田昌秀さんの著書で新聞雑誌から沖縄関係の記事を探す楽しみを学んだ。大田さんの平和総合研究所の事務所が家の近所に越してきたので挨拶に行った。今の社会ほど日本の政治屋が醜い時代は無い。大田さんの本のタイトルは正に今日のペテン総理以下の女防衛大臣や、アメリカベッタリの外務大臣らの政治屋を言い表すのにピッタリだ。アンポ(核付き)が必要ならば等しく全国で負担するものだ。□追記ー2017年6月10『しんぶん赤旗』「緊迫 岩国艦載機移駐」


1977年9月 大田昌秀『写真記録 これが沖縄戦だ』発行・琉球新報社、発売・那覇出版社/1989年3月改訂版

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第一書房社長から『大田朝敷選集』を受け取る大田昌秀氏/2016年1月「粟国郷友会 新年祝賀会」左からー粟国村長の新城靜喜氏、玉寄貞夫氏(世界のそてつを守る会℡098-862-0906)、来賓の大田昌秀氏(沖縄国際平和研究所理事長)、伊良皆賢哲・粟国村教育長


2009年9月 大田昌秀氏(左)、新城栄徳


大田平和総合研究所 
 『琉球新報』2017年4月4日ー大田昌秀元知事がこのほど、2017年のノーベル平和賞候補にノミネートされた。大田さんのノーベル賞受賞に向けて取り組む「『命どぅ宝のマブイ(魂)を継承し、平和の礎を創設した沖縄の人びとにノーベル賞を』実行委員会」が3日、沖縄県政記者クラブで記者会見し、3月上旬にノルウェーのノーベル平和賞委員会から連絡があったことを明らかにした。・・・・・

カジノ沖縄チジが沖縄戦専門家でもないのに検討委員が決定した沖縄戦の記述を「わたしの判断」で抹殺したと記者に答えていた。しかし、此の時期にカジノチジが敢えて表示板を委員にも諮らず勝手に削除したことは新聞にも大きく取り上げられ、首里の不発弾騒ぎとも相まって、「沖縄戦」に再び注目が集まったということだ。いわばカジノチジは「沖縄戦」注目の功労者である。委員もこの際、沖縄県・文部省干渉、あるいは骨抜きの「沖縄戦」情報でなく、大田昌秀元沖縄知事のように独自の『沖縄戦』情報を平和市民団体とも提携して発信して行かなければ折角チャンスを与えてくれたカジノチジに申し訳がない。

2012年3月1日ー『琉球新報』「戦争の醜さを知ってー大田昌秀さんが展示館」
2012年3月4日ー『沖縄タイムス』「沖縄戦映す1700点ー大田昌秀さん、あす展示館オープン」

ちょうどタイミングよくというか、沖縄戦研究を長年取り組んできた大田昌秀元知事が「沖縄戦 写真展」を開催している。3月5日、漠然と西町に行ってみた。ウロウロしていると、運よく顔見知りの金城君、喜納君のクルマに遭遇した。若い彼らはすぐ携帯で場所を見つけ案内してくれた。場所はロワジールホテルの手前であった。大田さんはテレビ取材の応対で忙しそうだった。

大田平和総合研究所「復帰40年 今、問い直すー沖縄戦 写真展」開館時間/午前9時~午後6時



2012年3月20日ー『琉球新報』玉城江梨子「消される沖縄戦(下)平良次子さん・南風原文化センター学芸員『(略)それでも、沖縄戦の事実は揺るがない。行政が消そうと」した事実が将来まで残る。このことは分かっているのか』」

1960年10月21日『琉球新報』大田昌秀「在野精神に徹したー偉大なる先輩「ヌマさん」の死を悼む」(上)
1960年10月22日『琉球新報』大田昌秀「在野精神に徹したー偉大なる先輩「ヌマさん」の死を悼む」(下)